『太陽の王子ホルスの大冒険』~『かぐや姫の物語』、ジブリの“神様たち”について
19●『ホルス』から『かぐや姫』へ(1)…半世紀の巨大叙事詩。
19●『ホルス』から『かぐや姫』へ(1)…半世紀の巨大叙事詩。
さて、以下はあくまで筆者の私見ですが……
二十一世紀の現在、『未来少年コナン』は、単独の作品ではなく、宮崎駿監督と高畑勲監督が直接間接に関わられた下記の六作品で構成される、ひとつの大きな流れの一部であると理解したいのです。
『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)
『未来少年コナン』(1978)
『風の谷のナウシカ』(1984)
『もののけ姫』(1997)
『崖の上のポニョ』(2008)
『かぐや姫の物語』(2013)
この六作は、それぞれの作品が共通のテーマを異なった角度で処理した、巨大な連作叙事詩として捉えることができます。いやむしろ、そのように鑑賞すべきでしょう。そうしなければ説明できない要素がいろいろと含まれているのです。
いわば『ホルス……』の構想から『かぐや姫……』の公開まで、半世紀をかけて築き上げられた、ひとつの壮大な物語ということです。
なお、傍系として『となりのトトロ』(1988)が加わります。
最初の『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)は、老若男女を問わず絶対に必見の超傑作ですね。この作品を出発点に置くことで、その後の
ぜひ一度、DVD等で、上記の六作を製作年代順にご覧になって下さい。
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まずは、前半を構成する下記の四作品です。
『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)
→『未来少年コナン』(1978)
→『風の谷のナウシカ』(1984)
→『もののけ姫』(1997)。
この四作は作品テーマ、
共通する作品テーマは、これまでの章で述べました通りです。
●第一に、“エコロジー”の視点から……
“人は神に代わって世界(大自然・地球環境)を蹂躙することが許されるのか?”
●第二に、“戦争と平和”の視点から……
“そんな人類が生き延びる手段として、戦争が許されるのか?”
と言うのは、四作品とも……
まず、“文明と自然”が対峙し、その相克が描かれる……という設定が共通しています。
そして“戦争と平和”、つまり、“壊すか奪う”生き方と“作るか育てる”生き方のコントラストがストーリーの骨格をなしています。
さらにヒロインの位置づけが共通します。“善と悪”が鏡に映した像のように、複数のヒロインの内面に交互に現れていくのです。
作品ごとに観ていきます。
〈『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)〉
言わずと知れた東映動画制作の名作。空前絶後の超傑作と評するに不足はないと思います。
表面的には子供向け作品として、人類と悪魔の戦いが描かれます。
正義の勇者ホルスを戴く人類が悪の権化である悪魔グルンワルドに勝利する……という、当時のディズニーアニメにも似た、典型的な勧善懲悪の物語構造を有しています。
とはいえ、これを大人の視点で観賞し、裏読みを試みますと……
善悪の主体が逆転し、人類こそ悪役で、悪魔グルンワルドは自然界の資源を人類から防衛する“森の守り神”の位置づけとなることが暗示されています。
グルンワルドという名前には、ドイツ語由来の“緑の森”という意味合いが潜んでいるわけですし。
この『太陽の王子ホルスの大冒険』、本編わずか82分という短い尺なのですが、裏読みを重ねますと、
この点については物凄く話が長くなりますので、いずれ別稿で……
(“なろう”で試みに書いてみましたら、文庫一冊近くの文字量になりました)
さて『ホルス……』ですが、
野放図に自然破壊を続ける人類。この作品に設定された時代の人類はまだ農耕牧畜を営むことを知らない、狩猟採集民族です。当然のように自然の恵みを収奪します。とりわけ、河をさかのぼって来る魚類は、流れをせき止めてゴッソリと捕獲し、それゆえ生態系が破壊され、自然界の生物が飢えることになります。
それら人類の行動に危機を感じたグルンワルドは、おそらく自然の自己防衛機能を代表して、人類殲滅計画に着手したのであろうと思われます。
