第70話 帰還

「帰る?どうやって」

 突拍子もない言葉にカツラギは混乱する。過去の世界に、どうやって。すべての機械も無くなったこの世界にタイムマシンなんてものはあるはずがないのに。


「あくまで、仮説なんだがな」

 アイザック氏はそう言った。学者特有のめんどくさい言い回しに少しイライラした。


「きみがこの世界に来たのは、おそらく“居場所”を求めていたんだと思うのだ。なにかの拍子に、元の世界での居場所を失い、必要とされたいと強く願ったのではないかな?」

 心当たりはあった。あの時、カツラギは駅で、途方に暮れていた。誰かに必要とされたかった。そして、そう強く願ったら、そこは空だった。

 

「この世界はさきほど言ったように、物理法則は乱れている。科学に代わって魔法が使われるのもそのためだ。そして、魔力は感情に強く影響される。きみがここに来た時、アグリ国王が“雨ごい”の秘術をやっていたと聞く。あの秘術は、ねじ曲がった世界の法則をさらにねじ曲げるものだ。きみの感情と、そのねじれが強く共感しあったため、きみはここに来たんだと考えられる」

「では、わたしが帰るためには……」

「きみが強く帰りたいと念じて、ここは自分の居場所ではないと思うことだ。そうすることで、きみが存在する前提条件は崩壊する」

「わたしは、感情によって、この世界に縛り付けられている不安定な存在ということですか」

「そのとおり。そして、この大陸は“雨ごい”の秘術を上回る呪いがかかっている。きみが帰るのには、最高の環境ということだ」

 アイザック氏の言葉は、淡々としていた。

「カツラギさん?」

 王はカツラギを心配してくれている。カツラギは、彼の手を強く握りしめた。そうしなければ、自分がいなくなってしまうような気がしたから。


「少しだけ考えさせてください」

 カツラギは絞り出すようにそう言って、広間を後にした……。


 ※


 ふたりは、用意された個室におもむく。ふたりの足取りはとても重かった。広間から部屋まで、沈痛な顔を崩せない。


 部屋の前では、師団長が待っていてくれた。たぶん、心配してくれていたんだと思う。


「両陛下。お待ちしておりました」


 彼女はそう言って、表情を崩した。安心したのだろう。彼女の顔をみていると、少しだけ苦しくなってしまう。


「ありがとう。無事に終わりましたよ」

 王は、そう言った。疲れているので、今日は休みますと話して、ふたりで部屋に入る。

 彼女は心配そうな顔をしていた。ふたりの表情が暗かったからだろう。


 部屋の中では、重苦しい雰囲気が続いている。

 部屋の窓から夜空を見上げても、曇っているせいか月も星もみえなかった。真っ暗な夜空だった。


「カツラギさん、今日は疲れましたね。早く寝ましょう」

 彼はそう気遣ってくれた。本当に優しい人だ。カツラギにも、ほかのだれかにも……。


 だからこそ、不安になる。彼にとって、カツラギは単なる契約結婚の相手にすぎないんじゃないのか。重荷になっているだけなのではないか。彼を支えるのは、カツラギ以外の誰かのほうが適任ではないんだろうか。元の世界に居場所をなくして、流浪してきた自分でじゃなくて、もっと立派な彼女のほうが……


 カツラギは、あえてパンドラの箱を開けた。こんなに苦しいなら、もうどうなってもいい。自暴自棄ともいえる心境で、解き放たれた言葉が暴走する。


「陛下、わたしはあなたにとって何なんですか?」


 彼を困らせるとわかっている。それをあえて彼にぶつけるのだ。最低だと自己嫌悪する。


「えっ……」

 彼は驚き言葉を失う。この言葉は、今の居心地がよい関係を破綻させる悪魔の言葉だった。


「わたしは、あなたにとってなんなんですか。妻ですか? 恋人ですか? 友達ですか? それとも、契約相手ですか?」

 言葉の勢いが止まらなくなる。それ以上は駄目だとわかっていても、波は止まらなかった。


「カツラギさん、さっきの話に動揺しているんですね。深く考えすぎてはいけませんよ」

 彼はそれでも優しさをカツラギにふりかけてくれる。

 それは彼女にとって、とてもありがたかった。



「ごまかさないでよ!!」

 大声で怒鳴ってしまった。カツラギは苦しかったのだ。彼に八つ当たりをしているのかもしれない。


「もう、苦しいんですよ。こんな関係」

 ダメだ。ダメだ。ダメだ。これ以上はいけない。なんども頭はカツラギを抑えようとしている。

「意味が分からないんですよ。こんな不安定な関係」

「……」

 彼は黙って聞いている。理不尽なことを言われているのに。


「わたしは、あなたのことが好きなのに……。あなたはわたしに気持ちすら教えてくれない。聞いてもいけない」

「カツラギさん……。落ち着いて」

「あなたは、わたしに一度も“好き”だって言ってくれないじゃないですか」

 今まで気づかないようにしていたことを言ってしまった。もう、後戻りはできない。

 いつの間にか、顔はクシャクシャに濡れていた。たぶん、ひどい顔をしている。

 近くにあったスマホを思いっきり握りしめた。


「なら、どうしてカツラギさんもすべてを話してくれないのですか? カツラギさんの魔道具に残っていた絵に、、誰なんですか?」


 カツラギは絶句する。いままで王に、元婚約者のことを気づかれているとは思っていなかったのだ。


「……」

「どうして答えてくれないのですか?」


 カツラギは動揺したことで本信とは別のことを口走ってしまう。


「もう終わりにしたいんです」

 そう言い終わると、カツラギの意識は少しずつ暗黒に包まれていった。

 彼がどんな顔をしていたか、視界が滲んでよくわからなかった。


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