第9話 キス
「「「「キース、キース」」」」
かけ声はどんどん大きくなる。ふたりは顔を見合わせる。
お互いの顔はかなり赤みをおびていった。
それは夕日の日焼けなのか。それとも祭の高揚感なのか。
たぶん、どちらでもないのははっきりしている。
普通に恥ずかしいのだ。お互いに心臓の鼓動が相手にまで聞こえそうになる。
どうしよう。カツラギは不安になった。こういうシチュエーションはたまに遭遇した。会社の飲み会のときだ。あの今となっては忘れたい婚約者との仲を囃し立てられていた。あの時は「もうセクハラですよ」という魔法の言葉が使えたが、異世界ではたぶん通じないだろうと絶望する。
村長が邪悪な笑みを浮かべている。
(絶対に謀られた)
彼女はそう確信した。
「嫌ですか? カツラギさん?」
「えっ?」
「私は、嫌じゃないですよ? こんな素敵なひとに唇を奪われるなら、ね」
王と目が合う。目が合った時、すべての喧騒は消えて、この世界にふたりだけになってしまったような気分になる。彼女の頭は真っ白だった。真っ白な頭で、すべてを感覚にまかせる。そして、カツラギの唇は、王の顔に近づいていく。
「えっ」
王が奇声をあげた。今日は王の意外な一面ばかりみている気がする。カツラギはそう思いながら、頭は真っ白なのに、変に冷静に顔を近づける。。
ふたりが触れ合う音がする。
王の
「今日はこれ、くらいで」
カツラギはうつむきながら、そういうのが精いっぱいだった。祭りの盛り上がりは最高潮に達した。
※
カツラギは祭りを抜け出して、ひとり夜風にあたり、熱を冷ましていた。
さっきのことを思い出すと、今でもドキドキする。勢いでやってしまったことだ。完全に勢いだった。
あれから、宴会になったのだが、王とはお互いに気まずくてあんまり話せていない。彼の顔をみると、さっきのことを思い出してしまう。触れ合う肌、体温、そして、心臓のドキドキ。
一応、婚約者みたいなもんだし。なんて、言い訳をしながらも、彼女は顔から火が出るかのような熱さを感じた。
向こうの世界では婚約者と、何度もした行為のはずなのに。
まるで別の神聖な行為のように思える。私はここまで乙女だったのかとカツラギは自分の年がいのなさを恥じた。
じゃがバターやクリームシチューのような料理がでた宴会で、カツラギははずかしさをまぎわらそうと、ワインをかなり飲んでしまった。だから、余計に体が熱い。
「酔い覚ましですかな」
後ろから声が聞こえた。村長だった。
「はい。少し飲みすぎてしまって。村長さんは抜け出してきてしまってよかったんですか?」
「みんな酔っぱらっているから、だれもわからんよ」
「それもそうですね」
ふたりは笑いだした。
「さっきはからかってすまんかったね」
「やっぱりからかっていたんですか」
ここでもふたりで笑いだす。女好きなひとなので、かなり慣れているやり取りだった。
「じつは宰相からふたりの仲をとりもってくれと頼まれましてね」
「いつのまに……」
「ほとんどの事情は聞きました。大変でしたね」
「じつはあんまり実感がないんです。もとの世界に戻れないという実感も。この世界で生きなければいけないという実感も」
「生きているということに実感なんて必要ないんだよ。ただ、そこで生きればいいだけじゃ」
「そういうものなんですか」
「そういうもんじゃ」
「ところでどうじゃ?。うちの弟子と結婚する決意はついたか?」
「ごほごほ」
いきなりの直球で、彼女は吹きだしてしまう。
「あのバカは、結構な堅物でね。わしも心配してるんじゃ」
「宰相さんもおなじことを言っていました。ほんとうに仲がいいですよね。あのふたり」
「うむ。本当の兄弟以上に仲がいい」
「えっ?」
「実はな。あの兄弟は血がつながっていなのじゃ」
「えっ、どういうことですか?」
「あのバカ弟子はもともと孤児じゃったんだよ」
※
日本編
「おいおい、聞いたか。昨日から葛城と連絡取れないらしいぜ。退職関係の書類で総務が困ってる」
「へー」
「おいおい、元婚約者なのに、ずいぶん冷淡だな、篠宮」
「俺の中では黒歴史だからな」
「オー怖い怖い」
「それよりも聞いたぜ。プロジェクトリーダー引き継いだそうじゃないか。一躍、出世レースでトップ独走だな」
「やめてくれ。不本意だ」
「そんな嬉しそうな顔をした不本意があるかよ」
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