第10話:自然には勝てない
初夏、気温が上がってきていた頃、私たちは不平をぶつけていた。
「なんで海に行けないの? 去年は行けたじゃない!」
「あついですー……溶けます……」
「私たちが何かしましたか?」
問い詰められているのはアン・チェンバーズ、理由は彼女の別荘に行けないからだ。
「ですから……去年皆さんが来た後辺り一面から魚が消えたらしく、お願いだから今年はやめて欲しいと領民から請願が……」
う……心当たりはある。
ノートの改編は雑に済ませたので一緒に凍らせた魚に配慮など全くしていなかった。
おそらく辺り一面凍らせた影響で環境が変化したのだろう。
あの改変は小規模に済ませるため「出来事」自体は変更せず関係者の「認識」だけを変えていた。
つまるところ海は実際に凍ったという事実は残っており、そこにいた生物は巻き添えだった。
「でも、今年も暑いんだよ! せっかく楽園にいける人がいるのにそれをお預けされるなんて酷いよ!」
フロルは不満たらたらで文句をいいながらゴネている。
「体が……火照ります……熱いです……」
何やら性的なことを連想させそうな発言をしているタルトだがただ単に熱い中炎の魔法を練習した結果暑さにやられただけである。
議論は休日を丸々消費し、西日が上の階に差し込んできて地下のこの部屋さえ暑い。
「ではわたくしは帰りますので……皆さんも今年くらい我慢してくださいな」
「そうだ!」
フロルが何かを思い立ったように言う。
「なんですの……ロクな事じゃなさそうですけど……」
したり顔でフロルが言う。
「アンにも私たちがどれだけ夏に過酷な環境に晒されているか分かってもらうよ! 明日も休みだから今日は泊まっていって!」
いくらなんでもこんな無駄に暑い部屋の人口密度を上げることはないだろうに……いつもの思いつきだし、アンも断るだろうな。
「そ、そうですね。私も断る以上耐えられる環境であることを証明する必要がありますし……お泊まりくらいなら」
やっぱりアンはチョロいのだった。
こうして三人部屋に四人で泊まることになった。
時間は夕暮れを過ぎていたので食堂に行くことになった。
「ところで……私がいても構いませんの? 寮の食堂なのでしょう?」
食堂は一応寮の設備なので寮に済んでいない人が使っていいのかという話だろう。
フロルが答える。
「大丈夫だよー、料金が1割増しになるけどちゃんと払うもの払えば食べさせてくれるよ?」
一応寮の一部ではあるが学生と教職員全員に解放されている。
確かに寮生以外は少しお高くつくがそれは民業圧迫をしないためであり、追加料金を含めても平均的な食堂の価格と変わらない。
辺りが暗くなってきてから食堂も人が減っていく、みんな夕方に食事をして就寝が早い、この時間まで起きている生徒はお洒落な食事処へ行ってしまうので食堂へ来る人はあまりいない。
「おばちゃん! 日替わり定食で!」
「私は鴨肉の冷製仕立てを」
「私は今週のお勧めで」
私たち三人がそれぞれに注文をしてトレイを持って並ぶ。
あまりこういう食堂に来ないだろうアンは何を注文していいのか戸惑っている。
そこにフロルが自分のお勧めを教える。
「肉ならステーキでいいんじゃない? 魚ならヒラメが美味しいよ!」
どちらも結構高めの食事だがアンなら軽く支払える金額だ。
「うーん……日替わり定食って言うのはどうですの?」
「安くて量が多いよ! たくさん食べたいならいいと思うけどお金があれば私はステーキにするなー」
「では私も日替わり定食をお願いします」
「いいの?」
「ええ、あなたたちと同じ生活をするんですからね」
食堂のおばちゃんが注文を確認して厨房に通す。
「はいよ、これでいいかい?」
全員分の食事があっという間に調理されて出てきた。
この時間は夕方にまとめて作っておいた料理の売れ残りが調理済みなのですぐに出てくる。
「あのさ、なんか私の少なくない?」
フロルがおばちゃんに聞いている。
「あんたはいっつも来てるから普通だよ、そっちの嬢ちゃんは追加料金も払ってんだしサービスしといたよ」
「えー! 不公平だ……」
フロルは不平をこぼすがこのくらいの優遇はあってもいいだろう。
それに元はといえば私が海をまとめて凍らせたのが原因なので非難はとてもできない。
そうして少しアンの定食はスープとお肉が多少多いものになった。
テーブルを囲んで四人で座る。
それぞれの夕食を前にアンが物珍しそうにみていた。
「こうして皆で食卓を囲むのって初めてですね」
そういえば野営やパーティはしたがこうして普通の夕食を囲むのは初めてだなあ……
そんなことを考えながらおすすめメニューにあるチキンをフォークで口へ運ぶ。
じー
もぐもぐ
じー
視線を感じる。
「あの……コレも食べてみる?」
アンがこちらを見ていたのでお肉を少しわけてあげた。
「美味しいですね!」
魚も肉も、皆珍しそうにみるアンに普段は一体何を食べているのか聞こうとしたがきっと羨ましいだけで終わるだろうから聞かないことにした。
「どーよ! この食堂はすごいでしょ」
まるで自分のことのように自慢するフロル。
「そうですね……ちょっと見くびっていました」
そして会話に入ってこないタルトは……
