第20話
かつて憧れた背中を見た。偉大な人物だったはずだ。でも今はその威厳を感じられなくなった。ただの力だけの塊。欲望の象徴。……あまりにも醜い。
私は待っていた。その力が儀式に集中するこの瞬間。その力は無防備になる。
懐に隠していたナイフを抜く。この古代で存在していた物。
「……永遠の命を望むあなたにとって、目前での死は耐えがたい苦痛でしょう」
私は淡々とそう言った。指にかかった刃物の柄が重く、その座標に固定されているようだった。達成感は無い。あった気持ちは、ただただ安堵だった。例えるなら、負債を返済しきったような感覚。私はここに、一つ目の使命を全うしたのだ。
背中越しにおじいさまが振り返る。彼は驚き、そして納得がいったような表情を見せる。
「……いつ気が付いた」
「貴方の本当の野望を知ったときです。両親の死は貴方にとって都合がよすぎる」
スカーレット家の秘宝であるメイド服、これが無ければ儀式は成り立たない。
生徒側からの協力者がいなければ表立って展開をコントロールするのは難しかった。
両親がいなくならなければ不成立になってしまう条件にあまりにも重みがあり過ぎる。調査に調査を重ねた私の結論はやはり正しかったのだ。
「……そうか。だが良いのかの? ワシがここで力尽きれば冥界の門は開かないぞ。それは、お前の望みに反しているじゃろう?」
私の望み。両親にもう一度会うこと。それは、おじいさまの野望を聞いた時に話した事だった。生と死の境界線をかき消し、世界を繋げることによって得られる副産物。それは自分の人生を意義のあるものにするために必要だった。
でも、ここで私は躊躇なく刃物を更に押し出す。苦痛に歪んだ声が漏れる。
「……確かにそうであったらいいと思ったことは事実です。でも、今の私を両親に見せるのは遠慮したいんですよ」
柄に魔力を通す。そして順番に三つ言霊を重ねる。『
「複合魔法『
肉体に作用するこの魔法は、私の魔力を通して相手を蝕んでいく。対象の魔力は徐々に私の物へと変質する。最終的には対象の肉体は全て魔力に分解され、私の物になる。
今のおじいさまの魔力を全て奪えば、私にだって儀式はできてしまう。なぜなら、やり方はすでに知っている。伊達にここまでずっと従って来た訳じゃないのだ。
「ミツレ、貴様……!」
おじいさまは私が何をしたのか一瞬で理解した。初めて見る魔法だというのにその理解力、解析能力は年老いたとしてもこの国では随一だろう。
でも、もう何もかもが遅い。
「安心してください。貴方の野望は私が引き継ぎます」
「────」
何かを言おうとしていた。でもそれが言葉になる事は無かった。口が分解され、粒子へと姿を変える。憎らし気に何かを訴える瞳が印象に残った。
「さようなら。どうか、あなたにとって一番不快な瞬間であることを祈ります」
瞬きをするとおじいさまの姿はもうない。あるのは、彼が振るっていた杖だけだ。
魔力が瞬間的に増大する。おじいさまがシオンから奪った儀式を可能とするだけの力が私の中に流れ込んでくる。内蔵を内側から握り、圧迫されているかのような負担が私を襲う。これは肉体という器に本来は入りきらない力。自分に相応しくないものだ。だから、それだけのノックバックが発生している。
でも、大丈夫。これが最後だ。儀式さえ終わってしまえばこの肉体がどうなろうと関係ないのだから。
私は落ちていた杖を握り、中断されていた儀式を再開した。
▼
結論から言ってしまえば、結界の答えは『鰆』であった。酷い誤字だ。何で魚偏をつけたんだ。意味が分からない。この結界を作った人間はちゃんと日本語を学び直した方がいい。まあこの世界ではそんな環境が無いから仕方がないとは思うけれど。
話を戻そう。エリオットさん曰く、間違っていても結界を作った人間が誤字に気が付いていなければ結界は成立する。そう言うルールが結界には存在している。だから今回はこのような回答になったのだ。
僕の隣でエマさんがホッと息を吐く。
「しっかし、焦らせんなよ。お前が読めないとか言い出すから冷汗止まらなかったぞ」
「いや、まさか誤字の対義語を考えろとか言われるとは思わないでしょう」
「それはそうなんだけどさ」
この先が思いやられる。まだまだ結界はあるのだ。これから先もどのような間違いをしているのか当てるゲームをしなきゃいけないと思うと、心苦しかった。
先を見て次の鳥居へ目線を向けた瞬間。視界の端に影が映る。
「っ!?」
頭をとっさに腕で覆う。そこに打撃が加えられた。目の前の生き物を見る。狼のような姿形をしたそれらは、僕らを敵視していた。一匹だけではない。目を凝らせば何十匹とその姿を確認できた。
「魔物……!? どうしてこんなところに」
「どうして、とか言ってる場合じゃねぇ! 問題はアタシ達を邪魔してるってことだけだ」
「……それは、言えているな。おい、ポンコツメイド!」
アイザックさんが僕を呼ぶ。そして僕が目線を送ったのを確認して言う。
「先に行け!」
「え? でも!」
「ここをノーダメージで強行突破できるのはお前だけだ! それでいて敵の本丸でも時間稼ぎができる。適任だろ!」
反論する隙すら与える気はないらしい。彼は力強く、怒鳴るようにそう言った。それを聞いたエリオットさんも剣を抜きながら頷く。
「そうだね。適任だろう。結界の事もある。他には考えられない。ここはオレ達が引き受ける。行くぞ、アイザック!」
「言われなくても分かってるっての!」
二人は狼の群れへ突っ込んでいく。それでもまだ動くのを躊躇している自分の背中を何者かが押した。同じメイドとして戦った彼女は
「早く行きな! 主人が待ってるんだろ! だったら、こんなところで止まってんじゃないよ」
「……はい! すいません、エマさん」
僕はエマさんにそう返事をして、次の鳥居へ向かった。たどり着いて結界を解き、それからもう一度走る事を何度か繰り返す。そしてその最奥へたどり着いた。
銀杏の木々。中央の舗装された道とその回りに敷き詰められた砂利。それは見慣れた一般的な神社のそれだ。その中で一つこの場にはあるべきではない、馴染まないものがあった。
幾何学模様で編まれた円。僕の知らない、異世界の文字。その中央に彼女はいた。
「……来てしまったんだね」
その緋色の髪が鮮明に映る。時間は数時間しか経っていないはずなのにやけに久々な感じがした。振り返り向き合うと、彼女はいつものように微笑む。
「どうだったかな? 久々のニホンは」
「そうですね。数日のはずなのにやけに懐かしく感じました」
世界が無くなるかもしれないタイミングで僕らはどうでもいい話をしてしまう。でも、それをいつまでも続けるわけにはいかなかった。
「……本当に、僕がどんな人間なのか知ってたんですね」
「ああ。君が怪しまれない様に正体を隠していることも知っていた」
「……どうして? 日本があったのはかなり昔のことなんでしょう?」
彼女は頷き、僕は問う。本当に正しいこと、彼女が見ていた景色を知るために。それを彼女は拒むことはない。
「私は土の魔法使いだったけれど、同時に考古学者でもあった。地下の歴史を学び、そこにあった文明をいつくしみ、そして、でき上がった物を見た」
「だから、日本の存在を知っていた」
「そうだよ。そして、己の野望の為に君たち日本人を過去からさらった」
彼女の野望。それは一度も僕に口にしなかった事だ。僕が知りたくてたまらなかった彼女の心の内。そこに一歩踏みこむ。
「野望? ミツレさんは、本当は何をしたかったんですか?」
彼女は噛みしめるように僕の言葉を聞いた。僕が聞きたくても聞けなかった実に重い一言。それに彼女は答える。
「……本質は変わらないよ。以前話したはずだ。私は失ったものを取り戻す為にここまで生きて来た」
「でも、それはどんな願いでも叶えられる、聖戦の景品の話だ。そんな物、本当は無かったでしょう?」
「ああ、自分の願いは自分で叶えるべきだ。……他のどんなものを犠牲にしたとしても。景品なんてあやふやな物を私は信用しない」
彼女は断言する。犠牲、その言葉がやけに重たく感じられた。彼女の覚悟がそこにはあるのだ。
「私はこの儀式で誰もが安心して生きることができるセカイを作る。人が突拍子もなく死んだりしない。争いも起こらない。私の様に、苦しむ人がいないセカイを」
