第2話 水野亜玖亜は読まれない #2
それでも、私のラノベ作家になりたいという熱意が消えることはなかった。
あのときの悔しさをバネに、市立図書館にこもって資料片手に小説を書き続けた。文芸部とかに行けば同志に出会えたのかもしれないけれど、同年代のアマチュアの子と執筆活動を共有したいとは思えなくなっていた。
大学受験に合格したその日、私は大手のファンタジー系ラノベレーベルを持っている出版社に持ち込みを仕掛けることにした。「アマがダメならプロに見せればいいじゃない」などと日記に残していたところを見るに、この頃の私はよほど厚顔無恥だったに違いない。
電話でアポイントメントを試みて、三件かけたうちの一件に運よく承諾してもらえた。
当日私の応対をしてくれたのは、歳の頃四十代後半くらいの無精髭の生えたおじさんだった。無造作になでつけた髪は少し雑な印象を与えたが、話してみるときっぷのいい担当編集者だった。
しかし、どうしたものか、六人がけの会議室に通され、原稿用紙を渡した瞬間から、彼の眼光の鋭さに圧倒されてしまった。おそらくこの人は何千何万という数の作品に目を通し、その良し悪しを見定めてきた。それこそ酸いも甘いも知り尽くしているんだろう。急に場違いなところに来てしまった気がして、逃げ出したくなる。
「なんでこの作品を持ってきた?」
ぽつりと担当が問う。
その答えは決まっていた。
「面白いと思ったからです」
歯牙にもかけられなかったダジャレ魔法の頃とは違う、異世界ファンタジー風本格ミステリー。『幽体転生 〜異世界に転生し損ねたわたしは幽霊のままラストダンジョンを彷徨う〜』は、今の私に書ける最高傑作だ。
◆
現実世界で暴走したトラックに跳ねられたわたしに転生の選択肢を持ちかけてきたのは、女神様でも世界のシステムでもなく——魔王だった。私は彼にユニークスキルである『ゴースト』を与えられ、ラストダンジョンにふさわしい強力な魔法をもって勇者や冒険者たちを打ち倒し、ラスダン最強の座に君臨し続けた。人間社会には、とある密室に誘導されて不可解な死を遂げる勇者が続出しているという報道がなされていた。すべてはわたしのスキルが引き起こした成果である。
しかしある日、密室のからくりを見破った本物の勇者に敗北してしまう。その勇者は年端もいかない少女だった。わたしに止めを刺さなかったことには辛酸を舐めらさせられたが、もう指先を動かす力も入らない。仕方なく送り出したものの、魔王にはすんでにところで逃げられてしまったようだ。かくして、わたしは勇者共々、憤りままに真の姿を現した魔王に立ち向かうことになる。
◆
担当は射殺すような眼光そのままに、私に目配せする。
「うむ——。十点ってとこだな」
「え? 十点満点ですか?」
「馬鹿もん、百点満点に決まってるだろう」
「——……それは作品の点数ですか?」
「違う。なんでこの作品にしたかって質問への回答についてだ。小説は——まぁ三十点てとこだ」
ちょっと上がった。しかし、それも百点満点なんだろう。高校なら赤点ギリギリのラインだ。
「まず小説についてだが、文章として最低ラインは満たしている。つまり読めるってことだ。しかし、表現の幅が狭い。わかるか?」
「全体的に表現が短調ってことですか?」
「そうだな。例えば主人公が勇者にゴーストスキルを打ち破られたところ。『わたしは驚いた。ゴーストスキルのアビリティである
「あー! あー!」
「やかましいな」
担当の男性は不快そうに太い眉を寄せる。しかし、口許は笑っていた。
「いえ、自分の作品を朗読されていると思うと、つい鳥肌が」
「やれやれ。作家的には零点だな……」
大きなお世話です。
担当は原稿を机に置き、ため息をひとつ溢す。
「まぁ、話を戻すぞ。主人公はどんな風に驚いた? 立ち尽くしたか、飛び上がったか、それとも後退ったか? そもそも驚きの源とはなんだ。恐怖か、無念か、敬意か? 密室殺人が通じない相手を目の前にして、どんな風に始末しようと思った? 策は? それこそ無策の中で動揺していたんじゃないのか? だとしたら次に取る行動はやぶれかぶれだ。そんな相手の様子を見た優しい勇者は何を思うんだろうな?」
そして、怒涛のように問いを繰り返した。あの頃の彼女のように。
「それは——、その——」
答えあぐねてしまう。シナリオはこのあと結局、密室による騙し討ちを諦めて正面から対決することになる。奇襲をかけて魔法を放つも、結果は完膚なきまでの敗北。しかし、そこに至るまでに主人公によぎったはずの葛藤が完全に抜け落ちていた。
「後学のためにはっきり言ってやる。設定描写に対して人物像が薄いんだよ。だから、物語が説明的になり過ぎる。共感ができない。あとまぁ、設定も細かく見ると穴があるな。百パーセント創作のファンタジーにおいては、見過ごせない弱点だ。『主人公と勇者はかつて会ったことがある』と言っておきながら『勇者は村から一歩も出たことがなかった』『転生してからというもの、わたしはダンジョンで一生を過ごしていた』とかな」
返す言葉もない。
前者が後付け設定だったために、後者との矛盾が生じてしまったのだ。しかし、アポイントメントの日までに辻褄合わせが間にあわず、そのまま持ってきてしまった。
担当は他にもいくつか指摘を告げる。よほど慎重に読まないと見落としてしまいそうな批判ばかりで、どれもが正鵠を射ていた。あらためてプロフェッショナルの実力を感じずにはいられない。
「でもあながちマイナスばかりでもない。舞台設定はきちんとしているし、キャラクターの個性もはっきりしている。売れ筋もだいたい抑えてるよ。一話に一個は入れないとあんたが死ぬんじゃないかってくらいのダジャレもいい味出してる。描写次第では化けるかもな」
視界がぐらぐらと揺れる。一刻も早くこの場所から逃げたかった。
指摘の二十分の一くらいの長さの褒め言葉は、私の耳を素通りしていった。
*
それから時代は流れ——。時流というべきか、一年前からWEB小説に手を出すようになった。友人家族からは諦めが悪いと言われるが、持ち込みをしたのはあれっきりだ。
私はラノベ作家になるためならどんなことでもやってみせる。今の時代、作家につながる道は一つじゃない。
小説投稿サイトは数あれど、読者の反応が活発にやりとりされている『波止場』というサイトを選んだ。読み手の存在を身近に感じられるのは、他のサイトにない利点に思えた。
折しもWEB小説界隈は異世界ファンタジーブームの真っ最中。顔見知りのアマチュアにも出版社のプロフェッショナルにも理解されなかった私の物語だけれど、不特定多数の読者がいるインターネットなら評価されるかもしれない。あわよくばバズって書籍化——なんてことも……。
そんな軽い発想で『波止場』に作品を公開するようになった。
***つづく***
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