87●“承認欲求”の作品と、“自己実現”の作品。

87●“承認欲求”の作品と、“自己実現”の作品。



 ここまでお手本とした五作品は、「主人公が承認欲求を満たすために、様々な課題を解決していく」物語でした。

 これが主流であり、王道であると考えていいでしょう。


 しかし当然、“反主流”と言える作品群も存在します。

 それは……


 「物語の最初で承認欲求が満たされて、あとは全篇、“自己実現”に邁進する作品」のことです。


 つまり、マズローの欲求五段階説の、第四段階ではなく、第五段階の“自己実現”を中心に描く作品群ということです。


 それら“自己実現”タイプの作品群は、例えば……


『銀河英雄伝説』『幼女戦記』『HELLSING』『ジパング』……

『ワンピース』『ルパン三世』『クラッシャージョウ』『宇宙戦艦ヤマト』……

『ウルトラマン』『スーパーマン』『バットマン』『スパイダーマン』……

『鋼の錬金術師』『青の祓魔師』『魔法科高校の劣等生』……

『銀魂』『転生したらスライムだった件』『ソードアート・オンライン』……


 すみません、あくまで私の主観で思いついた作品群です。

 かなり偏りがあることと思います。お許し下さい。

 このほかにも、“自己実現”に邁進する作品は多々ございます。


       *


 さて、これら“反主流”の作品の主人公たちは、“主流派”の主人公たちと比べて、どこが違うのでしょうか?


 概ね皆さん、逞しくて強いですね。スーパーヒーロー/ヒロインなんですよ。

 かりに体力的に劣ることがあっても、知力抜群であったり、精神的に強靭で図太く、悩む前に開き直っていたりします。


 世界の謎を解こうとしたり、親と離別、もしくは親の存在など作中では無視されていて、喪失状態だったりする点では、“主流派”の主人公と共通する場合もありますが……

 主人公の皆さん、コミュ障に悩みながら悶々と根暗ネクラに行動するようなことは、初めから無いか、あったとしても物語の最初の方で解決してしまい、さっさと第五段階の“自己実現”に移行してしまいます。


 要するに、自信と勇気をもって、自分がやりたいことを決然とやり切ってしまうのですね。文字通りの自己実現です。

 敵を倒す、被害者を救う、人道に基づいて世直しを行う……


 そうですね、これ、昭和三十年代の昔からある、ヒーローもののアニメの伝統的なストーリーテリングの手法なのです。


 ですから、視聴者なり読者の、作品の楽しみ方も異なります。

 “承認欲求”主人公の場合は、その主人公の傍らにいて、共感し、応援します。

 “自己実現”主人公の場合は、その主人公になりきって感情移入し、スカッとしますよね。


 例えば『ワンピース』。

 主人公ルフィを中心とした仲間たち、レギュラーメンバーが出そろうまでは、それぞれの人物が心に抱えた第四段階の“承認欲求”を満たして、真の仲間を形作るためのドラマが展開されました。

 しかしそれが終わると、次のステージ、第五段階の“自己実現”へ移行します。

 航海を続け、次々と現れる新たな敵と戦い、勝利して目的を果たします。

 そうやって、めざすべき宝物へのアプローチを一歩一歩進めます。

 主人公は常に正義であり、多少ドジなところがあっても、間違いは犯しません。

 で、果てしなく航海は続く……となります。


 つまり“反主流”の作品は、要するに、“すでに承認欲求を満たした主人公が、やりたい放題に自己実現しまくる”お話であるわけです。

 『ルパン三世』の作品群なんか、その典型ですね。

 まあ、もともとはこちらの方が主流で、“承認欲求”タイプの作品の方が少しばかり後発というのが正しいのでしょうが。


 昭和三十年代の子供向けヒーローTVドラマの『鞍馬天狗』『月光仮面』『少年ジェット』『ナショナルキッド』『ハリマオ』『海底人8823』など、いずれもヒーローは正義の味方。世のため人のために悪を撃ち、よいこたちを守ってくれました。

 主人公は皆さん堂々と正攻法で、“自己実現”を目指していたのですね。

 そこに登場したTVアニメ。こちらも『狼少年ケン』『スーパージェッター』『ヱイトマン』『0戦はやと』『海賊王子』など、自らの正義を疑わない“自己実現”型の主人公が大活躍しました。スリルとアクションの娯楽漫画映画だったわけです。

 しかし、手塚治虫先生が手掛けられた作品群は一味違っていました。

 『鉄腕アトム』『ビッグX』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』など、いずれも物語の導入部からしばらくは、主人公が“ボクは何者か、これでいいのか、これで正しいのか?”と悩むシチュエーションがみられ、まずは“承認欲求”を満たすことが課題となります。

 仲間たちが形作る社会に主人公の正義が認められることで“承認欲求”を満たし、それから世のため人のための“自己実現”に着手していく……というプロセスを踏んでいたことと思います。


 もしかすると……

 “承認欲求”タイプの主人公は、手塚アニメが生み出したのかもしれません。


       *


 どうやら……

 アニメ、そしてラノベの世界では、“承認欲求”タイプの主人公と、“自己実現”タイプの主人公が共存してきたと考えてよさそうです。


 どのように“共存”したのでしょう?


 この章の最初に“自己実現”タイプとして例示した幾つかの作品の主人公たちは、どのような立場を演じているでしょうか?

 職業軍人、秘密組織の幹部、大海賊に大泥棒、宇宙の壊し屋、超能力の戦士、怪獣退治の専門家、魔法使い、魔法騎士、……いずれにしても武器や超能力の扱いに秀でた、超人的な戦闘員……


 それらのキャラクターは、おおむね、“承認欲求”タイプの作品では、主人公の敵役か、頼れる先輩といった“脇役”を務めていることがわかりますね。


 『エヴァ』の主人公は“承認欲求”のカタマリとも言えるシンジ君ですが、もしも、プロ軍人に近いミサト女史を主人公にしたら、この作品は“超指揮官ミサトの使徒殲滅(自己実現)物語”になってしまうのではないでしょうか?


 『ガンダム』でも、ブライト青年を主人公に据えたら、アムロ君は悩み多き面倒な部下の一人となり、物語全体は、“カーク船長やホーンブロワー提督に並ぶ、名艦長ブライトの立身出世(自己実現)物語”となってしまうでしょう。


 逆に、『銀河英雄伝説』でユリアン・ミンツ君を主人公に持ってくれば、この物語の前半は、“兵卒ユリアンの才能開花(承認欲求)物語”となったことでしょう。


       *


 つまり……

 “承認欲求”タイプ(主流)の作品の脇役を主人公にすれば、“自己実現”タイプ(反主流)作品となる。その逆もまた可なり。

 ……ということのようですね。




【次章へ続きます】





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