第14話

 屋敷を出てからというものの、ミツレさんはずっと何かを考えているようだった。昨日の夜、パーティーが終わった後。僕と一緒に帰ってから、どこか遠くを見ている。昨日の夜も眠れなかったみたいだった。だから、ちょっと心配になる。

 彼女の悩み。その詳細を読み解くことはできない。けれど彼女にとって、それは何事にも代えがたいものだということは察することができた。

 昨日までの僕だったら、それをきっと放置していたと思う。僕は彼女にとって身近な人になった。けれど、重要な人ではないから、彼女の大事な“核”となる部分に踏み込むべきではない。そう思っていた。

 でも、その考えを改めた。僕は他の誰でもない自分の為に。彼女にとって微々たるものだとしても、助けになると決めたのだから。だから、ブレーキを離して彼女に踏み込む。


「何をずっと悩んでいるんですか、ミツレさん」

「え? ああ……まあ、いろいろと思う所があってね」


 僕に声をかけられたことに目を見開いて、驚いていた。彼女にとっても僕の行動は意外だったらしい。


「いろいろと?」

「……まあ、いろいろとだよ。そのうちの一つは今日をどうやって勝ち抜くか、とかね」


 僕が問うと彼女は少し間を置きそう言った。少し言いづらそうにしていたのはかつて彼女自身が考えるのは自分の仕事だと言い切っていたからだと思う。

 誰だって自分の仕事を他人に押し付けるような真似はしたくないはずだ。それは彼女でも例外ではないだろう。


「じゃあ他は? 何に悩んでいるんですか」

「そこを突っ込むかい? てっきりこのまま作戦会議かと思ったよ」

「それは、ミツレさんの仕事でしょう。本人がやるって言ってたからには口出ししません。僕は貴方を信じて、動くだけ。そうでしょう?」


 問いかける。気難しそうな彼女がほんの少し解けて、取り乱した様に見えた。もしかして、本当は助けて欲しかったとか? いや、彼女に限ってそれは無いだろう。一瞬生じた疑問を振り払った。


「……台詞だけは一丁前だね」

「台詞だけとは酷い事を言いますね。僕は別にかっこつけている訳でも何でもないですからね」

「そう言う所は、ちょっとズルいかな」

「え、今なんて言いました?」

「いや、何でもないよ。独り言だ」


 彼女は何かを誤魔化した。それが重要な事ではないと思いたい。学園が見えて来て、雑談もここまでと言ったタイミングに差し掛かっている。だから僕はその言葉に言及できずに、門をくぐる。


「お待ちしておりました。ミツレ・スカーレット様、決勝の会場はこちらになります」


 僕らがしばらく歩くと黒服の大人が一人立っていて、彼に従って校内を移動する。足取りからしてアリーナには向かっていない。むしろ校舎の中心へと向かっているようだった。

 これから行われる決勝。そこでは選抜された四人の魔法使いが争う。そのうちの一人、僕の主人であるミツレさんの攻撃を僕は知っている。アリーナを埋め尽くす宝石の槍。同じでないとしても他の魔法使いも似たような規模の魔法を使ってくるだろう。そう考えるとまわりに建物がある状態ではやるべきでないとは思うのだけれど……。


「こちらです」


 黒服が足を止める。たどり着いたのは中庭だった。以前ミツレさんにこの学園を案内されたときには侵入規制がかかっていた場所。そして地下遺跡がある場所。この地下に、願いを叶える何かが、眠っているのだ。


「ご案内ありがとうございました」

「いえ、仕事ですので」


 ミツレさんが頭を下げたのに倣って、僕も頭を下げた。彼は「頑張ってくださいね」と辺り触りのない言葉を残して、この場を去る。彼女はその背中を見送る事はしない。真っ先に中庭と廊下の境界線を手の甲で触れた。当然のことながら何も起こらない。


「結界の第一層は解除されているね」

「結界?」

「ああ、平時ではここに結界が張られているんだ。容易に人が入れないようにね」


 入っていけない場所に鍵もかけないのは不用心すぎる。学園側もそれ相応の対策は練っているのだ。


「それが何層だったか……細かいところは忘れてしまったけれど、何枚も張ってあるのさ。地下遺跡の入り口までね。まあ、雑談はこのぐらいにして……さっさと行こう。ここで立っていても願いが叶う訳じゃない」

