第36話 初夜


「……」

「……」


 いま、結婚式を終えて、ラブラブの新婚夫婦の図がこれだ。広い部屋にふたりっきり。本棚には難しそうなぶ厚い本が並び、いくつかのシックな絵画が飾られている。さっきから、ずっと気まずい雰囲気が続いてしまっている。カツラギたちは、またしても宰相にはめられてしまった。一回りも幼い少年に、からかわれ続ける大人たち。いい加減学習しろと言われてしまいそうだ。


 彼は最後にこう言った。

「王妃様のベットは、王様の部屋に移動させておきましたから、安心してください」

 満面の笑みでこれである。恐ろしい子。


 そもそも、この関係もあの少年の一言からはじまったのだ。契約結婚という特殊な関係。まさに、ふたりはお釈迦様の手の上の孫悟空状態。いつのまにか、王の寝室には、もうひとつベットが運び込まれていた……。朝には無かったという証言まで添えられて。


 さらに、テーブルの上には、お酒とおつまみまで用意されていた。ナッツやドライフルーツなど、つまみのチョイスまで完璧だった……。もうやだ、あの未成年。


「とりあえず飲みましょうか」

 王は雰囲気に耐えられず、そう言った。

「そうですね」

 カツラギも飲まなきゃやっていけない気分だった。王の本心もよくわからず、キスの振りをするはずだった挙式で突然、唇を奪われ、国内・国外の要人に笑顔を振る舞い、少年にはめられているばかりの自分に少し嫌気もさした。

(飲もう、そして飲んだくれよう。それしかない)

 少し色が薄いワインをふたりはグラスに注ぐ。王と無理やり乾杯をして、カツラギはグラスを一気に飲み干した。


「カツラギさん、ちょっと待って」

 という王様の忠告も聞かずに……。


 喉に猛烈な熱さが襲いかかる。アルコールの味が口いっぱいに広がった。

「それ、ブランデーなんで、薄めたほうが……」

 蒸留酒の強烈な味と、酔いが一気に回ってきた。

「(それは早めに言ってほしかったな)」

 記憶にあるのはそれが最後だった。疲れていたせいか、彼女は急激に記憶を失ってしまった。


「あのぉ、カツラギさん、大丈夫ですか?」

 王は、ブランデーを飲みまくる彼女を心配し、おそるおそる声をかけた。

「でぇじょうぶですよ。これくらえで、酔っぱらいませんから」

 ところどころ、おっさん化している。これはもうダメだ。瞬時に判断した王は、コップに水を注いで彼女に渡す。


 彼女は一気に水を飲みほした。

「今日はこれくらいにして、ベットに行きましょう。疲れたでしょうから……」

「嫌です。まだ、飲みます」

 思った以上に酒癖が悪いらしい。

「でも……」

「だいたい、王様はそうやってごまかそうとして……」

「えっ」

「式のとき、どうして、キスしたんですか。振りだけだったんじゃないんですか?」

「それは、その……」

(あれ、このひとは酔っぱらっていたはずじゃ……)

 酔っぱらいに痛いところをつかれて、王は動揺した。彼もコップに注いだブランデーに口をつける。タジタジになっている自分を必死に落ち着かせようとする。


「あんなのずるいですよ。わたしは、わたしは……」

 まさに、その通りだった。あのやり方は卑怯で姑息だった。彼女の晴れ着姿を見ていたら、急に理性を失ってしまった。気がついたら、台本を無視して、口と口が触れあってしまった。

 自分でもなにが起きたかわからなかった。そして、そのまま、結婚式中はごまかして、ここまできてしまった。

「申し訳ございません」

 王は謝罪の言葉を彼女に伝えた。

「謝ってほしいわけじゃないんですよ」

 彼女の言葉は、酔っぱらっているとは思えないほど冷徹な色をはらんでいた。恋愛ごとに疎い王でも、わかるほどはっきりとした冷たさだった。そもそも、弟の「契約結婚」という進言を聞き入れてしまった自分が馬鹿だったと後悔する。ただ、彼女を傷つけてしまったということが、どうしようもなく怖かった。


「理由を知りたいんですよ? わたしは……」

 急に彼女は穏やかな口調に変わる。それは、さっきの冷たさとは、別の温かさがあった。その温かさが、逆に申し訳なかった。そして、彼女はつくえに突っ伏した。

 理由を考える。

(彼女の顔が近づいてくる時、とてもドキドキした。いや、あのときだけじゃない。彼女と馬車に乗っているとき、夜あなたと話したとき、池でのプロポーズ、そしてキスの予行練習中。ずっとドキドキしていた)


 あのときは、雰囲気に流されてしまった。でも、その雰囲気をつくりだしていたのは彼女だという気持ちも王にはある。

「あれは、カツラギさんがとても可愛ら……」

 そう言い終わる前に、彼女からは吐息が聞こえてきた。

「あの、カツラギさん?」

「……」

 彼女から返事はなかった……。

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