第15話
かつての自分は特別な家に生まれ、その中で蝶よ、花よと愛でられた。優秀だと言われ続けた。自分は誰よりも特別で、将来は家をしょって立つのだ。そう教えられてきた。信じて疑うことを知らなかった。
だから、辛い訓練にも耐えられた。辛い教育にも耐えられた。これから、より特別な人間になるための下準備としては当然の行為だ。当然の代償だと、理解できたからだ。
そんな日々を過ごしていた時だったから、彼女の出会いは鮮烈だった。
ミツレ・スカーレット。
彼女はこの俺、アイザック・ターナーにとっての『理想』だった。自分に無い、考えもしなかった要素を彼女は持っていたからだ。
初めて会ったのは、訓練と評された魔法戦闘だった。親たちの代理戦争の意味もあった子供たちの争い。その最終戦だった。彼女との戦いも当然ものにするのだと信じて疑わなかった。
目の前の彼女はヘラヘラと笑って、一つ一つの戦いを楽しむような奴だった。お遊びでやっている奴らとは自分は違う。
だが結果は惨敗。自分が手出しすることも許されない程の完封負け。
何が起こったのか分からない程の力の差にただ成すがまま。遅れてくる痛みと悔しさに打ちひしがれながら見た彼女は、とても嬉しそうに両親にピースサインをしていた。
鮮烈な敗北の味。大人に負けるのはよかった。これから先の人生で打倒すればいい。最後に勝つのは自分だ。
では、同世代に負けるのは?
己より努力している者なら納得がいく。でも、目の前の彼女は? 自分より研鑽を重ねているとは考えられない。もし、そうなら……あんな表情はできないと思った。
なら、自分が負けた理由は才能なのだろうか? 家の誰よりもそれを認められ、尊ばれてきた自分が、それで負けた? ……認めたくない。だってそれは、自分を認めてくれた人たちを嘘つきにしてしまうことだったから。
「楽しかったよ。またやろう」
尻餅をついていた自分は、思いっきり歯を噛み締める。彼女から差し出された手を、弾いた。遊戯の様な感覚で相手をした彼女が許せなかったのだ。
その屈辱的な敗北を取り返すため、何度でも挑んだ。何度敗北しようとも、諦めることはない。だって、そうしたのなら、自分が何の為にここまでやって来たことが分からなるからだ。
それでも、彼女の差は一向に埋まる事はない。苛立ちは募っていく。そんな日々が五年ほど続いた時だっただろうか。彼女の両親にあった。
父の商談で家具を売りに来たのだ。その中でふと、彼の父親が僕を見て、散歩に誘って来たのだ。理由は「娘に挑む君を気に入ったんだ」と彼は言った。
正直、馬鹿にしているのかと思った。けれど、客人へ無礼を働く訳にもいかなかったから、俺はそれに付き合った。その中で彼は言う。
「娘がライバル視している子は初めてで気になっていたんだ」
自分がそんな風に思われているなんて、彼女は表情にも、言葉にも見せたことが無かった。だから、余計に苛立って「お世辞は止めて下さい」と声を荒げて言ったのだ。無礼にもほどがある。でも彼は気にせず、なだめてこう続けた。
「娘は口に出すのが苦手でね。いろいろとコツがいるんだ」
それから彼は、自分の娘について語った。自分のこと『骨のある奴』と嬉しそうに話すこと。そんな彼に負けたくないと言っていたこと。
そして、普段の鍛錬に加え近くの森で隠れて修行していること。
その姿を彼は、彼女の眼を盗んで見せてくれたのだ。
自分のメニューにも負けないハードさ。量。ただひたむきにそれをこなしていく彼女の姿を見て、素直にすごいと思ったのだ。
ただ、自分一人に負けないために、これだけの事ができる彼女の精神性。それは家から与えられ続けて来ただけの自分とは徹底的に異なる。
笑って、他人にとっての苦ですら楽しんで見せる。誇らず、見せず、何事も無かったように振る舞う。その在り方が、彼女なりの美学。
自分に無かったその価値観を、美しいと思ったのだ。
その光景が、自分の日々を変えた。
負けじと鍛錬を増やした。言葉遣いを変えて、より強気に彼女に振る舞う。戦いの頻度は増え、彼女に冷や汗をかかす頻度も増えた。
その度に自分も理想に近づけているのだと思えた。笑顔も増え、彼女と談笑もできるようになった。お互いを名前で呼び合い、打ち解けた。頻繁にからかわれたのは気に食わなかったけれど、彼女との会話は心地が良かった。