肉をがっついていた、この子は食べられるときに食べられるだけ食べておかないとならない生活だったらしいので事情は察した。
「ごちそうさま」
皆が食事を終えて満足しているとフロルが次の予定を話し出した。
「じゃあ次はお風呂だね! 今日は解放日だからちゃんと湯船につかれるよ!」
顔を赤らめるアンだが私たちは慣れたものでさっさと浴場に向かう。
そうして平気で進む私たちにアンが一歩送れてついてきた。
お風呂は入れない生活を続けたこともあったので毎日ではないとはいえ、定期的に入れる環境はとても快適だった。
ガチャリ
脱衣所のドアを開けどんどん進んでいく。
真っ先にフロルが服を脱いで浴室に向かっていく。
タルトと私も服を脱ぎながら話をしているとアンが聞いてきた。
「あの……大人数で浴室に入るのは普通なんですか?」
これには恥ずかしがりのタルトさえ何を言っているのかという顔になった。
「お風呂は皆ではいるものでしょう?」
「でも……皆さんだけならともかく知らない方も……」
「別に普通じゃないでしょうか?」
「こんなの普通のことだよ、個人用の浴室なんて持ってる方が少数派だよ」
私がそう言うと覚悟を決めて服を脱いでいく。
やはり知らない他人に肌を見せるのが恥ずかしいのかゆっくりではあるが結局浴室へ行くことになった。
アンは浴室の大きな湯船を珍しがっていた。
確かに個人宅の浴槽よりは大分大きいだろう。
アンが湯船に入ろうとするとフロルが止めた。
「だめだよー! ちゃんと体を洗ってから入らないと!」
「そ、そうなんですか……」
私たちは先に体を洗って湯船でくつろいでいるフロルに続けと体に湯をかけて石けんとタオルで体を洗って湯船に浸かる。
「ふぅ、やっぱりお風呂は気持ちいいですね」
「そうだね! やっぱりこの時期は汗もかくしね、できれば毎日使いたいよ」
フロルは体を毎日洗いたいと言っているのに対し、アンは体は毎日洗うものでしょうということを言い、異文化交流で議論が交わされるのだった。
その間私はタルトと他愛ない世間話をしていた。
「ふう……暑い時期でもお風呂は気持ちいいから不思議だよね」
そう言いながらフロルは湯船から上がり、私とタルトもそれに続いた。
遅れて顔を真っ赤にしたアンも脱衣所に向かっていった。
「もう後は寝るだけですね?」
「そうだね……でもここからが……」
私はこの後の苦行を知らないアンにそれを告げることはしなかった、どうせすぐ後に嫌というほど分かるのだから。
「暑いですね……ここはなんでこんなに暑いんですか!」
アンも流石にこの寮の夜の熱波には怒りを覚えていた。
私はノートを使って快適にしようかと思ったことが1年前にあった。
そうして気温を下げるように入力して実行したところ……気温は下がった……下がったのだが季節外れの雨が延々と続いた。
どうも自然現象を操作するにはかなりのリスクを伴うことが分かってからは使っていない。
改変を一日だけにしていて本当によかった、一年まとめて操作していたら死人が出たかもしれない……
「暑いです……」
タルトも暑さで語彙が貧困になっている。
「これが学生寮ってやつよ! どう? 私たちに涼しい環境を提供しようと思わない?」
フロルがアンに懇願するが、アンの方は気にしていないようだった。
「いえ……確かに少し暑いですけど、皆でいれば暑さくらい我慢できるのではないですか?」
「暑くないの? 私ですら我慢が辛いんだけど」
流石に魔界の熱波に比べれば涼しいがもうその熱波の元だった魔王がいないため、下手をすれば魔族でもあんまり暑さに耐えられないかもしれない。
私の問いに平然とアンは答える。
「私は平気ですよ? 皆さんは我慢が足りないのでは?」
私たちがコイツマジかという感想を抱いていることに気付かずに平気な顔をしていた。
アンが冷却魔法を使っていないのは確かだ、ということは普通に我慢強い人だ。
貴族が平民に愚痴をこぼさないのは当たり前の作法だがアンは少し頑張りすぎではないだろうか……
「ところで……お泊まりと言えば噂話をしませんか?」
待っていましたとアンがウキウキで提案する。
アンは意外と俗っぽいことをやりたかったようだ。
「夜中に屋上に白い人影が見えたって話とか?」
「やめてくださいよぉ……怖いのはダメなんです」
タルトは思い切り怖がっているが、あの雑な話で怖がるのも難しいだろう。
大体私はアンデッドと戦ったこともあるので幽霊がいたとしても退治すればいいのでは? 位にしか思わない。
「では定番の恋バナでも……」
「あるの?」
「無いよ」
「無いです」
「無いですね」
そんなわけで就寝することになったのだが、ベッドが足りない。
「アンは私のベッド使って、私は床でも眠れるから」
「でもそれは悪いんじゃ……」
「大丈夫、荒野で麻布敷いて寝たのに比べれば部屋の中なんて結構な贅沢だよ」
「あなたは一体何をやっていたんですかね……?」
私を呆れた目で見ながらも気遣いと勘違いしたのか納得はしてくれた。
アンの寝床も決まり部屋のランプを消して真っ暗になった部屋で私たちは眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます