86●“承認欲求物語”の二大傑作、『エヴァ』と『ウテナ』。
86●“承認欲求物語”の二大傑作、『エヴァ』と『ウテナ』。
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まとめますと……
サンプルの五作品から抽出できる、“ヒットの共通原則”は、
一、主人公は“謎を解く”……大ネタ小ネタの課題と謎が用意され、物語のラストに至って、肝心な部分の謎が解き明かされて、知的なカタルシスを与えてくれる。
二、主人公は“親を喪失する”……親を失う、あるいは親に見捨てられることにより、否応なく自立し、戦いに身を投じる動機となる。ただし、“親が実は敵だった”というケースもあり得る。そして“親の因果が子に報う”展開となり、主人公はさまざまな意味で“親を超えるか克服する”ことになる。
三、主人公は“コミュ障な状況”に苦しむ……自分とパートナー、あるいは戦友、仲間たちとの意思疎通に苦心し、互いの信頼関係を築いていく。そうすることで、下記の“ホーム”へ至る道を見出すことにもなる。
上記の結果として……
四、主人公は“ホーム”を目指す……自分を信頼し、認めてくれる家族や仲間たちとともに、心安らぐ
は平和と安息の場所であり、そこで主人公を待つ者は、たった一人でも成立する。
そして……
五、主人公が“ホーム”を得ることは、“主人公がマズローの第四段階の承認欲求を満たす”ことである。
サンプルにした五つのヒット作品はいずれも、主人公の“承認欲求物語”でした。
主人公はさまざまな“コミュ障”状態を克服して、仲間、家族あるいは恋人などと一緒に、心安らぐ“ホーム”を見出すことで、物語に決着をつけるのです。
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サンプルの五作品の中で、主人公の“承認欲求”の要素が、最も強く押し出された作品は……
『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-96)ですね。
『エヴァ』はロボットアニメの範疇に含まれますが、その主人公のメンタルな部分の描写だけを抜き出して繋いだら、TVシリーズの1話から26話までを通じて、この作品はひたすら“シンジ君の承認欲求”と、自らその渇望を癒すための渾身の行動を描く群像心理劇であったと捉えることができると思います。
そもそも第1話で父親のゲンドウ氏が、シンジ君をエヴァのパイロットとして人格を尊重することをせず、エヴァの操縦装置の一部品並みに扱い、彼の全人格を否定したことに始まるのですね。
シンジ君、人間としての自分の存在意義を取り戻すべく、涙ぐましいまでの努力を続け、危険を冒します。
そして、ついに第26話で、「ボクはボクだ。ここにいてもいいんだ」と、悟りを開いたかのように、安息に満ちた居場所を見い出すのです。
それが『新世紀エヴァンゲリオン』という作品の、じつは、根本的な正体ではなかったかと、思うのです。
第三新東京市のビル群を背景に立つエヴァンゲリオン、そして人類補完計画に始まるもろもろの膨大な謎は、“シンジ君の承認欲求物語”を語るために建設された、巨大なオープンセットにすぎなかったのかもしれません。
つまり、『エヴァ』とは……
実の父親に全人格を拒否られた息子が、悲痛なまでの承認欲求を発しながら闘い、最終26話でついにエヴァを捨て(解脱して)、周囲に認められ、精神的に調和した“ホーム”を手に入れる……というお話だった……と考えることができますね。
そう考えれば、おそらく『シン・エヴァンゲリオン』の結末は、TVシリーズの第26話と、そのメンタルな根っこの部分に回帰して、一致するのではないか……と考えています。
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さて、『エヴァ』の主人公シンジ君は“少年”でした。
そして奇しくもその翌年に、主人公を“少女”とした『少女革命ウテナ』(1997)が放映され、“承認欲求アニメ”の少年版と少女版、それぞれの最高傑作が並び立つことになります。
むしろ、“承認欲求”を史上最も鮮烈に、そしてカラフルに描き出した名作として、筆頭に挙げられるのは……
『少女革命ウテナ』(1997)の方でしょう。
ただの“百合もの”ではありません。
思春期の少女がとらわれる“承認欲求”の限りない類型が綾なす、複雑にして絢爛華麗な絵巻物……といったところでしょうか。
自分が目立ちたい、認められたい、褒められたい、愛されたい、君臨したい、邪魔者を排除したい、相手の心をつかみ、独占したい……
そういった“承認欲求”が狂おしいほどに噴出する少女の心理を、シュールな画風で見事に視覚化し、画面に展開しています。
現実にはあり得ない、裏山の決闘広場とか、逆さまの空中城とか、変幻自在のプラネタリウムとか、人の胸元から出現する剣とか、奇妙で不可解な言動の生徒会、そして王子様然とした黒幕の理事長……といった摩訶不思議な視覚要素が続々と登場しますが、実はすべて、かなりわかりやすく理解できます。
何もかも、登場する美少女や美少年たちの“心象風景”と考えればいいわけです。
リアルな学園ものなら、互いの喧嘩や、いじめや、口論や、励ましや、あるいは友情を結ぶための、さまざまな行動が描かれるでしょう。
しかしこの作品は、具体的な行動を描くことを大胆に割愛し、それを抽象化して、非現実的な心象風景に翻訳して描き上げている……と捉えれば、さほど混乱することはありません。
むしろ極めて明瞭に、テーマを浮き立たせています。
“これは学園に囚われた姫君と、一人の勇敢な騎士との、互いの承認欲求の物語”
そう考えれば、最後の最後のエンドクレジットで、歩み去るアンシーの情動が理解できます。
忘れ去られ、存在すら消されてゆくウテナのことを、最後まで憶えていた、本当の親友は誰だったのか……
これ本当に、物凄く素晴らしい結末です。
TVシリーズのアニメとして、20世紀の最高傑作ではないでしょうか。
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さて、承認欲求を満たしてくれる家族や仲間たちは、多くは必要ありません。
それは、たった一人でもOKです。
世界中の人々に認められるとか、仲間のみんなにこぞって賞賛される必要は、必ずしもありません。
主人公が世界中から見放されたとしても……
自分以外にただひとり、承認者がいてくれれば成立するのです。
その方が、むしろ感動的な場合もあるでしょう。
さてそれでは、主人公が最も強く、心から承認を求める人物は、誰でしょうか?
じつは、親でもなく、愛するパートナーでもなく……
あなた自身ですね。視聴者であり読者であるあなたのことです。
物語の作者の手を介して、主人公のキャラクターは、なによりも作品を観る、あるいは読む人に対して、自分の承認欲求を指向しているのです。
そして視聴者なり読者の多くが心の中で感動を込めて、主人公に対して、例えば「アムロ、それでいい」「シンジ君に拍手!」「ミカサ、貴女は正しい」「エマ、立派だよ」「炭治郎、よかったね!」と承認のメッセージを発することができたなら、その作品は ヒットしていることになるでしょう。
文字通り、視聴者と読者の心にヒットした、ということですね。
主人公の行動なり“生きざま”が承認欲求となって、視聴者や読者の心を打ち、そして“承認”を引き出すことが、その作品をヒットさせ、成功へと導いていく……と考えられないでしょうか?
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以上、今更わかり切ったことかもしれませんが、ヒット作の共通原則として挙げられる点を列記してみました。
さてしかし……
もちろん、全てのヒット作が、上記の五点を満たすとは限りません。
あくまで上記五点は、メジャーなヒット作の共通要素であり、いわば“保守本流”の主流派作品について言えることです。
そうです。例外となる“反主流”の作品もそれなりに数があり、それぞれグループを形作っていることに気づきますよね。
例えば……
【次章に続きます】
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