88●『スター・ウォーズ』にみる、“承認欲求”キャラと“自己実現”キャラのバランス。

88●『スター・ウォーズ』にみる、“承認欲求”キャラと“自己実現”キャラのバランス。




        *


 以上、いくつかのヒット作品の共通要素を私なりに抽出したところ……


 まず、マズローの欲求五段階説にあてはめると、おおむね……

●第四段階の“承認欲求”タイプのキャラを主人公に据えた作品、と、

●第五段階の“自己実現”タイプのキャラを主人公に据えた作品、に大別できる、

……ということがわかりました。


だいたい、

●“承認欲求”タイプの主人公≒自分の未熟さを自覚している“若者”

●“自己実現”タイプの主人公≒能力が高く自信があり成熟した“大人”

……という傾向がみられます。


 それぞれの作品で……

 “若者”を主人公に据えれば、“大人”が脇役を固める。

 “大人”を主人公に据えれば、“若者”が脇役を固める。


 そのように、相互の役割分担が逆転することで、作風を決めているわけです。


 あ、もちろん例外もありますよ。世界の全てのラノベがこの二種類に分別しきれるとは思いません。そこは、アバウトな点も多々あること、ご容赦下さい。

 大変おおまかな分類ということで……


 そこで、どんな作風のラノベになるのか、もう少し具体的にしますと……


●“承認欲求”を重視する作品では……

 主人公が親を喪失して孤独ゆえに自立して戦いに挑み、コミュ障に苦労しつつ、努力して才能を花開かせ、周囲の人々に認められて、真の家族・仲間・恋人のいる安息の“ホーム”へとゴールインして物語が終わります。

 この場合、主人公の欠点や不器用さが、読者の共感を得ることが大切です。

 そして、脇役として、頼れる先輩と、倒すべき強敵を用意することです。

 主人公の価値観は……“強くなくてはいきていけない、しかし優しくなければ生きている資格がない”です。


●“自己実現”を重視する作品では……

 物語の開始時点からなるべく早く、主人公の“承認欲求”を叶えさせ、十分に自立した、能力ある独立人格としてキャラを安定させることが基本となりますね。

 主人公は(多少ドジでも)強く、それ自体が正義です。

 主人公が悪漢でも、その行為は正義として描かれます。

 出来る限り自由に、やりたい放題に“自己実現”すること。

 そして主人公に感情移入して一体化してくれる読者に代わって、その欲望をかなえることで、スリルやサスペンス、あるいは暴力行為までも、一種の快感として共有してもらえることが肝要でしょう。

 戦争でもなんでも、自由奔放にやりましょう。世界はわが手にあり、ですので。

 ときに、脇役として、主人公に“承認欲求”を向けてくる、忠実な、あるいは可愛いキャラを配するのが理想です。ラノベに言う“ハーレム”ですね。

 主人公の価値観は……“良くも悪くも独裁者”です。“正義は我にあり”。物事の正邪は自分で決めるのです。



 さてしかし、なんだか魅力的な“自己実現”タイプの物語ですが、ひとつ最大の欠点というものがあります。


 “終わりが見えない”と言うことです。


 “ネバーエンディング・ストーリー”とはよく言ったもので、“自己実現”タイプの物語というのは、どう見てもネバーエンディングです。

 “自己実現”は、自己の欲望の実現であります。

 そして、“人間の欲望こそ果てしなく、ブラックホールよりも深い”ことを、私たちは『銀河英雄伝説』で学んだことと思います。

 あれ、どう考えても、終わりようがないのです。

 唯一の終わり方は……

 主人公の、死。

 ご納得いただけると思います。

 “自己実現”が、自己の欲望(あるいは願望)の実現化であるならば、本人が生きている限り、その物語は理論的に終わりようがないのですから。


 実例として、ヒトラー。

 死ななければ、彼の戦争は終わらなかったですね。

 アニメなら、『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー。

 死んだら物語が終わり、生き返ったらまた始まりました。

 本当に困ったことに、“死ななきゃ終わらない”のです。


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 さて、大作にもなると、ひとつの作品で、“承認欲求”と“自己実現”のキャラをそれぞれ、しっかりと立ちあげて、二つの要素を兼ね備えた壮大な物語が出来上がることもあります。