「……はい」


 ミツレさんの声色が変わった。普段の弾むような物も、さっきまでのきまり悪い迷いの雰囲気も感じられない。彼女はこの戦いの為に長らく備えて来た。その覚悟は揺るがない。

 初めて中庭に足を踏み入れた。空気が静まり返った空気は何となくヒンヤリとしている気がした。


「シオン君、君には……いろいろと迷惑をかけるね」

「そんなことないですよ。僕は、迷惑だなんて思ってません。ミツレさんに助けて貰って、メイドになって……いろいろなことに気が付きましたから。感謝してますよ」

「そうか。ありがとう」


 彼女は一度顔を伏せていた。顔を上げて僕をチラリと見る。そして、何か重い事象を打ち明けるときの様に、ゆっくりと再び口を動かす。


「……でも、君は優しすぎるように思える。ずっとそのままなら、いずれ利用されてしまう。気を付けた方がいい」

「そう、ですかね?」

「ああ。世の中には。悪い人間はいっぱいいるんだから」


 彼女は言う。念を押す様に。それは呼び水みたいに、いつかの記憶を思い出させた。だから僕はそれに従って問う。


「……それは、ミツレさんも含めて?」

「勿論。いつか言わなかったかな。私はね、悪い人なんだよ」


 その言葉を覚えている。やっぱり思った通りだった。僕がこの世界こちらに来て、初めて迎えた夜。星空を見ながら話をした。あの時と同じ言葉だ。

 あれから少し時間が経った。けれど、僕の考えは変わらなかった。彼女は……


「でも、やっぱり……ミツレさんは悪い人にはなり切れませんよ」

「どうしてそう言えるんだい? 私は君に自分のすべてを話したわけじゃない」


 あの時と同じような言葉を、ミツレさんは返す。なぜ彼女がそのような事にこだわっているのか、その理由を僕は知らないままだ。

 それでも、僕の結論は変わらない。彼女の目的と同じだ。僕の想いはそう簡単に曲がったりしない。僕は、彼女を信じている。


「本当に悪い人だったら、そうやって警戒を促す事なんてしませんよ。『私は詐欺師です。注意してください』なんて言いながら詐欺を働く人はいないでしょう。たぶん、根本が善人なんですよ、ミツレさんは」

「…………そうかい」


 彼女が今にも消えてしまいそうな声で返事をした。彼女の表情は読み取ることはできなかった。確認する間もなく、彼女は立て直したからだ。


「さあ、到着だ。ここがこの学園内で発見された遺跡。『タワー・オブ・ヘブン』だ」

「ここが……」


 天へと伸びる三角の建造物。やけに機械的なそれは、僕の知っているもので言うならば、伝播等の先端、みたいだ。ここの世界はファンタジーというジャンルなのに、ここだけSFのようだった。妙に浮いている。

 違和感を修正できないでいると、空中にまた映像が映る。その中にいるのは勿論、学園長さんだ。


『よく来たの。決勝はこの中で行われる。近くに階段がある筈じゃ。それを使って降りて来てもらえるかの?』


 あたりを見渡して、それらしきものを見つける。覗き込むと階段はらせん状になっていて、等間隔で炎が揺れていた。それを見てミツレさんが目を閉じて深呼吸をする。


「……行こう。これが最後の戦いだ」


 彼女の言葉に頷いて、階段を下りる。下り切ると開けた広場に出て、そこにはすでに僕ら以外のすべての代表と、学園長先生が揃っている。僕らはどうやら最後だったらしい。

 学園長さんと目が合う。


「これで、全員そろったの」

「遅いぞ、スカーレット。てっきりこの俺から逃げ出したのかと思ったぞ」

「いや、君からは逃げるまでもない。勝手にやられそうだ」

「何だと!?」

「落ち着きな、ザック。アンタはすぐ熱くなるんだから」


 今にも飛びかかりそうなアイザックさん。それを羽交い締めで留めるミラさん。二人は相変わらずと言った感じだ。けれど、他の面々は緊張感を保ってこちらを睨むのみ。それが本来普通なんだろう。

 学園長さんが咳払いをして、彼らを鎮めると改めて話を始めた。


「では、諸君。よくぞ勝ち抜いた。よくぞたどり着いた。これより行われる聖戦、それによってこの中から一人、最高の魔術師が誕生することだろう」


 聖戦によって深淵に至る。この世界で出会った魔法使いたちの目的。あらゆる願いが叶えられるだけの力を得る。力の断片を手にした学園長さんは先日他に類を見ない力を見せていた。


「この地下で戦い、四属性のエネルギーぶつけ合う。それによってこの先にある“門”を開く」


 彼は杖で示した先には金属の門がそびえたっていた。これまで、これも、上に会った塔同様にこの世界から浮いている。この世界に馴染んでいないない。やけに機械的でメタリックな外観だ。

