第3話 水野亜玖亜は読まれている


 大学から帰宅し、いつものようにPVがないことを確かめに『波止場』に訪問すると、そこには三十八という数字が表示されていた。一瞬どころか数秒ほど目を疑った。昨日から——十九も伸びている。倍だ。

 昨日の読者だろうか。たった二言「面白いです。続きも絶対に読みます」というコメントを残していったのは記憶に新しい。てっきり社交辞令だと思っていたのに。


 画面右上の通知アイコンには、連載中の二十話全てに対して一話ずつ、丁寧に書かれたコメントの通知が積み上がっていた。「一度に投稿してしまってすみません」から始まるコメントは、言葉少なに「面白かった」と伝えるものから、興奮したように「リナリアの独白に心を奪われました。魔力の匂いを感知するしか能力のない彼女が、強敵と闘う主人公の力になるために葛藤する想いがリアルで、自分のことのように共感してしまいました」といった長文も綴られていた。

 リナリア——ヒロインはヤンデレ聖女だ。主人公に首輪をすることを強要し、他の女の子と会話でもしようものなら次の日にはその子が屍になっていそうな殺気を発する、筋金入りの主人公大好き人間だ。共感し過ぎるのはちょっとやばいのではないかと思わなくもないけれど、恋とは多かれ少なかれ嫉妬と独占欲を含むものである。加えて、闘いの中で男主人公——魔剣使いである勇者を支えたいという想いは純粋中の純粋。きっと、この人の琴線のどこかに触れたのだろう。

 何より、持ち込みでは手ひどく酷評された人物描写にお褒めの言葉を頂けるなんて、光栄の極みだった。


 コメントの主は——碧宇美あおいうみさん。どんな人だろう。


 定例となった十九時に第二十一話を投稿すると、私はキッチンに立つ。大学の講義を受けつつ執筆活動を続けているとバイトに長く入れないので、節約のため自炊している。今日は手軽に青椒肉絲にしようかな。ピーマンをさくさくと細切りにする。いつもよりフライパンを持つ手が弾んでしまうのは、誰ともしれぬ熱心な読者がついてくれたことと無関係じゃないんだろう。


 ご飯と味噌汁に大根サラダと青椒肉絲。夕食を済ませたら、二十三時までは執筆タイムにするのが習慣だ。

 早速二十二話の書き出しを考え始める。前回の話では敵の罠に嵌り魔剣使いであることが露見してしまったために、勇者とリナリア、それから三人の仲間たちは守るべき村人から疎まれることになった。それでも勇者は、魔物たちから村を守ろうとする。彼は悲しいほどに勇者なのだ。

 よし、決めた。これで行ってみよう。


   ◆


「勇者さま、見捨ててしまいましょう。このような村」


 リナリアは冷め切った表情で淡々と告げる。普段は口角を上げて慈愛に満ちた聖女の微笑みを宿しているのに、今の彼女にはそれが微塵も見受けられなかった。まるで、村人たちに神の慈悲を与える価値はないと言わんばかりに。


「勇者さまを傷つけるような村民など、一度完膚なきまでに滅びてしまえばよいのですわ」


「おいおい、聖女がなんてこと言うんだよ」


「勇者さまは、お優し過ぎます」


 勇者アレスは苦笑する。石を投げつけられた額は痛んだけれど、彼の中には村を助けないと言う選択肢は存在しない。リナリアはアレスの生傷を見つめて、痛ましそうに歯噛みをする。

 「わたくしは、あなたの聖女であればよろしいのです」——呟きはアレスには届かない。ただ、彼女の法衣の袖を掴んでいたヒナコだけが、それを聞き届けたようだ。


   ◆


 リナリアへの説得と魔物の襲撃に備えての作戦会議のシーンを書き終えた。あとはバトルへの導入を書いたらこの話は完成だ。休憩がてら『波止場』を覗いてみると、二十二時頃にコメントが届いていた。もちろん碧宇美さんからだ。


「水野さん、こんばんは。

 勇者たちが迫害されるシーンは人間の醜いところを見せられているようで、本当に苦しかったです。それでも勇者は村人たちを悪く言いませんでした。彼の高潔な人間性にとても惹かれました。

 ところで、リナリアとヒナコはとても親密ですよね。二人の関係はこれからどんな風に進展するんでしょうか。おそらくヒナコはリナリアのことをかなり気にかけていますし、もしかしたらそういう展開も……——」


 頭の中で勝手にアテレコされた碧宇美さんの声が爆速に捲し立ててくる。

 ヒナコは勇者アレスの仲間の一人で魔法使いの少女だ。彼女がパーティーに加入したのは、魔力を探知するというレアスキルを持った聖女リナリアに憧れたのが理由である。いつしか固い友情に——という展開くらいは予感しているけど、展開は完全に想定外だ。