今までで一番人生を楽しめていた気がしたのだ。
でも、その日々は長く続かない。突然だった。ミツレの両親が亡くなったのだ。どうやら、家を襲われたらしい。
それからミツレは家に引きこもるようになった。呼び出しても聞きはしない。戦いにも応じなくなった。ようやく出て来たと思ったら、後見人の後ろについて、つまらなそうな顔をして杖を振うだけでまた家へ帰っていく。
理想であるはずの彼女。それがたった一つの偶発的な出来事で変わってしまった。何かに縛られ、動かされる彼女は……見ていられなかった。
だから、そのときに決めたのだ。いつか必ずミツレを打倒する。あの時の彼女の様に笑い、見下ろして。自分なりにアレンジを加えて一言、「ざまーみろ」と言ってやるのだ。
▼
スカーレットの必殺の槍が振り下ろされる。その圧倒的な質量、体積、鋭さが敵対するものを封殺してきた。ミツレ・スカーレットが得意とする上級魔法『
その魔法をよく知っていた。忘れる訳がなかった。かつて自分が破れず、成すがままにされた試練。それを乗り越える手段を
「『
二つの詠唱。体を浮かせ、自身の従僕に目配せをする。褐色の格闘家はその真意を今の魔法と目線で理解した。自分の魔法が効力を発揮し始めた。
「分かってる!
即座に宙に浮いた俺の靴裏を蹴り飛ばす。容赦なく振られたその足は防御魔法をもってしても、ジンジンと骨に響いた。
人間砲台の例えがふさわしいほどに、俺は一直線に高速で空を飛ぶ。弾丸の自分と目標物である彼女と目が合った。
ああ、相変わらず気に食わない表情だ。テンションの上がる啖呵を切った癖して、心の中では全くそんな事思っていない。本来の彼女はもっと、不細工な笑い方をする奴だった。
腰の剣を引き抜く。鞘と擦れる金属音がこの場ではやけにしっかりと聞こえる。
「
告げる。我が眷属たる水の粒子。その全てを動員して理想を取り戻す為に。
「『
剣を覆い、それを拡大し、研磨する。その三行程を越え、あの槍に相応しき水の大剣を仕立て上げる。
これこそが彼女と戦うために自分が作り上げた、今まで隠し通したとっておき。死力を尽くしてたどり着いた自分の解答。そのずっしりと重い感触を確かめながら彼女を見る。
その表情はいったい何を示しているのか、今となっては正確に読み取れなかった。
「ミツレ────!!」
彼女の名前を叫ぶ。名前で呼んだのはいつぶりだろう。その正確な数字も出すことはできない。でも、言うべきことは分かっていた。
「そのムカつく面、叩き切ってやるから覚悟しろ!」
かつてのように言う。彼女は答えることはない。ただ槍の切っ先をこちらに向けるだけだ。だが、それでいい。そんな冷血な血の通っていない彼女を打倒するからこそ価値がある。
「『
自身の魔法の名を言霊に乗せて口にする。自分が長年培って来た想い。その全てをこの一閃に乗せた。
「勝利の為に《カリバー》』!!」
攻撃は横なぎ、全ての槍に接触するように振るう。勝負の為なら目の前の一つだけで充分だ、でもそんなものにこだわりは無い。俺はこの戦いに残るより、目の前の彼女を打倒する。それが目的だったのだから。
拮抗する二つの武器。俺は雄叫びを上げ、魔力を柄から更に流し込んだ。高速で回転する水の刃は砕けた宝石も巻き込み、更に切れ味を増していく。
ミシミシと槍にひびが入る。それを合図に力を籠め剣が振りぬかれた。
宝石の槍が、次々に砕かれていく。破片がひらひらと、舞い散る雪の様に降り注いだ。彼女の必殺は、俺の信念のもとに砕かれた。
彼女は、あっけにとられ、今までの読み取れなかった表情を崩す。
「ククククッ……いやいや、見事だよ。アイザック。まさか君が私の魔法を破るとは。てっきり私は、エリオットが対処する物だと思っていたけれどね」
破片が降り注ぐ中、おちょくる様にミツレは拍手をする。それはかつての彼女とのやり取りを思い出させた。
それに応じる余裕はない。魔力を今の一撃でかなり持って行かれた。上級魔法は、戦争においてそれだけで戦略になってしまう。それほどにまで強力だからこそ、消費は激しいのだ。
でも、今だけは無理をして応えたかった。
