『未来少年コナン』をちょっと深く考察

02●『未来少年コナン』(1)“劇場版”の破壊力! “子供向け”の破綻

02●『未来少年コナン』(1)“劇場版”の破壊力! “子供向け”の破綻




 2020年6月現在。

 NHKさんが、深夜に『未来少年コナン』のデジタルリマスター版を放映しておられます。

 初回放映は1978年、かれこれ四十年以上も昔のこと。

 作品の舞台は2008年の“大変動”から20年後の2028年。

 そろそろ“未来少年”でもなくなってきたしなあ……

 作品がすっかり陳腐化して、カビ臭くなっていても不思議はありません。

 どんなもんかなあ、と、ついつい、観てしまいした。

 おおっ、これはスゴい。

 一目で画面に釘付け。

 一瞬の退屈もなく、最後までストーリーに引っ張られます。

 以前は気付かなかった新しい魅力も、いろいろと発見してしまいます。

 まったく何ということか。

 断然、新鮮ではありませんか!


 宮崎駿監督が携わった、所謂いわゆる“宮崎アニメ”の中では、『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)は別格として、これを除いてトップに君臨する傑作ではなかろうかと。


 ストーリー、キャラクター、そして作品テーマ共に、後年のジブリアニメの大作を十分に凌駕する素晴らしさにあふれています。


 今再び観て、改めて気付かされるのは、次の三つの視点です。


 ひとつ、“キャラとストーリーの、美しき省略”、

 ふたつ、“メカや戦闘の、驚きのリアリティ”、

 みっつ、“人物類型の多様さと、容赦のなさ”


 詳しくは後述します。


 とはいえ、デジタルリマスター版を見て、何やら違和感が……

 あ、そうか、画面が横長になっている。

 今どきのTV画面の縦横比率に合わせてあるのだ。

 ということは、本来の画面の上下がカットされている!


 うーむ……

 良くもあり、悪くもあり、ですね。

 1978年当時の昔のブラウン管テレビに比べて、明らかに現在の液晶は大画面。

 その中に、メインとなる人物やメカなどの被写体がより大きくクローズアップされる。

 これも一つの演出として楽しめる。しかし……

 もともと、正方形に近い昔の画面サイズの中に、綺麗に、かつ効果的にレイアウトされていた構図は、壊れてしまう。


 昔の画面サイズのDVDを観てみました。

 うーんやっぱ、こっちのほうがいいよなあ。

 TV画面の左右が黒帯になってもいいんだよ。見始めたら気にならない。

 本来の画面サイズの中でこそ、絵がダイナミックに生き生きと動くように設計されているんだから。

 元のサイズでも、十分に画面の向こうの世界の広がりが感じられる。

 それにどことなく、カラーリングもDVDの方がよさそうな。

 デジタルリマスターで全体に色味がクッキリ鮮やかになったようだけど、じつはリマスター前のDVDの方が、ちょっと渋い大人の色調に感じられるのですよ。


 オススメはDVDの方ですね。


 ついでに気になって、“劇場版”のLDを観てみました。

 NHKの放映終了後、翌1979年に劇場公開されたダイジェスト版です。

 上映時間はほぼ二時間。

 うおお、さすがに経年劣化。全体に細かく走査線がボボけて見える。

 ま、昭和のテレビの画質ですな。昔はこれでフツーでした。

 十三時間近い全編を二時間に縮めるのだから、とっても駆け足の展開、しかし……

 後半の端折はしょり方、その破壊力は物凄い。

 これ全然、ストーリーになっとらんぞ。そうかポエムだよポエム。


 ああ、ギガントが飛ばないコナンなんて!……


 公開当時のファンの嘆きが甦ります。

 劇場の大スクリーンにギガントが浮かぶ、あの暴虐的なまでの雄姿をだれもが期待していたはずなのに……

 公開五年後の1984年に『特別編 巨大機ギガントの復活』と題してその部分、40分程度だけが劇場にかかるものの、そんなことは知る由もない1979年当時のファンは、さぞかし落胆し、絶望したことでしょう。


 ただし、研ナオコさんが歌う主題歌は、良かったです!