 なんだか勢い妄想ちっくでもあるし……。


 ——はて。


 ふと、私にとって一読者に過ぎなかった碧宇美さんについて、その人となりに興味を持つ。

 ペンネームにしっかりと意味を持たせている人は、作家である可能性も高い。コメント欄に書いてある『碧宇美』の名前をクリックすると、すぐに彼女(仮)のプロフィールが出てきた。

 『好きになった人が好き。それが例え女の子であっても。そんな自由な恋愛を書きたいと思っています』

 短いプロフィールの下に並ぶ作品は二つ。完結済の短編と連載中の長編が一作ずつ。どちらにも百合/ガールズラブのタグがついていた。普段読まないジャンルである。しかし、リナリアとヒナコの関係に拘る理由は少しわかった気がする。


 私は短編の方を開く。一万文字弱の小説だった。時間は二十二時半——短編を読むくらいの時間はある。私は軽い気持ちでその小説を読み始めた。

 しかし、序文に目を通した瞬間から、時間の心配なぞどこかに吹き飛んでいた。三日三晩は絶対に忘れられそうにないくらいのインパクトを持った、花が咲き綻び、雨が清々さやさやと降り注ぐような、絶佳の少女小説だった。

 切ないほどの一方通行同士の恋心。愛を恐れる少女と、愛を見失った少女。すれ違い続けた二人の狂おしい想いが、ついに交錯したとき、冗談じゃなく気持ちがどうにかなってしまいそうだった。

 小説に捧げてきた二十一年間、恋なんかついぞしたことないけれど、この感情がそうなんじゃないかと思えるほど、胸の芯から背中にかけて焼けるような火が灯った。


 今日はもう作業にならない。そう判断した私は、冷蔵庫から三百五十ミリリットルの缶ビールとグラスを持ってくる。

 熱くなった喉をきんきんに冷やしていくビールを呷ってから、長編の作品紹介ページを開く。こちらは現在十話まで投稿されている。——のだけど、既に気後れしていた。

 WEB小説において、百合というジャンルは未だ成長過程だ。長いこと異世界ファンタジーが圧倒的多数派を占めている。だというのに——彼女の小説は道半ばの長編にも関わらず、レビュワーは百人に届く勢いだ。私の小説は当然のごとくゼロ。口の中にビールのそれとは違う苦味が溜まる。

 しかし、指は迷わず一話目をクリックする。魂の叫びのような独白から始まった短編とは打って変わって、瑞々しい情景から落ち着いたテンポで始まった物語。物静かでストイックなギター弾きの少女と、人懐っこくて天才肌のベース弾きの少女。ヴォーカルも兼ねる二人の少女の出会いはあまりにちぐはぐで、これから彼女たちがどんな風に知り合っていくのか興味が湧いた。キャッチフレーズは『背中合わせの想い』。いつか、二人は同じステージに立つんだろうか。

 気づけば二十五時。長編も全て読み込んでしまった。


 パソコンから顔を上げて肩をごりごり回している頃には、私はすっかり碧宇美さんの筆致の虜になってしまっていた。いったいどんな感性を持っていたら、こんな美しい物語を紡げるんだろう。

 彼女は年上の経験豊富な女性だろうかと想像を膨らませる。


 そして、同時に思う。これが人を描くということなんだと。これこそが、私に欠けているものなんだと。


 気付いたらビールを三缶も空けていた。酔いが回ってくらくらと揺れる視界の中、小説の終わりに、『波止場』の作家が近況報告や告知用に使用するノートである『無線記録』の一覧が目についた。彼女の記録は一つだけ。


タイトルは『進むべき路』——、


   ◇


 こんばんは。

 そろそろ進路を考えないといけない時期にきました。のらりくらりとごまかしていたんですけれどね笑

 進学か、就職か——正直小説家になりたいと書きたいところですが、今の私の筆力では及ばないかもしれません。職業小説家として生きるのも、決して楽ではないでしょう。そんな悩みを抱えながらですが、今連載している物語はきちんと進めていくのでご安心を。

 どうか、皆様の心の柔らかいところに、多少なりとも触れられる作品であって下さいますよう、祈っています


   ◇


 一瞬だけ、すっと冷静になる。

 この文章を百パーセント信じるとしたら、碧宇美は自分よりずっと歳下であることになる。おそらく、高校生。ビールで冷ました背中が、また熱くなってきた。私は酔った勢いも手伝って、碧宇美の作品——長編の最新話にコメントを殴るように書き記した。




   ***つづく***

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