「当然だ。俺とお前は……ライバルだ。これぐらいできなきゃ話にならない」
かつて自分たちが形にしなかった関係性。彼女と再び結びたい理想。その名前を改めて口にする。彼女は
「……ああ、そうだったね。なら、まだまだ続けるだろう? 『
告げられたのは詠唱短縮、繰り返しの魔法。彼女が唱えた魔法をもう一度、魔力を消費することで発動できる。当然、唱えられるのは……
「複合魔法、『
空中に宝石の槍が再び展開される五つの槍。大質量のそれの矛先は全て、自分を向いていた。これをまともに喰らったら生きては帰れない。
考えてみれば、当然だ。進歩しているのは自分だけでない。彼女とて、あれから更に鍛錬を積んでいるのだ。この規模の魔法をもう一度使えたとしてもおかしくはない。
「ライバルというのなら、これぐらい大したことないと言ってほしいね!」
「……ああ、勿論だ」
見栄を張る。自分の魔力の在庫はそこを尽きかけている。でも、それでも……
「『
無茶を承知で自分の体に告げた。自分を動かす原動力が限界を超えてフル回転する。口から血が滴り、体が代償を現在進行形で支払われていく。
「ザックっ!」
従僕が馴れ馴れしい名前で叫ぶ。悪い。でも、これは俺がやらなきゃいけないんだ。無茶でも、無謀でも、これだけは譲れなかった。
震える腕で剣を担う。それを眷属が覆い、もう一度大剣を仕立てていく。
「複合魔法」
空中を踏み締めて彼女に向かって飛びかかる。彼女はすでに腕を振り下ろし、強大な槍はすでに動き出していた。
息を吸って肺に喝を入れる。体の内部から焼けるような痛みが伝わって来た。やめろと、諦めろと、限界だと言ってきている。
でも、止まるわけには行かなかった。ようやく彼女が“らしく”なってきたのだ。自分が先にくたばってどうする。やっと待ち望んでいた展開じゃないか。
彼女を彼女らしく、自分が引き戻す。
そして、また全力で彼女に挑む事。それこそがこの戦いで望んだ、たった一つの祈りだったはずだ。ならば──ここで諦めるなんてあり得ない。この瞬間こそ自分が生きる意味そのものなのだ。
「『
喉から絞り出すようにして、信念を口にする。言霊が形となってその姿をさらす。
この魔法こそが自分の祈りの象徴。研鑽の為にたどり着いた物。憧れを打倒するため、未開の領域へたどり着くために編み出した物だった。
「行くぞ、ミツレ。そのムカつく面、今度こそ叩き切ってやる……!」
「ハッ、飽きずに良く吠えたね。やってみなよアイザックッ!」
空中を蹴り、飛び上がるさっきの様な速度はもうない。発射台に頼る事ができなくなったうえでの最高速度を保つ。
彼女との間に宝石の壁が割って入った。速度が落ちた分、彼女の対応も柔軟になっている。
「そこを……
一太刀。上段から一つ目の槍を相殺する。濁流が破片を飲み込み、己の力に変える。それを忌々しく彼女は見ていた。
成長した彼女ならば、砕けたこの破片でさえ操れるのだろう。砕かれても、敵を貫くために動かせる。
でも、俺相手ではそれはできない。この剣は砕いた敵でさえ己の一部へ変える。彼女のための剣なのだ。
背後からの二つ目、その陰に隠した三つ目。それらに突き差して内部から破壊した。その残骸すらも呑み込んで彼女に迫る。
「ッ……! なら、これはどうだ!」
上下から自分を挟むように展開された。成程、剣が一つしかないのなら、それに応じた動きをさせるのは道理だ。今の体勢から対応させるのは難しい。だが……!
「
限界を更に一段越え、我が眷属に告げる。後付けの魔法によって、剣は二つに分かれた。反動でまた体が軋んだ。無理を押して、体を捻る。
彼女の魔法は質量も体積も桁違い。だが、それ故に……素人とでも、狙いは定めやすかった。
「吹っ飛べ!」
回転の勢いをそのまま利用し投擲。反対方向にさらにもう一投。一直線に飛んでいく。剣が触れ、浸食し、最後の二つの槍を破壊する。
祈りが役割を全うし、その形を徐々に失っていく。確信して俺はミツレを見た。
「俺の勝ちだ、ざまー……みろ」
力を出し尽くした俺は、ずっと言いたかった言葉を口にする。信念は貫かれ、必殺は再び破られた。
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