29●『ホルス』から『かぐや姫』へ(11)…『崖の上のポニョ』は『人魚姫』とは異なる“誕生”の物語。


29●『ホルス』から『かぐや姫』へ(11)…『崖の上のポニョ』は『人魚姫』とは異なる“誕生”の物語。





 これは筆者の私見ですが……


 『崖の上のポニョ』(2008)の物語を、おにぎりのようにくるりと丸めて「要するに……」と唱えて俯瞰してみますと……


 お魚の子供のポニョ(本名ブリュンヒルデ)が、

 突然、「人間になる!」と決意して、

 強大な魔法力を発動、

 世界は大混乱しますが、

 ポニョのお母さん(女神様)が事態を収拾、

 ポニョは友達の宗介君の“妹”として、

 人間になってこの世に誕生します。


 ……と、ものすごくシンプルなお話です。

 数あるジブリアニメの中で、物語構成が最も単純である、と言っていいでしょう。


 なぜなら、ヒロインのポニョに、一辺の迷いもないからです。

 「人間になる!」と決めたら、それを実行するだけです。

 普通、彼女の前には様々な苦難やら人生のハードルが立ちはだかり、問題解決に努力する過程で信頼できる仲間と出逢い、友情をはぐくんで、最後は力を合わせてラスボスを倒す……というのがジブリのみならずディ〇ニー的アニメ作品の常套手段でありました。


 宿敵の悪玉がいて、それを倒す。


 まあたいてい、この要素がありましたね。

 主人公が正義であり、悪玉をやっつけるか、もしくは難度の極めて高い試練に挑戦し、それを克服することで目的を達成する……

 強力な悪玉か難関の試練。

 スター・ウォーズからワンピースまで、これ、古今東西の定番です。


 ところが『崖の上のポニョ』は、この定石を外しました。

 悪玉は出てきません。

 “試練”はありますが、サラリと終わるので、試練なのかどうかわかりません。

 宗助君には“ポニョは魚の子だったけど、それでいいか”。

 ポニョには“魔法が使えなくなるけれど、それでいいか”。

 グランマンマーレが出した“試練”はこの二点だけです。

 文字通り“子供にもわかる”条件に、“いいよ”とうなずくだけ。


 試練といえば試練ですが、サスペンスフルな必死さはありません。

 そこにはただ、「人間になる!」というポニョの強い意志があるだけです。


 『崖の上のポニョ』は巷では、アンデルセンの童話『人魚姫』の翻案であると言われます。

 『人魚姫』には、なにやら悪玉っぽい魔女が出てきますし、人魚姫が人間の姫になるためには、壮絶な苦痛を伴った試練が課せられます。失敗したら自分自身が水の泡と消えてしまう、“死のプログラム”さえ設定されています。


 しかし、『崖の上のポニョ』には、そういった恐ろしい要素は存在しません。

 ここでふと思います。

 なにかにつけて『人魚姫』と関連づけるのは、いつの間にか誰かのいたずら心で私たちの意識に植え付けられた“先入観”であって、じつは、本質的に別次元の物語ではないか? という疑問です。


 厳密には、『崖の上のポニョ』のどこにも、“人魚”という表現は出てきません。

 ただし“半魚人”というセリフはあります。

 物語のラスト近く、グランマンマーレが宗介君に、「ポニョの正体が半魚人でもいいですか?」と確認しています。

 ここでポニョが“人魚”ならば、宮崎駿監督はグランマンマーレに、 “半魚人”でなく“人魚”という言葉を使うよう、シナリオに書かれていたはずです。

 ですから……

 ポニョは“半魚人”ですが、“人魚”ではないのです。

 人魚と同じではありません。


 そこで一度、『人魚姫』との関係を捨て去って、この物語を眺めてみましょう。


 『人魚姫』は、人間と魚のキメラ生物といえる“人魚”が、人間になろうとする物語でした。

 少女とはいえ、憧れの王子様との結婚を具体的に望むことのできる年齢です。

 ほぼ“大人”のキメラ生物が、同じく“大人”の人間の女性へと“変身”するお話です。


 『崖の上のポニョ』のポニョは、「ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子」と歌われているように、もともと“魚の子”であって、“人魚”というニュアンスとは異なります。

 そして“人魚姫”との大きな違いは、魚類のポニョが人間の女の子になったとき、年齢はわずか五歳であり、誰かに育ててもらわなくてはならないことです。

 つまり……

 人魚姫は人間になっても母親を必要としませんが、ポニョは人間になった瞬間から、自分を育ててくれる母親を必要としているのです。

 “おかあさん”が必要であること。

 この“おかあさん”になるのはリサですね。

 ポニョの本当の母はグランマンマーレですが、人間、それも五歳の女の子になるということは、新しい人間のお母さんが、ポニョのことを引き受けてくれなくてはなりません。

 物語のラスト近く、水中の“ひまわりの家”でグランマンマーレがリサと話し込んでいたのは、そういうことでしょう。リサに頼んでいたのです。私のかわりにポニョのお母さんになってくれますか……と。


 ということは、赤ちゃんほど小さくはないにしても、ポニョのいわば里親となるリサにとって、新しい子供…ただし授乳期を飛び越した五歳の娘…が生まれたのと同じです。

 これがポニョの、人魚姫とは決定的に異なる点ですね。


 人魚姫は、人間への“変身”のお話でした。

 『崖の上のポニョ』は、お魚の女の子の、人間としての“誕生”のお話なのです。


 ポニョという五歳の女の子の、“誕生”の物語。

 それも、人びとに祝福される、めでたい誕生の物語。

 ポニョの誕生は、周囲の人々にとって、とても幸せな出来事と受け止められます。


 作品の公式キャッチコピーは……

 “生まれてきてよかった”


 作品が扱っている最も重要なテーマは、“誕生”と考えて間違いないでしょう。



 さて、『崖の上のポニョ』(2008)には、神様が登場しています。

 全ての海洋をおさめる、“海なる母”であり、これはもう、海洋神と断定していいでしょう。


 ということで『崖の上のポニョ』は、“神様に見守られた誕生”の物語なのです。



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