28●『ホルス』から『かぐや姫』へ(10)…神の椅子は用意されていた。『ホルス』に隠された残酷な神と優しい神。

28●『ホルス』から『かぐや姫』へ(10)…神の椅子は用意されていた。『ホルス』に隠された残酷な神と優しい神。




 『風の谷のナウシカ』、『未来少年コナン』『太陽の王子ホルスの大冒険』には、神様がどこに、どのような形で存在しているのでしょうか?

 最後に、『太陽の王子ホルスの大冒険』です。



●『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)

 この作品は物語構造がじつに複雑で、表面に姿を見せる現象で語られる物語と、その裏面に隠されている隠喩メタファーで語られる物語が錯綜しています。

 説明しようとすると文庫本一冊近くになりますので、詳細は後日……

 で、単純化して申し上げますと……

 目に見える現象としては、自然神の位置を占めるのは、悪魔グルンワルドです。

 森の獣たちや、怪物たち、そして“冬”という気象を支配する、これもやはり一種の神なのです。

 困ったことに、神の座に居ながら、職種は悪魔ですので、説明がややこしくなりますが……

 作品の表向けの姿勢として、“人類に害をなす自然は人類に征服されるべし”となっております関係で、グルンワルド氏は悪魔にされてしまいました。

 肩書は悪魔ですが、よく見ると、本質的には神様の分類に近くなります。

 人類による大自然の破壊と収奪を防ごうとしている、元祖自然保護活動神なのですから……。

 たまたま、やり方が戦闘的なので、とある緑のお豆さんみたいな名前の組織に近い過激な存在とされて、ホルスや村人たちから嫌われてしまいましたが……

 神様の名前で出ていないものの、グルンワルドも、準シシ神クラスの神様にはなりえていると思われます。


 しかし、もうひとつ……

 『太陽の王子ホルスの大冒険』には、より大きな神様の存在が明示されています。

 ここが、この作品の一筋縄ではいかないところです。

 もう、見事な隠され方です。

 しかも、読み取り方によっては、『太陽の王子ホルスの大冒険』という作品全体を締めくくる貴重なメッセージであり、物語の最終的な結論ともとれる、重要な暗示を秘めています。


 神様は、二種類。

 ひとつは、“ヒルダの唄”の中にいます。

 迷惑者とされた獣を一撃で断罪する、冷ややかな裁定者の神です。

 歌詞の語り口は穏やかで、微笑みすら感じるのですが、なさっていることは冷たくて残酷そのもの。

 秩序を乱すものは平和の敵として、容赦なく斬り捨てます。

 神罰の執行者としての、神なのです。

「おやすみ、みんな……」とありますので、夜の神様ですね。


 そしてもうひとつ、意外なところに神様がいます。

 “子供の唄”の中に登場する“お日さま”ですね。

 こちらはもちろん、昼の神様。

 いつもニコニコ笑って、屋根の上から人類の営みを見おろしていらっしゃいます。

 罰を下されることはありません。

 でも、いつも見ているんですよ……という事実は伝わります。

 “神様は罰しない、でも、いつも見ておられる”

 だから、神様に恥ずかしくない生き方(問題解決)をしようね、と人類は自戒を促されるのです。


 どちらも“唄”です。

 ですから神様は、唄う人と、それを聴く人の心に宿る、とも考えられます。

 二つの神様は、物語の全体を薄く、ふわりと包み込んでいるのです。

 二つの神様、どちらがいいとは判断できません。

 しかし、どちらかの神様が必ずおられる。

 物語の中で神様は何もなさらない。

 しかしその存在のおおきさは、偉大である……。

 だからホルスもヒルダも、全ての人々が、巡りくる夜と昼の中、この二種類の神様のもとで生きていくのだよ……と、無言で語られているわけです。

 お話はこれで終わるのではない。このふたつの神様がみそなわす世界で、ホルスとヒルダには宿命の過去があり、また未来もあるのだ、と言うことですね。

 この二つの“唄”が、作品に永遠性を与えているのです。


 いやホントに、物凄い作品なのです。

 意図された演出ではないかもしれませんが、結果的にこのうえなく素晴らしい効果をあげている。

 文字通り、奇蹟のような出来栄えと言うしかありません。

 空前絶後の、特別な作品です。


 詳しくは、また後日……




     *


 ということで、『太陽の王子ホルスの大冒険』、『未来少年コナン』、『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』の四作を通観いたしますと……


 『もののけ姫』では、実体のある神様が登場しました。


 しかし、それ以前の三作には神様は存在していないのか? ……と問いますと、どうなのか。

 “我こそは神である”と姿こそ見せないまでも……


 非公式ながら、神様の椅子は用意されていたわけです。


 “神様は姿を見せない、しかし潜んでいる”


 『ホルス』『コナン』『ナウシカ』、この三作では、神様は全くの非存在ではなく、ステルスでスピリチュアルで、サイレンスなのです。

 とりわけ『太陽の王子ホルスの大冒険』における神様の潜ませ方は、文字通り神業かみわざであると言うしかありません。



 ここが所謂いわゆる“宮崎アニメ”のおもしろさの真骨頂でしょう。

 “忘れたようで、忘れていない”

 「忘れものを、届けにきました」は『となりのトトロ』のキャッチコピーですが、“あれはどうなっていたんだろう?”と、後日、気になってもう一度じっくり観賞すると、そこに回答が見つかるのです。遅れてやってきた宅配便のように。


 “真実はそこにある、ただ、見えなかっただけだ”


 繰り返し何度も観るたびに、そう思い知らせてくれるんですから。





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