TVスペシャルドラマ『エアガール』(2021)

78●『エアガール』(1)…とても気になるコーヒーカップ。

78●『エアガール』(1)…とても気になるコーヒーカップ。




 2021年3月20日(土)午後9時から放映された、TV朝日系スペシャルドラマ『エアガール』。

 見ました。ヒコーキ物は好きです。

 特に戦前戦後は個人的にも注目している時代背景。

 この民間航空揺籃期に“エアガール”と称された客室乗務員さんの物語。

 エアガール……って、響きのいい言葉ですね。

 なんだかレトロファンタジックなネーミング。

 当時はバスガールとかエレベーターガール、オフィスガールといった名称がごく普通に使われていました。

 ジェンダーの視点からは問題ありなんでしょうが、決して卑下する意味合いではなく、相当な人気職種だったことは確か。


 で、『エアガール』。

 印象的だったのは、DC-3型旅客機の美しさ。

 CG処理とはいえ、あの機体はうっとり見惚れますね。

 全編を通じて、主人公が活躍する“日本民間航空”という架空の航空会社の主要機種として、大空に華麗に羽ばたいておりました。


 ところが、一点、気になることが……

 駐機している機内客室(スタジオのセット)で、パイロット志望ながら夢がかなわず落胆する三島優輝君(坂口健太郎さん)に、エアガール一期生の佐野小鞠嬢(広瀬すずさん)がコーヒーを勧めて元気づける場面。

 座席に掛けている三島君、窓際の出っ張りに、新幹線の窓際みたいに何気なくカップを置きます。

 無理だ!

 これは無理です。DC-3型旅客機は降着装置が尾輪式なので、大戦中の零戦みたいに機首が持ち上がり、機尾が下がった状態で駐機します。

 つまり機内は、まるでケーブルカーみたいな坂道状態。

 窓際にカップを置けば、コケます。


 細かいことですが、どうみてもDC-3型の設定ですから、気になる次第。

 ただし……


 これが史実ならば、オッケーなのです。

 “日本民間航空”のモデルは、言わずと知れた日本航空。

 1951~52年の当時、史実の日本航空では、最初の試験的お披露目飛行こそ、フィリピン航空から借りたDC-3型を数日間飛ばしたのですが、そのあとは機種を変えて、戦後に登場した新型機“マーチン2-0-2”を五機、採用しているのですね。

 マーチン2-0-2は、DC-3型と同じ双発ですが、より強力なエンジンで速度が速く、乗客数も多いスグレモノでした。降着装置は近代的な前輪式で、地上に降りても機体は水平を保っています。タラップは機尾下面に内蔵してあって、後ろに向けて降ろす仕組み。

 当時はまだ、各地の飛行場に自走式のタラップを十分に常備していなかったでしょうから、行き届いた工夫だったわけです。


 だから、史実に沿って、三島君と小鞠ちゃんのほのぼのシーンがマーチン2-0-2の機体の中だったら、コーヒーカップは窓際に置けたかもしれません。マーチン2-0-2の窓の内側に、新幹線みたいな平坦な出っ張りがあれば、ということですが。


 さてしかし、これに関連して、『エアガール』というドラマの内容に、ひとつ大変大きな不満も生まれてきます。


 二人の機体がマーチン2-0-2だったとしたら……

 その名は“もく星”号だったかもしれませんね。


 そう、戦後初の大型民間機遭難事故。

 1952年4月9日、日本航空301便、羽田から伊丹経由で福岡へと向かう“もく星”号は、房総半島の館山付近で向きを変え、伊豆大島を通過して関西方面へとまっしぐらに飛ぶコースだったのですが……

 大島の三原山に墜落、乗客乗員37名は全員、還らぬ人となりました。

 その中に、エアガールさんもたぶん一名、含まれていたということです。


 新聞の報道写真などにある、その墜落現場の状況……

 まるで、1985年8月12日、日本航空123便がダッチロールの末に墜落した、御巣鷹山の現場を彷彿とさせる悲惨さです。


 世にいう“もく星号遭難事故”。

 当時、松本清張先生が『日本の黒い霧』というノンフィクション・シリーズのエピソードのひとつに収録され、国内に“黒い霧”ブームを生むきっかけとなりました。


 この事故が、TVドラマ『エアガール』のストーリーでは、きれいさっぱりと、スルーされておりました。

 いやまあ、あくまで史実を参考にしたフィクションなので、それで良いのですが。

 なんだか、“史実のモデルありの朝ドラ”みたいな、実際にあったようで、じつはいろいろ変えてある……といった、“うっかり事実かとダマされちゃう”パターンの中途半端なリアリティを感じて、なんだか消化不良な気分になってしまったわけです。


 これやはり、視聴者としては、大きな不満点となりますね。



 なにしろマーチン2-0-2の機体を使用して、1951年10月に定期路線を開設してからわずか半年後の翌年4月9日に、このような大惨事が起こったのです。

 日本国の民間航空の本質を揺るがす非常事態を招いたというべきでしょう。


 この大事故が、ドラマに扱われなかったのは、誠に残念といいますか……

 エアガールさんの犠牲も出した、この悲劇をいかにして乗り越えるのか、それが三丁目の夕日やコトー診療所で活躍された社長さんに課せられた大命題となったと思われるのです。

 この“もく星号遭難事故”を前にしては、白洲次郎さんのゴタゴタなんか、ほぼ、どうでもいいスカタン事案と消えたことでしょう。

 というのは……


 “もく星”号はいまだに、黒い霧に包まれているからです。




【次章に続きます】



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