第75話 選択
母との電話が終わった後、カツラギは外へと駆け出した。もう一度、彼と会いたい。ダメもとで思いつくかぎりのことをしたい。その気持ちに突き動かされて、彼女は走る。
コンビニに駆け込み、携帯用の充電器と乾電池を買い占めた。奇跡が起きて、向こうの世界に行けたとき用の電池だ。このスマホがあれば、どこにいたって彼と繋がっているように思うことができる。
「彼にメールすら出せないのに……」
なにかが吹っ切れてしまったようだ。カツラギは、なぜだか彼ともう一度会えると確信していた。
彼女はスマホの待ち受けを、彼とのツーショット写真にする。もう、正直になるしかない。彼に会いたいのだ。どうしようもなく。心の底から。もう一度だけ。
コンビニの外は、凍てつく外気が襲いかかってきた。それでも、カツラギの熱は下がりそうになかった。
彼との思い出を思い返しながら、カツラギは歩いた。もう、外は深夜だ。不夜城の東京と言えども、街からは電気が消え始めている。終電も行ってしまった。カツラギはひたすら歩いた。それしかできなかったから。手に彼との思い出を抱えながら……。
「彼ともう一度、会うことができるとしたら、たぶんあそこしかない」
彼女の吐く息は、たちまち白くなる。駅の近くで運よくタクシーを捕まえた。
行き先を告げて、カツラギは一息つく。
心臓が高鳴ってきた。
「お客さん。こんな深夜なのに、どうしてそんなところいくの?」
運転手が不思議そうにそう聞いてきた。当たり前だ。こんな深夜に、あそこにいく女なんて頭がおかしくなってしまったと思われてもしかたがない。そして、その目的が、未来へと行って好きなひとと会うためなんて……。馬鹿なことをしていると思っている。
「好きなひとに、会いに行くんです」
カツラギは正直にそう言った。
「そうかい。若いね」
「はい」
カツラギは、ハニカミながら返事をするのだった。
目的地の近くに来たとき、少しずつ雪が降ってきた。
「ホワイトクリスマスですね。これは積もりそうですね」
ヤレヤレという口調で、運転手さんはため息をついた。
そうか。今日はクリスマスだった。
神さまはとんだクリスマスプレゼントをくれたものだと彼女は思う。
リストラという絶望。そして、大好きな人との出会い。
一度は拒絶してしまったプレゼントだけど、今度こそは絶対に離さないという強い決心を胸に彼女は前に進む。
「お客さん、着きましたよ」
「ありがとうございます」
カツラギは代金を払って、タクシーを降りた。外は、さっきよりも寒くなっていた。
「そうだ。お客さん」
カツラギは呼び止められた。
「メリークリスマス。気をつけてね」
短い言葉だったけど、とても勇気づけられた。
「ありがとうございます」
カツラギたちは笑って別れた。
現在と未来をつなげる存在。カツラギにはひとつしか思いつかなかった。
数年前にできた東京の新しいシンボル。
未来では、科学文明の遺産として扱われている通称“バルベの塔”。
未来世界では、ほとんどが焼失していた。でも、今は当たり前のようにそびえたっている。
天に向かって、そびえる塔をカツラギは見上げた。
空からは、白い雪が降ってきている。
カツラギは、バルベの塔へとたどり着いた。ここが、カツラギの唯一の希望だ。
向こうの世界では、この塔はもうこの美しい形を保っていなかった。
今はその美しい姿を、さらに雪化粧で着飾っている。
カツラギは、塔下に立ち祈った。
それはとてもシンプルな祈りだった。
「神さま、お願いします。彼と会わせてください」
向こうの世界に行ってしまった時、カツラギは居場所が欲しいと祈った。誰かに愛されたかった。必要とされたかった。それが、神さまに通じたんだと思う。
だから、カツラギはもう一度祈るのだった。
カツラギはただ、彼ともう一度、会いたかった。
会って素直になりたかった。別れた時のけんかを謝って、またふたりの時間を前に進ませたかった。
「わたしに夢を見せたんだから、その続きを見せてください」
カツラギはさらに祈り続けた。
心残りはいくつもある。
彼に正直になれなかったこと……
彼に自分の気持ちをちゃんと伝えられなかったこと……
彼の気持ちをちゃんと聞くことができなかったこと……
彼にもっと料理を作ってあげたかったこと……
もっと同じ時間を共有したかったこと……
どうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもなく
カツラギは彼を愛していた。
アイザック氏は言った。カツラギが未来世界の秩序を壊してしまう恐れがあると。
でも、世界の秩序なんて知ったことじゃない。
一度、機械によって壊れた秩序を、機械によって維持している歪んだ世界の秩序なんて知ったことじゃない。そんな世界なんて壊れた方がいい。好きなひとと一緒にいることができない世界なんて、それは世界のほうが間違っている。
カツラギは最低のワガママを言っているのかもしれない。世界に混乱を生むだけの存在かもしれない。
それでも、彼と一緒なら、どんな世界の果てにいっても大丈夫だと思っている。
むしろ、彼とならどこまでも一緒に行きたいのだ。
世界を敵に回しても。
こんな大きな事態に巻き込まれていても、カツラギを動かすのは単純な衝動だった。
“大好きなひとと会いたい”
それなら、カツラギは世界を破壊する悪魔にだってなれる。
目からは涙がでてきた。
凍てつく空気は、それさえも凍り付かせようとする。
降り積もる雪は少しずつ地面を覆っていく。
カツラギはそこで何分も何分も立ち尽くしていた。
「やっと見つけたぞ、綾!」
声の主は篠宮ひできだった。違う、私が会いたいのは、この人じゃない。
「頼む、俺と一緒に来てくれ!」
何を言っているのだろう。この過去の人は……。カツラギは、昔の婚約者に対して、何の感情も沸き起こることはなかった。
「プロジェクトが暗礁に乗り上げかけているんだ。あの社長さんが、担当はお前じゃないと信じられないってさ。だから、助けてくれよォ。ずっとずっと、お前を探していたんだ。お前に、謝りたくて……。頼むよ、俺と寄りをもどしてくれ。お前を裏切ったのは、あの女、南海のせいでさ…… ふたりで、あの女のせいにしてさ…… 復職してくれよ。なっ、いいだろ? 俺も口利きして、前のポジションに戻してもらうから。頼む、頼むよ、綾!!!」
哀れな男を、カツラギはただ見つめている。
ただ、ひとつ思うのは、この人ではないという事実だけだ。
「ごめんなさい。私は、本当に大事なものを見つけちゃったんだ。そして、それはあなたじゃ、ない」
「おい、嘘だろ。俺たち、婚約までした仲じゃないか!! 頼む、まってくれよ、綾……」
「王様が呼んでる。だから、さようなら」
そして、彼女は光に包まれる。
塔の下には、白い世界と絶叫をあげる男だけが取り残された。
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