23●『ホルス』から『かぐや姫』へ(5)…『ナウシカ』はSF、『もののけ姫』はファンタジー。中身は同じ。

23●『ホルス』から『かぐや姫』へ(5)…『ナウシカ』はSF、『もののけ姫』はファンタジー。中身は同じ。






 『もののけ姫』の物語の組み立ては『ホルス』や『ナウシカ』とそっくりでした。

 三作いずれも、“人類vs自然”の対立構図であり、双方の最終決戦へとつながるストーリーです。


 では作品の結末を比較してみましょう……


 『ホルス……』(1968)はもともとエコロジー・テーマを掲げた作品ではなく、大自然の猛威を武器とする悪魔を、文明の力(太陽の剣と、それを鍛える冶金工学)で打ち破ることに主眼が置かれていました。人類の完勝は当然のお約束でした。

 とはいえ、一方で人類の自然破壊行為を当然の権利であるかのように肯定し、全く無批判であることが、のちの環境意識の高まりに照らして違和感を残す結末となりました。


 十年後の『未来少年コナン』(1978)では、大自然は寛大にも、人類の営みとは無関係に急速な回復を見せてくれます。作品のテーマにエコロジーの要素が大きく扱われていますが、それは“今ある限られた資源をいかにして平和的に分かち合うか”という、人類同士の問題に限定され、“人類vs自然”の図式は避けられました。


 そして『風の谷のナウシカ』(1984)と『もののけ姫』(1997)では、まるで 『ホルス……』で見落としていたエコロジーの側面を補完して、同じ設定で作品を作り直すかのように、物語が展開していきます。


 どちらの作品も、一度、人類の前に立ちはだかった大自然の猛威を、人類が科学兵器の力で屈服させたかのように見せます。

 『風の谷のナウシカ』では復活した巨神兵が王蟲の暴走集団を焼き払います。

 『もののけ姫』では、エボシの石火矢が、シシ神の首を破断します。


 しかし前者では王蟲の暴走を止めるに至らず、ナウシカの自己犠牲が必要とされます。

 後者では神殺しへの呪いとみられる、不気味な死の液体の洪水が出現し、動植物や山林やタタラ場を壊滅します。

 この、死の液体は、まるで『風の谷のナウシカ』の瘴気あふれる腐海の再現であるかのようです。大自然が人類の傲慢と横暴に対して下す、神罰であるとも言えるでしょう。

 あるいは、大自然の猛威……自然災害を暗喩しているのかもしれません。

 地震、津波そして洪水、それらの災害に襲われている状況と、まるで同じような光景が展開するのですから。


 さてしかし、『風の谷のナウシカ』ではすんでのところでナウシカが王蟲の進撃を止めます。腐海は危険なままであるものの、以前の静けさを取り戻します。

 『もののけ姫』では、これまでとは異なった、穏やかな自然に変貌します。

 人間の手が入った里山のような、人間にとって心地よい自然ですね。


 つまり両作品とも、“人類vs自然”の対立に、人類側が一歩引いて、折り合いをつけた……という結末になっているのです。


 どうやって、それを実現したのか。

 『風の谷のナウシカ』では、傷ついた王蟲の子をナウシカが群れに返しました。

 『もののけ姫』では、シシ神の首を、アシタカとサンが大自然に返しました。


 つまり、“人類が大自然から奪ったものを、大自然に返す”という補償行為が行われたのです。


 “奪ったものを返す”……これは具体的には、人類が破壊した大自然を、みずから努力して修復することです。禿げた山に植林する、、汚染された川のゴミやヘドロを取り除く、稚魚を養殖して海に返す……といった、自然再生活動ですね。

 そして、破壊活動をほどほどに抑えること……CО2の排出削減も、そういうことでしょう。


 ですから、『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』、ともに誰でも納得できる結末を実現したわけです。


  “奪ったものは返せ、壊すのはほどほどにしろ”


 著名な環境活動家の女の子も、きっと、この結論には納得していただけることでしょう。

 そしてまた、大自然の資源は人類の共有財産だと考えればこそ、森林の違法伐採や絶滅危惧種の密猟に怒る現地の人々も、“勝手に奪ったものは返せ、これ以上壊すな殺すな!”と叫ぶでしょう。

 至極もっともな結論だと思います。



 そうはいうものの……

 それだけでは、当たり前の回答ですね。


 あとから制作された『もののけ姫』(1997)なのに、その結論が“奪ったものは返せ、壊すのはほどほどにしろ”で、十三年前の『風の谷のナウシカ』(1984)と同じであり、進歩がなかったというのは、ちょっと不思議ですね。

 両作とも、物語の結論は同じ。

 しかし、作品の印象はずいぶんと異なります。


 『風の谷のナウシカ』は明らかにSFの世界です。

 人類が対峙する大自然の本質は、“生産者→消費者→分解者”へと流れて繰り返される、エコロジカルな輪廻リサイクルの仕組みでした。

 それは、科学で説明されます。風の谷の城の地下、ナウシカが密かに腐海の植物を育てる研究室は、魔法ではなくサイエンスに依拠しています。

 “人類vs自然”の戦いも、科学の産物である兵器…巨神兵…が使用されます。

 腐海のメカニズムも王蟲やその他の巨大化した蟲たちの生態も、漫画版で科学的に説明されています。


 しかし、『もののけ姫』は、ファンタジーの世界です。

 森の生き物たち、特に、巨大化した猪や犬が人間と同様の思考をしており、サンやアシタカと言語(テレパシーかもしれませんが)でコミュニケートできるのは科学では説明できません。

 コダマなどの森の精霊たち、そしてなによりも森の神であるシシ神(ディダラボッチ)の超常的なパワーや、首を斬られたシシ神から噴出するどす黒い死の液体や、アシタカの体にイソギンチャク状に憑りついたタタリ神など、科学的解釈からはかけ離れた設定で彩られています。


 この違いは、とても重要です。


 “人類vs自然”の構図における“自然”とは何か……と考えるとき、『風の谷のナウシカ』では科学を使い、『もののけ姫』では魔法(と同様の概念)を使って説明しています。


 『もののけ姫』は、『風の谷のナウシカ』とは、物語のジャンルが異なるのです。


 これは重要なことです。『もののけ姫』における大自然は、サイエンティフィックではなく、ファンタジックな存在なのです。

 なぜ、そうなったのか?




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