 とはいえ、劇場版はもはや、異次元のコナン。

 なんともトンデモな、子供だましな終わり方でした。

 しかしまあ……

 1979年当時は、それであたりまえだったのかもしれませんね。

 まだ“オタク”という言葉すら知られていなかった時代。

 少なくとも1982年のマクロスで、ヒカルがミンメイを「おたく」と呼んでからの流行でしたから。

 有明の見本市会場に十万二十万と集まって物量で圧倒する二十一世紀とは異なり、当時の中学生以上のアニメファンなど、哀れな少数民族。ほとんど人類の一員と認められず、非国民的に異常視されていたと思われます。

 アニメ、と言うよりテレビマンガは、あくまで子供のものでした。

 そういった次第で、『未来少年コナン』劇場版の子供だまし化は、やむを得なかったことでしょう……


 いやむしろ。


 悪名高々の“劇場版”の方が、当時の“本来の視聴者”のニーズに合っていたのかもしれません。


 もともと、『未来少年コナン』は、小学生をメインターゲットにしていました。

 主人公のコナン自身、どう見ても中学生以上ではありませんね。

 ところが第一話で早々に……

 ヤなオトナが出てきます。

 平和なのこされ島にずかずかと乗り込んできたモンスリーたち。

 武器でおじいを脅迫し、命令に従え! と強制します。

 結果、おじいは重傷、ラナは海の彼方の某国へ拉致されます。

 モンスリー、うら若き女性であるのに悪鬼のような残酷さ。

 当時のTVアニメ事情からしたら、これだけ憎々しいキャラは、ほぼご法度でしたよね。

 だって、子供向けなんですから。

 初回から、“オトナって怖い、オトナってウソツキ”を刷り込まれたわけで……

 小学生向けの作品で、のっけから銃撃と人さらいでは、よいこたちは引いてしまいますね、きっと、そういうことだったのです。

 親としても、よいこの嬢ちゃん坊ちゃんに、見せられるお話ではなくなります。

 やはり視聴率、ふるわなかったようです。平均8%とか。

 といっても、ごく最近の某五輪オマージュの大河ドラマの視聴率と比べると、いい勝負をしたと思われますが。


 そこで“劇場版”ですが。

 血を見る銃撃や暴力シーンはいきなりカットされ、ハイハーバーにインダストリアが侵攻した“波陰はいん戦争”や、ギガントの飛行と墜落シーンは、スッコンとカットされてしまいました。

 ラオ博士も死なず、元気に世界布教の旅へ飛び立っていきます。

 BGMも、どこか妙に明るく能天気なムードに変更されていました。

 要するに、本来の目的に沿った、“子供向け”に生まれ変わったのです。


 しかしここで次なる誤算が……


 『未来少年コナン』に敏感に反応し、熱狂的に支持したのは、だいたい高校生以上のアニメファン、まだ数は少ないながら、ほぼ大人に近い“元祖オタク”の人々だったのです。

 それゆえ“劇場版”の公開前に、“ファン1万人を集めて、日本武道館で「コナン・フェスティバル」を開催した”というのですが、これ、完全に年長組の“大きいお友達”のファンを意識していますね。

 保護者同伴で来る小学生向けの宣伝イベントではなかったのです。


 しかし“劇場版”の内容は子供向け……

 それを観たのは大人に近いアニメファン。


 ギガントが飛ばないコナンなんて。


 結果は、ギガントのかわりに閑古鳥が飛ぶ、哀愁に満ちた夕空になったものと想像されます。

 “劇場版”がヒットしたら、DVDになっているはずですからね。


 そんな風に、いろいろと行き違いや勘違いで、コナンたちは翻弄されたことでしょう。

 アニメ文化の勃興前夜、プレ・オタク時代の出来事。

 まあ、幕末の混乱期みたいなものですから、むべからぬことですが。


 それから40年ばかり。

 ようやく、時代は認めました。

 『未来少年コナン』は中高生どころか中高年まで含む、完全オトナのアニメなのだと!

 だって、デジタルリマスターの放映は、深夜枠なんですから。

 じたばたせずに、おじいもおばあも、楽しんでください。

 これは、子供向けの仮面をかぶった、大人向けの作品なのですから! と。

 そういうことですよね。


 だから今年、いまさらに実感します。

 『未来少年コナン』って、ホントにオトナのアニメなんだ! と。




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