彼女は苦しんでいた。僕が来る以前のことは正確には分からない。けれど、あの殺風景な、誰も居ない家を見れば分かる。両親との時間。友達と遊ぶ日々。そういった本来あるべきだった当たり前のことを、彼女は享受することができなかったのだ。
「……それができたら、素晴らしい事でしょうね」
「ああ、そう思うだろう。この場所で生きた君なら、この世界の理不尽さを骨の髄まで理解できたはずだ」
僕はこの世界での日々を想う。初日は魔物に殺されかけた。学校には戦いがありふれていた。ここではあまりにも命が軽く感じてしまう。
確かに僕から見れば理不尽極まりない。そういう場所なのは否定できなかった。
「その点、日本は素晴らしかった。私の理想に限りなく近い、完璧な世界だ。ここで儀式を行えば、あの世界を元に、セカイは再構築される」
両手を広げる。自分の言うことが正しいかのように堂々と言う。でも、あの世界だって問題がない訳じゃない。
「……そんな事をしたって争いは亡くならない。知能がある限りそれは絶対ですよ。あの時代に生きてきたからこそ、断言します」
あの世界で僕は悩んでいたのだ。日常で起こる争いに勝ち抜くためのアイデンティティを見いだせなかった。それ故に、苦しみ自己否定を続けて来たのだから。
それはあの世界に居た誰もが心の内できっと抱えている。
「……なら、それを超える物を作るだけだ。より高度なセカイを産みだす。死のない、争いのない世界。そのシステムを私が管理する限り、それは揺るがない」
「神にでもなるつもりですか」
「君達の世界の様に言い直すなら、そう言えるかもしれないね」
「それは……駄目だ。個人が扱っていい物じゃない。自分一人だけが苦しみ続けて、いずれは精神がおかしくなる」
「……苦しんでいるのは今までもそうだ。それがこれからも続くだけの話だよ」
聞く耳持たない。彼女にとってこれはもう決まっていること。一言二言の言葉で、覆るようなら、彼女はここには居ないはずだ。
彼女はどこまで正しい。実現できたのなら、セカイは素晴らしいものになるだろう。僕はこの世界では何も持たない部外者だ。だからこそ、その正しさを否定できない。
でも──
「──僕は嫌だ」
言葉が口からこぼれる。考えなんて無い。ただただ、感情的だった。
「ミツレさんが人間ではなくなって、新しいセカイで、完璧に物事をこなして……それがミツレさんにとって何のためになるんですか!」
「それは……もう言ったじゃないか」
「言っていませんよ! それは、セカイにとっての理想でしょう!?」
首を横に振った。彼女は眉をひそめる。それの何がおかしいのだと、僕に問いかけるようだった。違う。それはあまりにも自分の事を度外視してしまっている。
それがあまりにも許せなかった。
「……僕は、人としての貴女が好きだ」
彼女が目を見開く。あまりにも唐突で、ムードなんてへったくれもない告白だ。当然と言えば当然だ。でも、それでもよかった。
「……何で、今そう言うことを言うんだ」
「どうしてでしょうね。それが分からないんだったら、神様になんてならない方がいいです」
「私は、憧れられるような人じゃないんだよ。言ったじゃないか。私は悪い人だって」
彼女はいつも言ってた。いつだって自分のしていることに自信を持っているように見せて、心の内ではダメ出ししている。そんな自己否定の精神を僕には見せていた。
でも僕はそんな事を気にしない。彼女のそんなアンバランスさですら愛おしいと思っている。だけれど、いつまでもそんな風に自分を卑下して欲しくなかった。
「ミツレさん、僕は貴女を止める。人として留まって貰うために」
「……そう、君になら分かってもらえると思っていたのだけれど」
彼女が懐から杖を取る。初めてあった時と同じように鉛筆サイズだった杖は、徐々に大きくなった。その先が今度は魔物ではなく僕に向く。
「どうやら、戦うしかないみたいだね」
「ええ、そうみたいですね」
僕は拳を握る。半歩半身を下げて構えを取った。
「君に勝って、計画を遂行する」
彼女の言葉を首を振って否定した。そして、彼女と向き合うために口調を作る。他ならぬのメイドとして。
「いいえ。勝つのは、この
僕は堂々とそう言った。
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