62●『グランド・ツアー』(9)……大いなる時間論の彼方に。

62●『グランド・ツアー』(9)……大いなる時間論の彼方に。



       *



 とはいえ、時間を超えて一日先の未来からやって来た自分が、過去の自分自身と顔を合わせるどころか、共同作業までやらかしてしまって、いいのでしょうか。

 しかも明らかに歴史改変です、タイムパラドックス満載です。

 しかし、このことについて、『グランド・ツアー』は、誠実にも、きちんと回答を示してくれます。

 作中で、未来人のツアーマネージャーみたいな白服の男がベンに語る言葉です。


 ……時間というものは簡単には壊れない、弾力性があるからね。


 “時間とは、こういうものだ”と、ひとつの見方を示してくれるのです。

 科学的な専門用語を使うと観客の理解がついていかないので、科学というよりも、むしろ“時間哲学”というべき表現になりますが、はっきりと、作者の側からの見解が表明されているわけです。


 100分に満たないTVドラマサイズの尺で、よくぞここまでまとめ上げてくれたものだなァ……とつくづく思います。


 つまり、歴史改変によって無限に時間線タイムラインが分岐して、いくらでもパラレルワールドが生まれていく……という、“量子力学に基づく多世界理論”は採用せず、あくまで時間線タイムラインは一本の大河であり、両岸の堤防を決壊させるようなことさえしなければ、適宜、その流れが河川敷の形を変えて蛇行するなどの変化があっても、歴史全体としてはバランスがとれており、破綻しない……という立場なのだと思われます。


 もっとも、“量子力学に基づく多世界理論”を説明しろと言われても、正直、私には概ねちんぷんかんぷんなのですが……


 時間って、何なんだ?


 大変基本的な疑問ですが、その疑問に答えてくれる作品は少数派です。

 いや、作品なりの回答はあるのでしょうが、脚本の中に盛り込み、言葉にして観客に伝える作品には、なかなかめぐり逢うことができないということでしょうか。


 たとえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズは、コメディ作品とはいえ、タイムパラドックス事案の掛け合いと言いたくなるほど、歴史改変が、やり放題であり、それをまた現地時間に出掛けて行って修正する……という物語ですね。

 それでも歴史が破綻しないのは、ひとえに、タイムマシンがドクの発明品一台限りだからでしょう。(何台もあったら、とんでもないことになったでしょうね)……といってもpart3のラストで、でっかい新型が登場しているので、この先はかなりハチャメチャに歴史が乱れていっても不思議はありませんが……

 しかしそのストーリーの中で、「時間とは、こういうものでは?」という観客への提言と説明は、残念ながら適当に端折はしょられてしまった感があります。

 まあ、真面目に説明しても、かなりめんどくさい内容になったことでしょうが。しかしそれゆえに、SFとしてみると、目からうろこが落ちるような、“時間というものに対する既成概念の打破”は感じられないわけです。


 あくまで個人的な感想ですが、たとえ概念的にでも「時間とはこういうものだ」という物語の大前提となるルールを観客にしっかりと伝えてくれる方が、SF的な面白さを高めると思うのですが……


 その点を『グランド・ツアー』は頑張って満たしてくれます。


 お話のラスト近くで、ついにヒラリーの救出に成功したベンの前に現れた、ツアーマネージャーみたいな白服の未来人が、時間と歴史のありようについて語りかけてきますが……

 このときのベンの返答と、苦笑をもって答える未来人の“恐れ入った”と了承するやりとりが、この時間SF映画を、傑作中の傑作として締めくくっていると思います。


 ……タイムパラドックスは発生した。

 それは歴史の一部分を不安定にしてしまった。

 ……しかしそれは、むしろ良い結果を産み出した!



 お見事ウェルダン! というべき結末かと存じます。


         *


 さて『グランド・ツアー』では、もう一つ、基本的な疑問が引っかかりますね。

 主人公のベンは、なぜ、奇妙なツアー客が未来人であることを、ああも簡単に見抜けたのでしょうか?


 ふつう、SFでは主人公かサブキャラを科学者に設定して、その豊富な知識に基づく論理的帰結として、「おおっこれは時間移動だ! こいつらは未来人だ!」……と、通常ありえないタイムトラベルを、実現可能なものであると観客に認識させてくれますね。

 しかしベンは科学者でなく、その方面の専門知識は全く持ち合わせていません。

 なんとなく、感覚的な判断で、旅行者たちを未来人と断定したように見えます。

 ここは謎のままでして、明瞭な説明はできかねますが、下記の可能性があるかと思います。


 ひとつは、物語の年代設定が1991年であり、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズが完結した翌年であること。ベンがこのシリーズを観ていた可能性は十分にあり、かなりのブームになったことから、時間移動の具体的なイメージを持っていたのではないかと思われます。特に、タイムトラベラーが過去へ戻って、身近な家族や友人に関わる出来事を改編することが可能であるとの認識を、比較的容易に抱くことができたかもしれません。


 ふたつめに、時間旅行者たちが常用していた“お茶”の効能です。

 あれは、ただの嗜好品ではなく、時間旅行をするための必須服用薬ではないか? ……そんな気がするのです。


 まず、その香りを嗅ぐことで、時間旅行に必要な最低限の知識、たとえばタイムマシンの使用マニュアルや、守るべき旅行規則などの注意事項が、脳内に記録されるとか。というのは、時間旅行者たちはいちいち分厚いタイムマシン教本や旅行約款を確認して参加するとは思えないからです。

 ベンはこの香りを何度も嗅いだことで、そうと自覚することなしに、タイムマシンの使用法を脳内にイメージすることができるようになったのではないか、だから旅行者たちが未来人であることを、率直に理解できたのではないか……と解釈することはできないでしょうか。


 また、同時に、“お茶”を飲むことで、生理的に、時間移動に適した体質を獲得する……といった効果もあったのではないか、と思います。時間跳躍しても身体の分子結合の一体性を失わないとか、少なくとも行先の地にはびこる未知の風土病ウイルスなどに対して、万能免疫を備えておく即効ワクチンとしての機能は必要でしょう。


 さらに、この“お茶”を飲用していなければ、タイムマシンは動いてくれない……とか、その程度のセキュリティも必要不可欠なはずです。というのは、タイムマシンは携帯可能な小型装置ですので、うっかり紛失して現地時間の人間に乱用されるといった不祥事を防がなくてはならないからです。実際、ベンはタイムマシンを手に入れてしまいます。


 未来人たちの、お茶……“Tea”は、ちょうど、小説作品『時をかける少女』に重要な時間移動の補助アイテムとして登場する“ラベンダーの香り”に似たようなものだったかもしれませなんね。


 “Tea”とは、ひょっとしてタイム・エンゲージメント・アシストの略だったとか?

 まあ、私の勝手な妄想ですが、このように納得させてくれる解釈の余地が残されているところも、『グランド・ツアー』の魅力の一つですね。





  【次章へ続きます】




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