63●『グランド・ツアー』(10)……ラストシーンの美しさ、切なさ、懐かしさ。

63●『グランド・ツアー』(10)……ラストシーンの美しさ、切なさ、懐かしさ。




       *


 最後に、『グランド・ツアー』のエンディングです。

 暖炉の前で電話を受けていたヒラリーが、ふと父親の姿を探す、あの場面ですね。

 短いですが、観たあとでしばらく考えてみると、見える風景の裏側に、心をえぐるような、切なさメガトン級の結末が浮かび上がってくることに気づかされます。

 世の数ある時間SF映画のエンディングの中で、これ以上のものはないと思える、とびきりの終わり方なのです。


 艱難辛苦の末にヒラリーを救い、そして妻を亡くしたことによるトラウマを克服したベンの、平和な心に残された最後の望みは、もちろん……

 あと一度だけ、あの時の過去へと……

 そうなるでしょう。

 もうひとつ、救いたい命のために。

 そして、ヒラリーの耳に届いてくる、あの美しいピアノの響き。


 最後のタイムトラベルに赴いたと思われるベン・ウィルソンが、再び1991年の現在へ生還することができたのか否か、映像は語ってくれません。


 結末のひとつは……

 ベンにとって全てが叶えられた、この上ない幸せに満ちたハッピーエンド。


 たぶん、そうだと思います。この物語はハッピーエンドなのだと。

 しかし、そうではない可能性も、隠されているのです。


 ベンが再び時間旅行を行うことは、新たな危険を生み出したかもしれません。

 というのは、その前の場面で、タイムツアーのマネージャーらしき白服の男が語っていたからです。

 ……全ての旅行を中止させた、と。


 それは、タイムツアーによって、予期せずに発生するであろう歴史改変を今後一切、防がねばならなくなった……ことを意味するのかもしれません。

 これは、ベンがさらなる歴史改変を試みれば、時間の安定性を崩し、未知の危険を生じることになる……と暗示しているのだと、理解することもできるでしょう。


 とすると……


 もしかすると時間を支配する神様は、歴史のバランスを保つために、“今後も歴史を改編するかもしれない、危険な不安定要素”となったベン自身を歴史から消去して、妻の方を歴史の中に残す……という選択をしたのかもしれません。

 そんな可能性が、エンディングの画面に残されているように思えるのです。


 ベンは思いを遂げ、そして去った。


 そうだとしたら、時間SF映画の中で、他の作品を一段と抜きん出た、しんみりとした切ない余韻を引いてゆく、まさに最高傑作の終幕だと言えないでしょうか。



 この、二通りの結末を残して、『グランド・ツアー』はエンドロールとなります。

 サウンドトラック曲も、全篇を通じて、なかなかいい感じでしたね。

 (映画『偶然の旅行者』(1988)のジョン・ウィリアムズの音楽にどことなく似た雰囲気です)


 エンドロールの“スペシャル・サンクス”に日本人の名前もみられます。

 日本の地方放送局が共同制作に参加していたと言われています。

 まったく、なぜ国内でDVDが発売されていないのか。

 観たいですよ、いつか、デジタルリマスターで。


 この結末の美しさと切なさ。

 観れば観るほどに味わいが深まる、珠玉の作品なのです。


        *


 さて、『グランド・ツアー』は、普通にさらりと流し見すれば、さほど製作費をかけていないB級SF映画という印象を受けます。

 全体に、地味といえば地味。

 特撮場面はありますが、大惨事の瞬間はどうみてもミニチュアワーク、CGはほとんど使われていないようです。派手なバトルはなく、ラブシーンも抑制されていて、デロリアンのような、カッコいいアクティブなメカが活躍する場もありません。

 あるのは、ごくありふれた田舎町。

 型落ちめいた、中古っぽいライトバンやマイクロバス。

 携帯電話の普及前なので、のんびりした固定電話。なんとダイヤル式です。

 電柱と電線のある風景。

 合衆国の中でも、時代から取り残され気味の地域らしく、雰囲気はむしろ70年代といっていいほどです。

 ほぼ50年代の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の田舎町に近いのどかさですが、『バック……』が完全セット再現なのに比べて、こちらは、どこかの本物の田舎町を複数回ロケ撮影して、おそらくその画面を繋ぐことで、グリーングレンという架空の町を創り上げているのでしょう。


 しかしそれでも……

 それがまた、魅力的なのです。

 ただの田舎とはいえ、優美な曲線が特徴のロココ様式のひとつ、クイーン・アン様式の木造建築がちらほらと残る、可愛い街並み。緑豊かな森林に田園地帯、あの『マディソン郡の橋』(1995)よりもクラシックな感じの屋根付き橋カバードブリッジが登場するなど、実際に旅してのんびり滞在してみたいと思わせる別天地。 

 ロケだからこその視覚的リアルさと、なによりも懐かしさにあふれています。


 作品の制作年も、舞台の設定年も1991年であり、すでに映像の中身が古びていることもあるのですが、それでも、繰り返し観ても飽きないのは、おそらく日本人の鑑賞眼からしても、心が落ち着く郷愁を誘う風景ランドスケープだからでしょう。


 つまりこれ……

 ジブリアニメの世界ですね。

 なにぶん、馬橇うまぞりと、年代物っぽい70年代風のライトバンが同居しているのですから。


 それに登場人物。

 救いがたい悪人、がいないのです。

 ちょっと性格が意地悪な人はいますが、犯罪者クラスの悪人ではなく、意地悪にもそれなりの理由があることがわかります。

 暴力シーンも、たぶんベンが一発殴った程度でしょう。

 未来人たちも、乱暴すぎる行為には出ません。下手すると歴史改変につながってしまいますから。

 とすると、誰もが、どこにでもいそうな、普通の人々ばかりなのです。


 ということで……


 観るにつけ、ジブリアニメの風景やキャラと重なります。

 だれか、この作品、ジブリ風にアニメでリメイクしてくれないかなあ……

 日本のアニメにフィットする、とてもいい雰囲気の世界観なんだけどなあ……


 そんなことを思います。


 あ、しかし、このままアニメ化すると、あの国民的ヒット作のアニメの後半部に、そっくりってことになりはしないかなあ?

 いや、しかし、『グランド・ツアー』の方がずっと先に発表された作品だぞ……。


 それだけに、いつまでも忘れられて欲しくない……

 いや、忘れたころには必ずもう一度観たくなる、歴史的な傑作なのです。




       *


 最後にひとつ、付け加えますと……


 『グランド・ツアー』は、“過去に戻って少女の命を救おうとする”お話です。

 で、同じシチュエーションが登場する、時間SF映画の名作がありましたね。

 『ジェニーの肖像』(1948)。

 こちらも、数年前の“過去に戻って少女の命を救おうとする”お話です。 

 ヒロインの名はジェニー・アップルトン。

 で、なぜか、『グランド・ツアー』に出てくる、街の中にあるホテルの屋号は……

 アップルトン・ホテル。

 そのホテルの女将さんの名も、スー・アップルトン。

 ベンに好意的に接してくれる女性として、いい味わいを出しています。

 そして彼女も、過去に戻ったベンによって命を救われます。

 偶然かもしれませんが、大先輩の名作に対する密やかなリスペクトとオマージュが込められているのかもしれませんね。




       *



※字幕の訂正指摘:上映中の日本語字幕で、サンフランシスコ地震が「1966年」と表記されていますが、正しくは「1906年」です。






    【次章へ続きます】



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