89●読者の変貌が、ヒット作を変えている。それも不気味な方向へ。
89●読者の変貌が、ヒット作を変えている。それも不気味な方向へ。
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さてこれまで、様々な“ヒット作”を視て、共通項を探ってきましたが、最後に、なるほどと感心するのは、いずれの作品も……
“主人公の目的が明瞭である”ことです。
“承認欲求”であれ“自己実現”であれ、主人公はいつまでもモヤモヤ、フラフラしているのでなく、ハッキリとした目的を示します。
『ガンダム』のアムロ君は“君は生き延びることができるか”の番組キャッチフレーズのままに、この過酷な戦争を“生き延びる”ためにガンダムに乗ります。
『エヴァ』のシンジ君は、自分の居場所がエヴァのコクピットしかなくなった状況に対して「逃げちゃダメだ」と意志表明し、本来好きでもない戦争に参加します。
『進撃』では、巨人に親を喰われたことに対する復讐が、この世界の仕組みを作り直したいという“世直し”に発展していきます。
『約ネバ』では、鬼に喰われずにみんなで生き残ることがまず最優先されますが、人間世界への脱出路を確保できたら、“この不条理な、鬼と人類の約束を結び直す”という“世直し”に発展します。
『鬼滅』はもう簡単明瞭で、“鬼に復讐し妹を救う”に尽きますね。
この作風はしかし、昔々の『巨人の星』『タイガーマスク』『サインはV』などの“スポコン”ものを思わせます。まるで先祖返りのような。
貧しい主人公が、プロ選手になって勝利し、家族を養う……という当時の“努力と根性”の精神論に、どことなく通じるような……
鬼殺隊への入隊前後に炭治郎が耐えた過酷なシゴキは、今や五輪界隈を騒がせる竹刀コーチのパワハラも連想させてくれるのですが……
じつのところ、私たち視聴者や読者は、悪い意味で、全然変わっていないのかもしれません。
この国の人々は、驚くほど保守的なまま、いまや懐かしい江戸時代へとまっしぐらに退化していくのではないか……
まあ、“なにかにつけてガラパゴス”ですからね。
昭和の終わり、1990年頃のバブル経済時代のころ、おそらくこの国の人々は、世界の頂点に立っているという自負と、新進気鋭の意気に燃えていました。
“24時間闘えますか”というブラックな悪癖もありましたが。それを気にしないほど、みんな元気溌溂だったわけです。
だれもが正社員だったしね。一般業務にハケンはなかったのですよ。
それから30年……
世代が、交代しました。
いまや格差社会が完成し、40代までの若者は、就職活動に際して、気持ちが悪くなるほどの身分格差に直面してきたはずです。
親の資産と社会的地位によって、自分の一生が決められる……という現実に。
これはもう、どうしようもない社会の壁として、若者の精神をむしばんでいます。
中級以下の身分ランクにある若者は、おそらく、たいした希望を描けないのです。
江戸時代の身分社会と大差ない封建的な社会システムが、ここ十数年で急速に構築されてきた印象があります。
そういった……
社会の変化と読者意識の変異が、ラノベのヒット作も変えつつあると思われます。
1945年の敗戦。
そのとき、徴兵されて戦争の惨禍にさらされ、とにかく必死で生き残った20代、30代の若者たちの大半は、もう、二度とこのような社会にしてはならないと渾身から誓ったことでしょう。
年配のエリートで、軍の司令官や参謀といった比較的安全な立場にあって、“戦争で
紙切れ一枚で徴兵された若者は、下っ端のまま最前線に送り込まれ、それこそゴミのように殺され見捨てられる現実を目の当たりにしてきたと思われます。
戦争弱者がどのようなめに遭うかを、自分の実体験としてつぶさに記憶してきた人々といえるでしょう。
二度と、そのような悲劇を産み出す社会にしてはならない。
そういった決意を秘めた人々が昭和の後半、この国を豊かにしてきました。
(水木しげる先生、松本零士先生とその作品群に、この潮流が見られますね)
20世紀末には、そのような人たちが80歳近くになり、この国を指導する長老層を形成しました。
若い頃、戦場で人を殺す行為を強要され、そして殺される戦友を、あるいは上官に虐待される兵卒の悲哀を間近に見て来た人々です。それだけに、戦争の渦中ではごく普通に行われた、強者が弱者を平気で虐げ、殺しても許されるという現実に、激しい反発を抱く人も相当におられたはずです。
