79●『エアガール』(2)…忖度に消えた? “もく星”号の悲劇。

79●『エアガール』(2)…忖度に消えた? “もく星”号の悲劇。




 いまだに黒い霧に包まれている“もく星”号遭難事故。

 当時花形のエアガールさんたちに、恐るべき暗雲をもたらした出来事だったと思われます。


 1952年4月9日朝7時42分、羽田空港を飛び立った日本航空301便。

 マーチン2-0-2型機、“もく星”号。

 房総半島の館山上空でターンして、伊豆大島上空を通過、一路西進して、静岡沖から大阪の伊丹へ、そして福岡へ到着する予定でした。しかし……

 離陸二十分後の7時59分、伊豆大島の三原山に激突し、乗員乗客37名全員死亡。


 遭難原因はいろいろと憶測が飛び交うも、決定的な事実は得られず、21世紀の現在に至っても謎のままであり、真相は黒い霧に包まれていると言わざるを得ません。


 概ね、下記の三種の原因が取り沙汰されたようです。



一、航空管制のミス説


 もく星号が大阪の伊丹と九州の福岡へ向かうのに、館山から伊豆大島へとぐるっと大回りのコースをとっていたのは、いわゆる“横田空域”という、米軍の支配下に置かれた巨大な空のエリアを迂回しなくてはならなかったからですね。

 当時はまだ、日本の空の航空管制は、占領軍である米軍の管制指示に全面的に隷属していました。まあ、現在も似たようなものですが。

 当時のジョンソン基地(現・入間基地)の航空管制センターから飛行高度の指定を受けていたのですが、内容が急遽訂正されるなど、いささか混乱がみられました。

 しかしまだ日本は米軍の占領下であり、日本人のパイロットは操縦を許されておらず、木星号のパイロットは正副二名ともお雇いのアメリカ人でした。

 ですから管制塔とのやり取りで、言語的な齟齬はなかったと思われます。

 しかし何らかの原因でパイロットは高度を誤り、雲中飛行を余儀なくされる悪天候であることもあいまって、高度不足のまま三原山に激突したのではないか……という仮説が唱えられました。



二、機体の欠陥説


 機体のマーチン2-0-2は1946年に初飛行、その後、わずか34機で生産が打ち切られて、次世代機に移行した機種でした。

 問題は、機体の損耗率が異常に高かったこと。

 結果的に、34機のうち13機が事故などで全損、もく星号を含めて163人もの死亡者を出しています。

 その背景に、機体のなんらかの欠陥、あるいは整備不良が隠されていたのではないかと、憶測されてもいます。



三、米軍による撃墜説


 衝撃的な仮定ですが、もく星号が伊豆大島の東方で、演習中の米軍戦闘機に遭遇し、射撃を受ける、あるいはニアミスによる接触等によって機体を損傷、墜落したとする説です。

 松本清張先生の『風の息』(1974 朝日新聞社)、および同作をTV朝日でドラマ化し、1982年4月10日に放送された作品では、この米軍撃墜説を扱っています。

 21世紀の現在からすれば、撃墜なんて、まさか? となるのですが、当時は1952年、わずか七年前までは米軍と本気で撃ちあいの戦争をしていた関係なのです。

 しかも、米軍の占領状態を終わらせるサンフランシスコ講和条約が発効するのは1952年の4月28日、もく星号の遭難は4月9日であり、講和条約発効の三週間前となります。

 未だ占領下の日本、そして、もく星号は写真を見る限り、主翼に大きく日の丸を描いています。

 占領下の状態で、日の丸をつけて飛ぶ大型機は滅多に見られません。

 全国でも数機にとどまるのではないでしょうか。

 そこへ、米軍戦闘機が遭遇する。

 TV朝日のドラマでは、当時最新のジェット戦闘機F86が米軍機として登場しています。1964年の東京オリンピックで空に五輪マークを描いた、あの機種ですね。

 しかし最高時速一千キロは出せるジェット機と、最高でも時速450キロがせいぜいであり、悪天候下でおそらく速度をゆるめていたプロペラ機の“もく星”号は速度差がありすぎて、有視界での遭遇は難しかったかもしれません。

