60●『グランド・ツアー』(7)……重要な伏線:舞台はオレゴンでなくオハイオ州!
60●『グランド・ツアー』(7)……重要な伏線:舞台はオレゴンでなくオハイオ州!
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『グランド・ツアー』には重要な伏線がひとつ、仕込まれています。
映像の冒頭で、真っ白な雪原を走る
一頭の馬が雪をかき分け、スローな足取りで三人乗りの
路肩の積雪は一メートルほどありそうで、雪道のカーブでは、
そこへ、主人公のベンが助手席に妻を乗せて、機嫌よく車を走らせてきて……
カーブの出会い頭に、激突。
馬車vsライトバンの交通事故です。
当てられた馬が悲鳴を上げて跳び跳ね、その金属の
妻は死亡しました。
この不幸な事故の結果について、それから一時も絶えることなく自分を責め続けたベンは、性格も鬱屈ぎみになり、酒に頼るようになります。
ダメ親父、ベンが、全編を通じてトラウマとして抱え続ける、心の傷の深さです。
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この交通事故の場面は、作品の中で三回繰り返され、ベンの心に憑りついた悪夢のような自責のイメージとして、観客の心に植え付けられます。
というのは、この“妻の死”が、全編を通じてベンの心を責めさいなむ、“過去の災厄”であり、その不幸の源泉をいかにして克服するかが、ヒラリーの救出と並ぶ、もう一つのテーマとして、ストーリーの背面に横たわっているからです。
そしてこの、三回分の回想を私たちが頭の中でつなぎ合わせることで、初めてこの事故の全貌がわかるようになっています。
これが、『グランド・ツアー』の物語に隠された最大の伏線です。
ベンは、いかにして“妻の死”を克服するのか。
ストーリーの最後、映画のラストシーンに、その回答が示されます。
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さてそこで、“妻の死”がなにゆえにベンのトラウマと化したのか。
その理由、少し根掘り葉掘りしてみたいと思います。
そして、妻は死亡。
以来、ベンは、妻の父親である判事の意地悪爺さんからネチネチと責任を追及されます。
なぜ自分だけ逃げた、いくじなし、ろくでなし、それでも男か、お前の顔なんか見たくもない……そんな罵詈雑言を浴びせられ続けたことは間違いないでしょう。
にしても、なぜ、ベンは逃げ出してしまったのでしょう。
職業は大工。体力は人並み以上にあるはずです。
クルマを全力でバックさせて脱出するか、それが無理なら妻の身体を車の外に出して危険から引き離すことができたはず。
それができないほどに、おそらくベンはそのとき、心理的に我を忘れてパニクっていたと考えられます。
なぜ?
この事故によって、なぜ、ベンの心は深々と傷を負ってしまったのか。
考えてみましょう。
この作品の結末を理解するうえで、大きな要素になりますから。
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ここでひとつ、確認しておきます。
『グランド・ツアー』の作品の舞台である田舎町グリーングレンは、アメリカ合衆国の、どこに位置しているのか。
意外と、大事なことですね。
場所の特定は、作品からおおむね可能です。
街の教会の鐘を鳴らす器械が壊れており、その修理にあたって、プロの専門家が「コロンバス」にいるけれど、費用がかかる……といった意味のセリフがあります。
コロンバスは、オハイオ州の州都です。
そして、街の保安官事務所の壁に、コロンバスを中心とした周辺地域の略図が貼りつけてあるのが、わざとらしいほど明瞭に映されています。
グリーングレンはオハイオ州に含まれる田舎町であると特定できます。
※国内の映画サイトにおける『グランド・ツアー』の解説では、なぜか「オレゴンの田舎町でホテルを営む親娘」とされているものがありますが、オレゴンというのは誤りで、正しいのはオハイオ州です。この田舎町の名前「Gleenglen」でネット検索すると、フランス語の映画解説サイトで「Gleenglen, petite ville de l'Ohio, 」となっていまして、やはりオハイオです。
ただし映画のロケはオレゴン州でも多く行われていることが、エンドロールの“スペシャル・サンクス”の表記から推測されます。
最初に日本語サイトを見て、グリーングレンが「オレゴン州」であるという先入観を持つと、作品内容を理解するうえで、ちょっとしたミスリードを犯します。
オレゴン州は西海岸の北方にありますが、対して、オハイオ州は五大湖のひとつ、エリー湖の南岸に接する地域です。両州は東西に三千キロほど離れていて、気候もオハイオ州の方が、より寒くなります。
