61●『グランド・ツアー』(8)……パラドックス何のその、ダメ親父がんばる!

61●『グランド・ツアー』(8)……パラドックス何のその、ダメ親父がんばる!




       *


 愛娘ヒラリーを救うには、タイムマシンで一日前へ戻らねばならない。

 初めての時間旅行に挑む、ダメ親父の主人公、ベンなのですが……


 早々に、タイムパラドックスをやらかします。

 なにぶん徒手空拳で一人ぼっちのタイムトラベル。

 頼れる相棒がいません。

 友人知人はいるものの、もうすぐ街の半分がフッ飛ぶなんて警告しても、当然、信じてもらえません。

 ヒラリーの命を救うため、理屈抜きで協力してくれる人物はただ一人……

 一日前の自分自身だ!


 過去の自分にガチで出会って……

 一緒にヒラリーを救うんだ、がんばれ自分!

 ……と説得するのですが、これってもう、タイムパラドックス満々ですね。


 “だいたい、同じ場所に、自分が二人存在していいのか?”


 そんなことを、相手の自分に指摘される始末。

 しかし、ここで時間理論を戦わせるどころか、二人ともそんな知識は鼻から持ち合わせていません。


 “知るかコンチキショー! とにかくいうことを聞け、ヒラリーが死んじまうぞ!”


 お互いの無知が幸いしてか、二人…過去と未来の自分…は、とるにもとりあえずタッグを組むことになります。

 しかし、たとえヒラリーの救出に成功しても、そうすれば未来の自分は一日前の過去に戻る必要がなくなり、この場に来ているはずがありません。もう、頭からどっぷりとタイムパラドックスに浸かっているのですが、ベンは元大工であって学者先生ではありませんので、そんなことは気にしようもありません。

 それよりも大災厄の瞬間が刻々とせまってきます。

 切羽詰まった二人、面倒な理屈はそっち置いといて、とにかくフィジカルに肩組んで行動あるのみ。

 このあたり、二人のダメ親父ぶりがとてもラッキーに作用しているというか、タイムトラベルの難しいルールは完全に無視、ひたすら歴史改変一筋に走ります。


 

 これって、 “歴史に干渉しない”という未来人のツアー客たちと、真逆の対応。

 それでいいのか?

 観客の理性的な心配をさておいて、二人は街へと車を走らせますが……

 そこはそれ、どちらもダメ親父。

 同じ脳が二つ並んでいるのですから、片方が他方に従うということをしません。

 必然的に口喧嘩。正確ではありませんが、だいたいこんなニュアンスの口論です。


“自分の娘ひとりだけ助けて、あとは逃げるのか?”

“じゃなんだよ、住人全部助けろってのか? 無茶を言え”

“その気ないのか? そうかお前、昔、ヨメさんほっといて逃げたよな”

“なにィ、てやんでェ! それ、お前が俺に言うか!?”


 そんな感じですね。

 考えてみれば、ダメ親父が二人並んでも、やっぱりダメ親父同士でして、自分で自分を罵倒する場面のヘンテコさ。本人同士は大真面目ですが、ちょっと笑えます。

 まあしかし、自分と自分の口論は、究極の自己反省会みたいなものでして、トラブルを経ながらも双方納得して、ついに、街の住民を一人でも多く救うための奇策を思いつくに至ります。


 ここまでで、物語としてはほぼ八割が経過しているのですが、ベンは主人公であるにも関わらす、ちっともいいことがありません。

 全編を通じて、ほぼ、踏んだり蹴ったり。罵倒されてケガするわブチ込まれるわ。

 精神も肉体も、ルパン三世的に言えばケチョンケチョンの状態です。

 それだけに、ここで名案を思い付いて、街を救うため敢然と起ちあがるブレイクスルーは、実に爽快。

 観客として、心の中で喝采する瞬間です。


 自分と自分の二人三脚で、街の危機から顔を背けて逃げることをせずに、正面から闘いに挑む……

 それは、ベンの長年のトラウマであった、妻の死に対する自責の念を克服することでもありました。


 この奇策のアイデアも、さすがです!

 住民の宗教的な信仰心に訴えかけて、危険地帯から引き離そうとするのです。

 おそらく、アーミッシュという、ベンにとって異教の人々への畏怖と、神罰への恐怖の念によって妻を失ってしまった苦渋の出来事に対する、自分の心の解決がもたらした妙案……それはまた、ベンの心にとって、神の救済ではなかったかと思います。

 人々を大災厄から避難させるために、間接的ながら“神の声”を借りたとも考えられるのですから。


 そして夜陰に響き渡る音から、生前の母が弾いていたピアノ曲『エリーゼのために』の音階を聴き取ったヒラリーが、もしや……と気付いて走り出す場面は、胸にグッと刺さりますね。

 お母さんだけを思い出したのではありません。

 母からピアノを教わって、不得手ながらたどたどしく『エリーゼのために』を弾いていた父親ベンの演奏ではないか、と直感したのでしょう。

 このヘタっぴいプレイは、絶対に、お父ちゃんだ!

 父のもとへ全力疾走のヒラリー。

 もう誰も彼女を止められません。美少女は無敵ですね!


 本当に、素晴らしい場面でした。


 (ベンのピアノ演奏がどれほどヘタクソなのかは、先に、自宅のピアノを弾くベンの演奏を聴いたバス運転手のオスカーがあきれる場面があり、キチッと伏線が講じられています)


        *


 大災厄から不特定多数の人々を救うため、主人公が住民の避難行動を仕掛ける……というシチュエーションは、後年の劇場アニメ『君の名は。』(2016)にも登場しています。

 これがまた、そっくりで、『君の名は。』を観たときに、『グランド・ツアー』のデジャブに襲われる気分でした。

 状況的には、ほぼクリソツ。

 ただ、比較しますと、住民を避難誘導する方法論としては『グランド・ツアー』の方がはるかにスマートで、より感動的であると感じます。

 あくまで個人的な感想ですが……


 なお、“住民を山津波の災害から避難させる”という場面が、TVアニメ『絶対少年』(2005)の11~12話に描かれていて、こちらもなかなかスマートな避難方法が実行されています。


 『絶対少年』も地味な作風で注目度が少ないようですが、私はこれも大好きです。

 21世紀のTVアニメとして、トップテンに入る名作じゃないかと思います。

 余談ですが、『絶対少年』の作風はとかく、ホラーとか、あやかしの方向に処理されがちですが、そうではなく、妖精のような未知の存在が、“日常の中に忍び寄る可愛らしい不思議”として表現されたことに、新鮮な感動を覚えました。

 しかもそれら不可思議な事象が、じつにのんびりとした田舎の田園風景をバックに、ジブリアニメ的なのどかさの中で描かれていくものですから……

 可愛らしい不思議なものが、本当にいるかもしれない、そして、そこにいるだけで楽しく、幸せな気分になれるかも……そんな郷愁めいた気分にさせてくれます。

 こんな作品は、これまで、ありそうでなかったことに気づかされます。

 ……そういったオリジナリティの深さが、『絶対少年』を、他に類を見ない貴重な作品に結実させたといえるでしょう。





  【次章へ続きます】





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