 ただ、当時はまだ大戦中の戦闘機であるP-51ムスタングや、F4Uコルセアが飛んでいましたから、もく星号に出逢ったのは、そういったレシプロ戦闘機という可能性もあるでしょう。

 いすれにせよ、七年前まで日本軍機のカミカゼアタックを必死で迎撃していたパイロットが、1952年の日本上空で、主翼に日の丸を描いた大型機と予期せずに出くわしたら……ひょっとして、条件反射的に、機銃の発射ボタンを押してしまったかもしれません。

 雲の中から戦時中の亡霊のように、日の丸ジャップの機体がヌッと現れたら……

 やってしまったかもしれない、という気もするのです。



 さてしかし、真相は不明です。

 当時はフライトレコーダーやボイスレコーダーの装置がなく、管制塔側で交信状況を記録していたはずの米軍の録音テープが提供されなかったため、事故の原因は今も解かれることのないミステリーとして、氷漬けになってしまったわけです。


 ただ、この事故を契機に、日本航空はマーチン2-0-2の機体を返上して自主的に機種選定を行い、日本人パイロットの登用へと進んで行ったと思われます。

 事故への深い反省とともに……

 あるいは事故を奇貨として、航空会社の自由度を高めるために利用する人もいたかもしれませんが……


 とすると……

 もしかして、第四の“航空行政の陰謀説”が登場するかもしれませんね。

 何から何まで米軍に支配された航空行政に冷や水を浴びせるために、米軍に対して好戦的な何者かが爆弾テロでも仕掛けたのでは……と。

 当時、バカ高い運賃を支払ってヒコーキに乗れた人は、よほどのセレブか業界の有力者たち。その中に、何としても抹殺したい人物が、それも、乗客名簿に載せない員数外で潜んでいたとすれば……

 あるいはハイジャックを試みて失敗したとか?

 また1951~52年の当時は、朝鮮戦争(1950-53)の真っただ中です。

 お隣の国の戦争にからんだテロ……という可能性も、フィクションの世界では無きにしもあらず、でしょう。



 何にせよ、この“もく星号遭難”の史実は、航空界のタブーとして黒い霧で隠され、忌むべき黒歴史として、アンタッチャブルなファクターとされてきたのでしょう。


 そのため『エアガール』のドラマでは、触れることなく黙してスルーされたこととみられます。

 コロナ禍でただでさえ苦境に陥っている航空会社にとって、かれこれ70年前に寝た子を起こされても困るということでしょう。無理もないと思います。


 悲惨な墜落事故の場面など、コロナ禍ではなおさら見たくもないでしょうから。


 こうした当然の配慮と忖度そんたくが、“もく星号の遭難”をドラマから消し去ってしまったのではないかと思います。

 しかしながら、そのことによって、ドラマの最大の緊張感、サスペンスフルな要素がかすんでしまったことは否めないと思われます。


 飛行機は、ときにちる。


 この単純で決定的な危機に、飛行中のエアガールは常に直面していることを、ドラマの中で語っていただきたかったと思うのです。

 ドラマの中に描かれたエアガールの皆さんは、とても残念ながら、本当のエアガールと言うよりは、お客様の“おもてなし要員”の域を出なかったというのが、実情ではないでしょうか。


 やはり、命がけの勇敢さを求められる職業であり、危難に立ち向かうヒロインであることも見せてほしかったわけですね。


 その危険性は、時代を超えてリアルです。

 不吉だから、誰も口に出さないだけでしょう。


 1985年、日本航空123便の御巣鷹山への墜落事故は、単独の航空機として世界最大の犠牲者を出した事故として、今も歴史に刻まれています。


 この史実はいまもなお、色褪せてはいません。


 その事故の舞台裏に触れた作品として、映画『沈まぬ太陽』(2009)があることも、思い出されるのですが……。


 さまざまな配慮と忖度に制限されたと思われる、ドラマ『エアガール』。

 内容がどうしても“物足りない”がゆえに、その空白部分を想像で埋めてあげたくなる作品ですね。


 健康上の理由でエアガールの職場を去る、ヒロインの小鞠嬢。

 彼女は紙一重で、“もく星”号の悲劇を免れたのかもしれません。





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