第32話 挙式

 それからの1カ月は、あっという間に進んだ。結婚式の準備のためだ。宰相を中心に、国を挙げての一大イベント。それを1月で準備しなくてはいけないのだ。


 カツラギも覚えることが山ほどあった。宮廷内でのマナー、式での振る舞い方などなど。新しいことをたくさん覚えなくてはいけなかった。唯一の救いは、ほとんどが王を中心としたイベントであることだ。彼女は、微笑みながら、王様にリードしてもらえば良いらしい。ウェディングドレスの着付けなど、まさか異世界でやるとは思いもしなかった。こっちに来てから、小さいころの願いが叶ってばかりいる。


 王と彼女はなるべく一緒にいることにした。食事の時、余暇の時間。ふたりはいろんなことを話した。好きな音楽、演劇、小説のあらすじ。お互いの世界をよく知らないからか、話はとても弾んだ。そして、少しずつ納得するのだ。


 「ああ、本当にわたしはこの人と結婚するんだな」と。


 宰相はしきりに同室で眠るように勧めてきたが、ふたりは取り合わなかった。お互い奥手で、恥ずかしい。そして、あくまで“契約”結婚なのだ。超えてはいけない一線というものが存在する。


 それでも、カツラギは彼のことを気になりだしていた。一緒にお茶を飲んだとき、食事をしたとき、そしてお話をするとき。無意識で彼のことを見つめてしまっていた。でも、それを自覚してはいけないのだと自分に言い聞かせる。


 彼にときめきかけた時、彼女は自分にいい聞かせる。

(彼を本気で好きになってはいけない)と……。それは、魔法の言葉だ。これがカツラギと陛下の距離感を適切なものにしてくれている。そして、自分の心にブレーキをかけることができていた。


 あの熱中症騒動の後、民衆にふたりの婚約は発表された。城下町では大騒ぎだったらしい。踊りだすもの、酒を飲みどんちゃん騒ぎするもの。そして、王様ファンクラブの悲鳴。まさに、カオスだったと、護衛の人はカツラギに言っていた。


 そして、その報告を聞くと、胸が締め付けられる。

(わたしなんかが、彼と結婚してもいいのだろうか。わたしみたいな、社会から否定されたものが、こんな立派なひとの妻になってもいいのかな)


 彼女は悩み続けた。


 結婚式まであと1週間。


 ※


 結婚式が少しずつ近づいてきた。カツラギは、マリッジブルーのような状態だ。さきが見えないからか、新しいことがたくさんあるからなのか。不安なことばかり考えてしまう。悩みを正直に伝えることができる人が少ないのも原因だと彼女は思っていた。すこし疎外感を感じてしまっている。


 今日は結婚式の練習という話だ。王とどのように振る舞うかを一緒に確認する。ふたりで式場をどう歩き、どのように誓いの言葉をしゃべるか打ち合わせをする。ここらへんは日本の結婚式と同じのようだ。ひとつだけ問題があるが……


「陛下、ひとつだけ質問があります」

 カツラギは王に一番の問題を相談した。

「なんですか?」

「あの……」

「はい」

「決していやらしい意味とかではないんですよ」

「なんですか」

「だから、そのぉ」

「どうしたんですか、歯切れが悪いですよ?」

「ええと……」

 彼女は聞きにくいことを間を置きながら話した。

「誓いの、言葉の、後の……」

「はい」


「キスってどうすればいいんですか?」


「……」

「……」


 ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。どうやら、王も考えていなかったらしい。

「やっぱり、神父さんもいるので、したほうがいいんですかね?」

 カツラギは顔を真っ赤にしながら、そう問いかける。

「そうですね……。どうしましょうか」

 王も顔が真っ赤になっている。ふたりで延々と悩み続ける。しかし、なかなか結論が出なかった。


 そして、ひとつ彼女に妙案が生まれた。

「そうだ! している角度でごまかしましょう」

「角度?」

「そうです。角度です。王様は神父さんに背中を向けて、わたしはお客様にみられないように背を向ける。そうすれば、顔を近づけるだけで、キスしているように見えますよ、たぶん……」

 よく、演劇でやる方法だ。子供だましかもしれないけど、これしかないと思っていた。

「なるほど。でも、それで本当に、ごまかせますかね?」

「一度、実験してみましょう」


 ふたりは、本番と同じように向かい合う。ふたりとも、誰にも見られないように、背を向け合っている。宰相に、神父と観客の位置に交互で立ってもらった。

「それでは、いきますよ」

「はい」


 王は彼女の顔にどんどん近づいてくる。鼻と鼻が触れあうギリギリの境界線にふたりの顔が近づいた。

(思ってた以上に近い)

 ふたりは、吐息が触れあうまでに接近した。


「う~ん、たしかにキスしているようにみえますが、少しインパクトが弱いかもしれませんね」

 ふたりに宰相の手厳しいアドバイスが飛ぶ。

「そうだ、ふたりで、相手の背中に手を回してみてはどうでしょうか? きっと、そのほうが説得力がありますよ、うん」

 ふたりは、そのアドバイスに従いハグをする。宰相の悪戯な笑みは二人には見えなかった。王の顔がさらに近くなる。ふたりの目が合う。そうすると余計に恥ずかしくなってしまう。自分の心臓の音が王様に聞こえてしまうかもしれない。そう思うと、カツラギの心臓の音が高鳴っていく。

「ああ、いいですね。うん、完璧です」


 その言葉を聞いた瞬間、ふたりは慌てて相手から離れた。気まずくて相手の顔が見られない。

「では、こんな感じで」

 王はかろうじて声を出していた。

「わかりました」

 カツラギはこう答えるのが精一杯だった。


 本番まであと3日……。

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