 その好例が、映画『スター・ウォーズ』のエピソード1~9。


 まず、エピソード4~6のルークは、明らかに“承認欲求”キャラの主人公ですね。

 特にエピソード4の彼は、まったくの素人から、育ての親を殺されて否応なく戦争に参加し、最後にはデス・スター殲滅戦で名を上げて、姫君とその一党から歓呼の声で迎えられ、功績と能力を認められます。

 このあとエピソード6のラストまで、ルークはフォースの求道者となってヨーダに師事し、その奥義を会得するに至ります。免許皆伝でめでたしめでたし、ですね、

 これ、第二の“承認欲求”が満たされたことになりますね。

 ということで、エピソード4~6は、ルークの“承認欲求物語”です。


 ところが、エピソード1~6を通観しますと……

 これ、“悪役ダース・ベーダーのやりたい放題三代記”ではありませんか?

 ルークの敵役であるベーダ―卿を主人公に見立てると、これはベーダ―卿自身の、欲望のままに突き進んだ“自己実現物語”となるのです。

 そしてベーダ―卿の物語は、本人の死によってのみ、完結することになります。


 いや、本当に、だからこそ面白いし、傑作なんですね。

(ただし、エピソード7~9は、“承認欲求”キャラと“自己実現”キャラが混乱して、かなり残念な内容になってしまいましたが……)


 で、エピソード4に注目しますと……

 これ、主人公がルークなのに、お話のいいところは全部、ハン・ソロが持って行ってしまったではないですか!

 トンビにアブラゲさらわれたみたいなもので、ルーク君の立場がありません。

 カネに女にと、欲望丸出しのハン・ソロ君の、“かっこいい自己実現”物語に終わってしまった感があります。

 ルーカス監督、これはまずい! と思われたのではないでしょうか。

 その証拠に、エピソード5の中ほどで、ハン・ソロをカーボン凍結の刑に処して、ストーリーから一時的に離脱させてしまいました。

 そうしないと、ルークとベーダ―の対決シーンにハン・ソロがいっちょかみで干渉する可能性が出てきて、またまた、いいところをハン君に持って行かれてしまう……からだと思いますよ、あくまで私の主観ですが。

 で、エピソード6で早々にハン君を救出したのは、このエピソードでハンとレイアをくっつけることにしたからですね。


 ところで、エピソード4の途中で、オビ・ワン・ケノービ師もストーリーから離脱しています。

 これも理由は歴然ですね。オビ・ワンがそのまま叛乱軍基地までたどり着いてしまったら、オビ・ワン自身がXウイングに乗って、フォースの力でプロトン爆弾をデス・スターの急所に命中させねばならなくなるからです。

 つまり、ルーク君の出番が無くなってしまうということですね。

 これでは主人公であるルーク君の“承認欲求”が叶えられませんから。

 オビ・ワンを排除することで、ルーク君は手柄を立てることができ、“承認欲求”を満たして大団円となったわけです。


 それにしても、エピソード4~6を観るにつけ、“承認欲求”キャラの主人公であるルークと、“自己実現”キャラの脇役であるハン・ソロのバランスの絶妙なことに驚かされます。

 ルークを立てる脇役でありながら、ハン・ソロの印象の強烈なこと。

 しかしルークも負けじと、ライバル心を燃やして頑張ります。

 二人のキャラが相まって、空前絶後のヒット作を生み出したといえるのではないでしょうか。


 しかしエピソード1~3と7~9は、ハン・ソロにあたるキャラ……自らの欲望に忠実で、自由奔放で無茶苦茶で、あくどいけれど、どこか憎めない義侠心のあるヤツ……を欠いてしまいました。

 邦画ではどうかというと、最近の作品ではハン・ソロのキャラに匹敵する人は、ちょっと見つけられませんね。ただし昭和三十年代に“エースのジョー”と異名を取った宍戸錠氏は、かなりハン・ソロのイメージに近いと思います。

 それだけに、20世紀末から製作されたエピソード1~3と7~9は、出てくる男女ともに、どこか頼りない“承認欲求”のキャラが増えてしまい、作品から破天荒なダイナミズムが減衰してしまった感があります。

 ま、やむを得ません。ファミリー受けを重視しなくてはならない〇ィ〇ニー様の“お子ちゃま”映画になってしまったみたいですからね……




【次章へ続きます】



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