 あの先に、とんでもないものが眠っている。


「死力を尽くし、最後まで生き残った者。それがその全てを手に、門の先へ進むのじゃ」

「ちょっと待って、おじい様。この場所、本当に全力を出して大丈夫なの? 場合によっては倒壊するかもしれないでしょ」


 ミツレさんが口を挟む。確かにそれは死活問題だ。この場所でミツレさんが全力をだしたら、本当に倒壊するかもしれない。戦いどころでは無くなってしまう。それは他のペアも、例外ではない。

「それは問題ない。ワシが結界を張る。ちょっと、下がっておれ」


 促されるままに僕らは距離を取ると、学園長先生の足元に魔法陣が描かれる。幾何学的な模様は見る見るうちに大きくなって、この地下の床を埋め尽くす。


「『停滞せよスタグネイト』、『傷つくこと無かれフローレンス』、『反発せよリフレクト』──複合魔法『城壁は傷を許さずインタクト・ウォール』」


 詠唱を終えると魔法陣は光の粒子となって、この空間をベールで被う。


「これは結界術式。対象としたものを不変、つまり状態を固定する魔法じゃ。君達の攻撃も問題ない」

「流石おじい様ね」

「これこれ、あまり褒めるでない。調子に乗るからの。これで準備は終わりじゃ。四隅に散らばっておくれ。開始地点が記してある、そこまで向かうのじゃ。全員が準備できたら始めるぞい」


 カツカツと靴の音が響く。その途中で早くもたどり着いた人の声が聞こえ始める。


『アイザック・ターナー、エマ・トンプソン、準備OKだ。いつでも行ける!』

『ちょっとまて、何でお前が返事をするんだ!』

『いや、準備できたみたいだったし。いいかなって』

『よくない! こういうのは当主がビシッとだな……』


 真っ先に準備を終えたのはアイザックさんたち。この場面でもいつも通りフラットな状態でいれる図太さが羨ましかった。


『ルーク・ロバーツ、ナタリー・テイラー。準備……出来ました』


 おどおどとした声。初めて名前を聞いた人だった。たぶん風属性代表の人だ。怯えをにじませた声の震えには僕も共感してしまう。


『エリオット・ベイリー、ミラ・バトラー。問題ありません』


 淡々と述べる。感じられるのは自身の表れ。何でも無い、普通のことのように言う。僕が手に入れられなかった物、それを持っている彼。戦うことが避けられないであろう、強大な力を前に少し体が硬くなった。


「表情が硬いな、もう少しリラックスしたらにしようか」


 柔らかな手が肩に添えられる。隣の彼女の声が、僕に力をくれる。そうだ。僕には彼女が付いている。首を振って笑顔で応えた。


「いいえ、大丈夫です」

「うん。その顔ができるなら大丈夫だね。じゃあ、行こうか」

「はい」


 緋色の髪が目の前を通って、戦場へ体が向けられる。


『ミツレ・スカーレット、並びにシオン・フヅキ。準備完了です』」


 カウントダウンが始める。五から始まって、一まで近づく。一つ一つが、とてつもなくスローに感じる。それがようやくゼロになった瞬間、戦いが始まった。


「『激流よシュート!』」

「『風の刃スプリット』」


 水弾、風の刃が僕ら目がけて飛んでくる。アイザックさんと風属性代表からの攻撃だった。目くらましも兼ねているであろうそれらを僕は腕を広げて受け止める。痛みはない。この程度であれば問題なくしのげるのは実戦で経験済みだった。


「『飛翔せよフライ』」


 後ろでミツレさんが呪文を唱え、跳躍する。追撃を華麗にかわして、空を蹴り、舞う。緋色の髪がはためく。速度を上げて天井付近まで駆け上がる。懐から取り出した試験管を砕いて、その中のしもべ達を呼び起こす。


我が僕よサーヴァント、『増殖せよインクリース』、『増大せよヒュージ』、『その姿を槍となせチェンジ・スピア』」


 彼女の言霊に従い、眷属が動き出す。命令を一つ越える度にそれは凶悪に、支配的に姿を変える。地下を照らす光は覆われ、その槍に屈折させられた。


「──複合魔法。『降り注げ、必殺の槍ゲイ・ボルグ


 彼女の右手が天へと振り上げられた。槍の矛先が一斉に僕たちの地面を剥く。空気が締まり、ピリピリとしたものへと変わる。


「時は満ちた! お互いの願い、存在意義、その全てを賭けて……思う存分、競い合おうか!」


 この場にいる者全てに高らかに宣言する。誰もがその魔法の強大さ、美しさに目を奪われる中、彼女は不敵に笑う。


「もっとも、勝つのはこの私だけどね」


 ……一言余計なのは最後まで変わらないらしい。彼女の右手が、振り下ろされた。必殺の槍が大地へ向かう。

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