それだけに、志の高い傑物が輩出したと思います。
“みな同じ国民なのに、このような悲劇を許してはならない”と。
しかし2021年の今。
80歳の人は、終戦の1945年ではまだ五、六歳。
戦争の惨禍を記憶にとどめる人は、もういません。
さすがに、戦争を繰り返したいとは思わないでしょうが……
“弱者への同情と憐れみ”の心は、いつのまにか薄まり、他人事となってしまったのではないでしょうか。
21世紀を迎えてから、ここ十数年で……
戦争の惨禍を体験した人々は次々と亡くなられていきました。
私たちの社会は弱者に対して、より冷淡になり、貧困や病弱をはじめ、「その人が弱いのは自己責任」と突き放すようになってきたと、感じずにはおれません。
私の身近な体験からしても、強い立場、すなわち、より大きい富と権力を有する者が、弱い立場の人間に、あからさまに侮蔑と偏見を向ける場面を、頻繁に見聞きするようになりました。
市中の警察官も、強い者の不正は見逃し、弱い者ならば
昭和の正義の味方、月光仮面や隠密剣士なども、おおむね、「弱い人を守る」ことを主眼に置いていたことと思います。
それが、今の社会から欠落しつつあるようです。
“弱い者いじめ”という言葉はあっても、“強い者いじめ”とは言いません。
まともな理由などなく、ただ“弱いからいじめられる”のが、いじめの本質です。
報復力が無いからですね。
報復力がなければ、安心していじめることができるからでしょう。
親の社会的地位が高く、政治的報復力があれば、まず絶対にいじめられません。
そうした傾向の世の中で、大多数の、“弱者”に属するであろう読者、それも比較的若年層の読者は、何を求めてラノベを読むのでしょうか。
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“いじめる側の強者に報復したい”という、“自己実現”をテーマにする作品が、少なからずヒットしているようです。
弱い立場に付け込まれて苛め抜かれた騎士が、チート力をつかんで時間を逆行し、自分をいじめた王侯貴族に“倍返し”を与えていく……といった作品もありますね。敵の王女をいびり抜く過激な性的描写と虐待や虐殺のシーンが話題になったとか。
単純化すれば“いじめられたので、いじめ返す”という構造でしょう。私はそのあたり不勉強で、アニメの最終話を見たくらいですが、このような作風のお話は、決して猟奇的で特異な作品というわけではなく、十数年前では二次エロ的な挿絵の成人向けライトノベルのレーベルで、いかにもアダルトなジャンルの棚に置かれていたように記憶しています。読んでみて、上手いなあ、と、正直、感心する作品もありました。
とはいえ、そんなに極端に売れるものではなく、現在のように、シリーズ累計百万部を超えるベストセラーが出現するとは、思いも及びませんでした。
それだけの需要があるということです。
あくまで個人的な感想ですが、どことなく、不気味な戦慄も覚えます。
読者の心理は、私が想像するよりもはるかにダークに染まり、ささくれ立っているのではないか? と。
そういった現状を踏まえた作品を、考えなくてはならないなあ……と思います。
ラノベの世界では、主人公にチート力を与えさえすれば、復讐など思いのままになります。それで、苛立つ感情のガス抜きはできるかもしれません。
しかし問題は、実際に物事が解決するのかどうか……ですね。
リアルの世界では、どうすればいいのか。
そのあたり、知恵を絞って考えてみたいものです。
最後のまとめとして、作品を書くにあたっては、
“主人公の目的が明瞭である”こと、そして……
“視聴者や読者の社会的意識は、いまや江戸時代並みに封建的であろうと思われること”
この二点を踏まえておきたい、ということですね。
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そしてもうひとつ……
今もなお、20世紀のジブリアニメが、放映され続けていること。
すたれることのないベーシックなファン層は、世代を交代しながらも、膨大な読者の一角に、滅びることなく健在であること。
これが、
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