71●『君の名は。』(5)……今も残る謎と混乱:町長はなぜ、三葉を信じたのか?

71●『君の名は。』(5)……今も残る謎と混乱:町長はなぜ、三葉を信じたのか?




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●「町長はなぜ、三葉を信じたのか?」の謎



 三葉とテッシーたちの努力で開始された町民避難作戦は、そのまますんなりと成功したのではなく、つまるところ、町長の英断によって糸守町の住民が救われた……という結末になったことが、後日の新聞などの画像によって語られます。


 これ、作品の結末を左右する決定的な要素なのですが……

 物語中、最大の謎として残されています。

 直接の描写がなく、観客が自力で推理する材料が、あまりにも少ないのです。

 実のところ、いったい何があったのでしょうか?


 10月4日の秋祭りの日、すなわち大災厄が起こる日の午後、三葉(ただし中身は瀧君)は父親の町長に掛け合います。今夜に起こる大災厄のことを告げて、頼むから信じてくれと説得するのですが……

 失敗し、危うく病院送りになりかけます。

 そして夜、三葉(中身は瀧君)がテッシーたちと計画した町民避難作戦が発動します。爆破による停電と、偽の防災放送ですね。

 しかし人為的な放送に気付いた町長が出しゃばって、避難を妨害します。

 そこで、町長に最後の説得を試みるために必死に駆けてゆく、三葉(このとき中身は三葉に戻っている)なのですが……

 画面で伝えられるのはそこまでで、あとは大災厄の後、数年過ぎた未来の世界で、瀧君が三葉のおぼろげな面影を探して日々を送る描写となります。


 一体どうやって、どのようなプロセスで、三葉は町長の説得に成功したのか?


 これ、最初にシアターで『君の名は。』を観終わった時から、頭にこびりつく謎となりました。

 いや確かに、手掛かりはいろいろあって、想像する余地はあるのですが……

 ここがバシッと視覚化されていないので、たぶん、こうだったんじゃないかな  あ……と、もやもやしたままで思考が粘着化するのですね。



 解決法は……リメイクです!

 男女入れ替わり映画の古典『転校生』(1982)は、『転校生 さよなら、あなた』(2007)として、同じ大林信彦監督の手でセルフリメイクされています。

 時間SFでは韓国映画の『イルマーレ』(2000)がハリウッドで2006年にリメイクされ、『the Lake House』(邦題は同じ『イルマーレ』)として公開されました。

 この場合、さすがにリメイクするからには……と、新しい要素を盛り込んでストーリーを整理し、より説得力のある、そしてスタイリッシュな表現にブラッシュアップされたものだと思います。

 ただし結末のシーンは、韓国映画の方がタイムパラドックスの要素が強く出ていて、この結末だと彼女が最初の手紙を書く必要すらなくなり、物語全体が破綻しないかね? と心配させるのですが、それでもこの結末にしたのは無謀だけど勇断であるところが面白い! と納得させてくれます。

 要するに、二時間も見せてくれた時空を超えたストーリーは、ただ、この二人を出逢わせるためだけに会ったのだと。出逢いさえすれば、それでいいのだと。もう、スパッとシンプルな結論だったのですね。


 ……だから『君の名は。』も、リメイクありだと思うのです。


 二人の魂の入れ替わり期間が、桜舞い散る4月から夏休みの7~8月までとすれば、季節感の矛盾は解決して、三葉が浴衣を着て夜の祭りに出かけても風邪をひかずにすみそうです。

 ただし、大災厄が訪れる祭りの日、三葉は、巫女のお仕事でてんやわんやであるはずで、その点はリメイクが必要かと。

 そしてなによりも、「町長はなぜ、三葉を信じたのか?」という謎をスッキリと解決してほしいと思うからです。


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 そこで思います。

 こういう展開だったら、納得できるんだけど……という条件を考えてみます。



 まず、10月4日の午後、三葉(中身は瀧君)が父親の町長に直談判した“第一の説得”の場面です。

 普通、これから起こる災厄を予言されたところで、信じる人は滅多にいません。

 まず、信じろと言っても無理です。

 未来の証拠エビデンスは現在では存在しようがないのですから、論理的にも不可能なはずです。

 で、無理は無理なりに、多少とも信じさせる方向に、町長の心理を持っていくとしたら……

 “未来を知っていないとわからないはずの、町長一人しか知らない情報”を、三葉からズバリと指摘されることでしょう。

 絶対に知らないはずのことを、三葉が知っている。

 そうすれば、町長はドッキリ、“もしかして、これから起こることを正確に予測する能力が、お前にあるのか?”と、三葉に対して畏怖を感じることになるでしょう。


 さて物語が始まったころ、9月初めには、町長は選挙の街頭演説を行っています。

とすると、10月4日の災厄の日には、“当選後”ということになりますね。

 法律で、町長選挙の告示から投票まではたった五日間ですから。



※ただし作品冒頭近くの町内放送で「来月二十日に行われる、糸守町町長選挙について……」(『小説 君の名は。』P18)とあります。来月は十月なので、そうだとしたら、投票日よりも一か月半も前から、俊樹は事前運動を行っていたことになります。俊樹のタスキには自分の名前が記載されており、公職選挙法違反です。それらの不自然さはぬぐえないので、物語の設定としては、数日後に選挙が行われて俊樹は当選した……とするのが順当でしょう。



 さて町長氏、手段を選ばず現職にしがみついて、なりふり構わず贈収賄しまくりで当選をかちえたと思われます。

 尋常ではないほどに、とてつもなく、町長であることに執着しています。

 一方、2016年の瀧君は、2013年当時の新聞や週刊誌記事を図書館で探すなどして、当時の町長の悪事の実態を、知ることができたとしましょう。

 町長の汚職とその暴露がなされていたとしたら……

「そんなに悪いことをして町長になって、町の人たちの生命のこと、何も考えていないのかよ! カネと権力だけ? それでいいのかよ、お父さん!」と指摘することが、三葉(中身は瀧君)にはできたでしょう。

 バレていないはずの汚職がバレることを予言されて、うろたえる一方で、町長の内心には、三葉(中身は瀧君)の指摘が刺さります。「俺はカネと権力が欲しくて町長になったのか?」……しかし、自問してみれば、実はカネと権力への欲望は、本心の本心のところにはありません。「……だとしたら……なぜ、俺はこんなにも、町長であることに固執しているんだ?」という、素朴な疑問が湧くことでしょう。

 回答として……

「理由はともかく、何が何でも、俺は今、ここで町長をしていなくてはならないんだ!」といった、奇妙な使命感めいた運命論が心の中に形成されるかもしれません。

 家族を捨てて、悪事を働いても、住民に嫌われようとも、とにかく俺は今ここで町長をしていなくてはならないのだ!……でも、それは、何故だ?

 という疑問も、同時に閃くでしょう。

 そして突如、脳裏に閃くのではないでしょうか。

「俺は、今、ここで町長であるべく運命付けられて、そうしているのだ!」と。


 そして、いったん三葉(中身は瀧君)はその場を引きさがり、町長に、考える時間を与えることになるでしょう。


 そういった演出が隠されていれば、この“第一の説得”の場面に、より大きな意味が生まれていたと思われます。



 続いて、画面に描かれてはいませんが、中身が三葉に戻った三葉自身が、町長のもとへ駆けこんで行ったと思われる“第二の説得”です。


 ここは具体的な描写がなく、完全に想像するしかありませんが……




   【次章へ続きます】

  


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