しかし結果を見ると、人類側の大勝利。
人類を代表する勇者ホルスは、“太陽の剣”という、文明の力で鍛え上げた最終兵器を振りかざして、グルンワルドに滅びをもたらします。
これ、核兵器の暗喩とみることもできます。
作品そのものはハッピーエンドに演出されていますが、冬の冷気と風雪を主要兵器とするグルンワルドの正体はまさに“冬将軍”。
“冬”そのものを“太陽の剣”で滅ぼしてしまったことから、エンドマークの後の人類には、“地球温暖化”という結末が予見されるのです。実に意味深なお話ですね。
ひょっとして人類は、そして勇者ホルスは、致命的なまでに自然の生態系を破壊し、自らの首を絞めてしまったのではないか……
そんな警告すら読み取れます。
それゆえ『太陽の王子ホルスの大冒険』は“完結した”とは言い難いのです。
これが当時の制作者の意図であったか否か、確かめることはできませんが……
明らかに地球規模のエコロジー・テーマを伏在させた、先駆的名作であると言えるでしょう。
次に、メインキャラクターです。
『太陽の王子ホルスの大冒険』では、タイトルの通り、悪魔と闘う勇者の少年ホルス君が主人公を張っています。
しかし大人の視点に立てば、物語中盤で登場した薄幸の美少女ヒルダこそが主人公の座にふさわしいことがわかりますね。
ヒルダはヒロインでありますが、ヒールな悪役です。人間の少女でありながら、悪魔の妹として人類の敵グルンワルドの有能な部下に加わっており、魔法能力を備えて不老不死の特典まで得ています。外見年齢はローティーンでも、実年齢はン百歳かもしれません。
まさに空前絶後の超絶ヒロインです。
この蠱惑的な美少女が悪魔側のエージェントとして人類の村に潜入、人心を撹乱し、内部からの切り崩しを図ります。
その手口、陰惨にして狡猾。
で、この不良少女をまっとうな人の道へと更生させるため、ホルスが白馬の王子様の役柄を担って、いろいろと説教します。
この説教がまた、くどい。
本来の観客ターゲットである子供たちに、この作品がウケなかったのもうなずけます。
物語の後半は、自然の側と文明の側、それぞれの正義によって引き裂かれたヒルダの苦悩と、壮絶なまでの煩悶、そして最終的な選択を描きます。
しかしそのプロセスは彼女のホンネとタテマエが交錯して、実に複雑。
ここでは詳細を省かせていただきます。詳しくはいずれ別稿で。
お話のラストはもちろんハッピーエンドで(なにぶん60年代の“子供向け”総天然色漫画映画なのですから当然です)、悪魔グルンワルドは滅び、ヒルダは真人間の少女に改心し、ホルスは彼女に手を差し伸べます。
しかし裏読みすれば、結末は少なくとも三通りの異なった解釈が可能で、画面上はハッピーエンドでも、じつはバッドエンドであった……という受け止め方も可能です。詳細はいずれ別稿で……。
ともあれ物語の中心となる
『太陽の王子ホルスの大冒険』は、ヒロインの美少女ヒルダの精神の内面が二つの正義の狭間に迷い、身も心も引き裂かれてゆく……という、子供向けアニメではタブーともいえる、ただでさえ当時でいうウルトラCクラスの、高度な心理描写の演出に挑戦しているのです。
いわば“引き裂かれたヒロイン”。
これはもう、描く側からしたら難物中の難物、本当に大変だったこととお察しします。
よくぞこのヒルダの壮絶な心のドラマを、わずか82分の本編のしかも後半部分だけて描き上げられたものと、ただ感嘆するしかありません。
まさに
これも詳細はいずれ別稿で……
と言うわけで、『太陽の王子ホルスの大冒険』の“教訓”は……
●物語が人類側の一方的勝利に終わり、その結果、正義である人類の自然破壊を正当化する結末となってしまったこと。“人類はとにかく正しい”という、当時の子供向け“漫画映画”のセオリーを踏襲するしかなかったのです。
●そして主人公のホルス君が、超人的身体能力を発揮する勇者として描かれながら、昭和のオヤジ的に“説教臭かった”こと。
●さらに “引き裂かれたヒロイン”であるヒルダの描かれ方が、必然的に
などが挙げられます。
もちろんそれらすべての事情をひっくるめて、『太陽の王子ホルスの大冒険』が空前絶後の超傑作であることは確かなのですが……。
それらの教訓を踏まえて……
十年後、『未来少年コナン』が銀幕でなくブラウン管に登場することになります。
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