そしてなによりも、宗教的信条によって、合衆国の植民当時の生活をそのまま続けているアーミッシュの人々が多く住み、最大の共同体が存在するのがオハイオ州とされています。
その他の居住地域はペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などでありますから、かれらとオレゴン州では出逢うことは滅多にないでしょう。
アーミッシュの人々は厳格な戒律のもと、質素な生活に徹しています。
主な交通機関として馬車を使い、そのまま公道を走るので、車両との事故が散発しているようです。
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つまり、そういうことです。
『グランド・ツアー』の設定年代は1991年です。
なのに冒頭では、
日本人から見ると、なんともシュールな光景。
1991年に、なんで
最初、ビデオを見たとき、アーミッシュみたいだ、と思いました。
しかしネットの映画解説では“オレゴン”となっていて、ちぐはぐな感じ。
しかし、ここがオハイオ州なら、説明がつきます。
そうか、アーミッシュの人たちの
……と、思ったわけです。
とすると、きっと主人公のベンも、そう思ったことでしょう。
ベン自身、地元のオハイオ人、馬車とくればアーミッシュ……の土地柄です。
ただし実際は……
回想の画面を繰り返して見ると、車に衝突して転倒した
その服装はしかし、アーミッシュではありません。
一般人が趣味か遊びでクラシカルな
しかし事故ったばかりのベンは、そこまで目が行き届きません。
おそらく彼は、自分の車がアーミッシュの人たちの
そして、その数分前に時間を戻してみましょう。
ベンはライトバンの助手席に妻を乗せて雪道をドライブ、ちょうど『マディソン郡の橋』にみるような
妻が言うには、この橋は昔から、干草を載せた馬車に乗ってきた若い男女が、橋の中に入ると周囲から見えなくなるのをいいことに、こっそりキスを交わす……という、いわば
故事にあやかった二人、橋の中でクルマを止めて、キスを交わします。
夫婦ですからね、大人の熱いキスです。
旦那のベン、そこでムラムラ。やる気に燃え盛ります。
五分で家に帰ってよ、と誘惑する妻。
よっしゃ、と車を飛ばすベン。超特急で帰宅して、二人でいいことしよう。
このときベンの頭の中は、間違いなくエロスとスケベの妄想が充満。
ブワッと飛ばしたところで、不意に目の前に
激突、暴れる馬、その
きっと、ベンは思い込んだのです。アーミッシュと激突した! と。
アーミッシュの人たちは自らに厳格で穏やかそのものですが、だからこそ、普通の人がみだりに接触すべきではない、宗教的に別格化された、神聖な存在でもあると思われます。
周囲の住民から奇異な目で見られることもあるでしょうが、おおむね地域に溶け込んでおり、トラブルを避け、宗教的なリスペクトと畏怖の念を同時に受けているのではないでしょうか。
だから、かれらに面白半分に干渉して、冒涜などしてはならない。
しかしベンは、その人たちと事故を起こしてしまった!(と思い込んだ)。
同時に、興奮し怒り狂った馬に襲われた。
スケベ心満々で、Hなあんなこと、こんなことを想像していた自分に……
清廉で聖別された人々の馬が、罰を下した!
そんなふうに、ベンの心の奥底の宗教的な信仰心がショックを受けたのではないかと、そう私は思います。
これは馬ではない、神罰なのだと。
自分の理解を越えたアーミッシュの人々への畏怖心と、猥褻な想像にひたっていた自分への罪悪心に打ちのめされて、ベンは心理的なパニックに陥り、ひたすらその場を逃れたいと走り出してしまった……
そうではないか、という気がします。
肉体的には強健なベンが、冷静な判断を失って逃亡したのは、たぶん自身の宗教的な信仰心に破綻を感じたからではないか? と想像するわけです。
そうやってベンは逃げ、置き去りにされた妻は命を落としました。
一次的に精神錯乱をきたしたとはいえ、妻の死は、ベンの責任です。
ダメ親父の烙印を自ら受け入れ、妻の父親である判事の爺さんからはボロクソにけなされ続け、日々、自責の念に悶える日々がベンを待ち受けていました。
唯一、彼の気持ちを理解してくれる愛娘ヒラリーを除いて……
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そしてこのトラウマが、ベンをして死に物狂いでヒラリーの救出へ向かわせることになります。
ヒラリーは妻が残してくれた、かけがえのない形見でもあったからです……
【次章へ続きます】
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