第13話

 夢を見た。ずっと昔の夢だ。ずっと昔であることに気が付いたのは両親の背丈がやけに大きくて、私はその背中を見上げる視点だったからである。

 両親は魔法使いとして大成していた。領主としてこの辺りを収めるだけでなく。時折起こる隣国との争いに駆り出されては、その度に戦果をあげて帰って来た。

 だからこの辺りの人たちは両親を敬っていたし、両親はその事に誇りに思っていた。たとえ有事の際にしか求めれられない力の象徴だとしても。誰かの暮らしを、誰かの幸せを守れたことに胸を張る。そんな両親に私は憧れ、日々の鍛錬に明け暮れた。

 そんな自分の成長を両親は喜んで、褒めて。またその度に私の知らない次の壁を提示して見せた。それをまた乗り越えるために、また鍛錬を繰り返す。その果てに十歳になる事には大人にも負けない技量は身に付けていた。人生で間違いなく充実していた日々だったと思う。


 でも、その日々はもう無いものなのだ。両親は私の目の前で……私を逃がす為に亡くなった。家族で出かけた所を襲われたのだ。

 今にして思えば、両親にも負の側面があったのだと思う。争いに身を投げるということは、誰かから感謝されると同時に恨みを買う行為でもあるからだ。両親とてそれは例外ではない。

 納得している。でも、その頃はしばらく受け入れることができなかった。時間は一人でもじわじわと進行した。時計の秒針が動くたびに自分の気持ちがやすりで削られているような、そんな気がしていた。

 その傷のことを周りは気にもかけない。領地をかすめ取ろうとする他の領主からの追求が雨の様に私を濡らす。それもまた精神をすり減らしていく。

 両親の残したものを受け継ぎたい。しかし、まだ自分は若い。それでいて未熟だ。そんな者に土地を治めるだけの能力なんて有りはしない。両親が亡くなった後でさえ、どうしたらいいのか分からなかったのだから、当然と言えば当然だった。

 そんな風に途方に暮れていたときだった。おじい様と出会ったのは。


「君がミツレさんだね。スカーレット家の一人娘の」


 第一印象ははっきり言って胡散臭いおじいさんだった。警戒心を緩める事なんてできる筈もなく、私は彼を睨んだ。


「そう睨まないでくれ、ワシはね、君の助けになりに来たんだ」


 そう切り出して来た大人は何人いただろうか。ほとんどの要約してしまえば領地を自分に寄越せと言っているようなものだった。でもおじいさまは違った。


「後見人になりに来た。領地を治める事を認めるし、その手助けもしたい。文句を言う奴は私が黙らせてしまおう。どうかね? 悪い条件ではないと思うんじゃが……」

「確かにそれが本当なら、ですけどね。私は貴方がどのような人間かも知らない。そのような力があるとも思えない」

「それはごもっともじゃな。自己紹介を忘れておった」


 自分の言葉は一定以上の正しさを持っていた。おじいさまは髭を撫で言葉を付け加える。


「ワシは、ノア。ノア・クラーク。君のご両親の上司にあたる」


 息を呑む。その名前は聞いた事があった。両親からも、他の人からも。父以上の戦果を挙げ、この国の英雄ともされた魔法使い。顔は見たことは無かったけれど、知っていた。


「不思議そうじゃな」

「はい。何で貴方が私を助けるんですか?」

「それはの、君を見ていられなかったからじゃよ。君には素質がある。両親の言っていた通りにの。未来溢れる人間に手を差し伸べたくなるのは当然じゃ」


 こほんと咳払いして彼は続ける。


「ミツレ・スカーレット君。改めて言おう。君も魔法使いになって欲しい」


 救いの様な提案だ。私は言われなくてもそうなるつもりでいた。両親の期待に応えたいという思いは未だに持ち続けている。その道筋が断たれかけていたのもまた事実だった。

 でも自分にとってあまりにも都合がよすぎる。だから余計に彼の真意が気になっていく。


「それが貴方にとって何のメリットがあるのかさっぱりわかりません」

「なるとも。ワシはね、ミツレ君。学校を作りたいんだ。魔法使いが切磋琢磨し、より強大な力を手に入れるための学び舎を。生徒になるというなら、君の立場を確約しよう」


 その夢を語るおじいさまはあまりにも綺麗な目付きをしていた。かつての自分の様な、希望を持った目。自分を貶めようとしてきた大人とは違う。だから、この人の手助けになるのなら……それは悪くない。子供ながらにそう思った。

 私は保護を受けることを了承した。それからはただただ自分の資質を高めることに専念した。自分の夢を叶えるために。おじい様から受けた期待に応えるために。ただがむしゃらな日々を送った。

 でも、そうしても傷は癒えない。両親がいた頃以上に幸せだと感じる瞬間は訪れなかった。眠る前、食事中、風呂に入る前、ふとした時に今と過去を比べてしまう。 

 きっとあの時。両親と別れた瞬間。自分の幸福を感じる器官は壊れてしまったのだ。そう理解するのに時間はかからなかった。その認識は今になっても変わっていない。


  ▼


「ミツレさん起きて下さい。朝です。いつまで寝てるんですか」


 ゆさゆさと肩を揺らされる。窓から差し込む光はカーテンで減衰されずに部屋に届いていた。それが少し不快ではあったものの、少しずつ意識が覚醒していく。


「そうだな……美味しい朝食ができるまで、とか?」

「朝食はもうできてますよ。それともあれですか『食べるまでもない、こんなものを私に出すな』って言いたいんですか」

「いや、流石の私でもそこまでは言わないさ。それとも君の周りにはそう言う人がいたのかい?」

「流石に周りには居ませんでしたけど、料理の漫画しょもつには居たりしましたよ」

「それ絶対に教育によろしくないでしょ……。まあいいや。起きよう。せっかくの君の朝食が冷めてしまってはもったいない」


 私は反動をつけてベッドから起き上がると真上に向かって背伸びをした。緊張していた筋肉がほぐれて血液が体を巡っていく気がする。


「それにしても、珍しいですね。ミツレさんが自分から起きないなんて。いつもは決まった時間にこっちに来るじゃないですか」


 瞼を開けると不思議そうな顔で彼はこっちを見ていた。(当たり前だが)悪気が無いことにイラッとした。誰のせいで眠れなかったと思っているんだ。


「中々寝つきが悪かったんだよ。それに、寝たら寝たで変な夢を延々と魅せられて……」

「へぇ、それはどんな?」

「上手く説明できないな……。もう記憶から抜け始めている」


 嘘だ。でも、彼に向かって私は積極的に過去の話をしたくはなかった。私はかわいそうで、同情して欲しいと言いたい訳じゃない。だから、話すことは選ばなかった。


「そうですか。まあ夢ってそういうものですからね。さっさと着替えて、朝食、食べに来てください」

「えー着替えさせておくれよ。君、メイドでしょ?」

「い・や・で・す! セクハラで訴えますよ。バカなこと言ってないで早く来てください。先行ってますから」


 すたすたと歩く彼はわざと音を立てて扉を閉めた。ついこの間といい今日といい、同性と言うことにしている設定を弄り過ぎただろうか。でもそう言う所でムキになるのはなんだか可愛い、年下の男の子って感じがした。

 そういえば少し前のアイザックもあんな感じだったなぁ。彼はあれでからかいがいのある男だった。今でこそすっかり可愛げが無くなってしまったけれど、幼い頃は純粋で……。そうなくなってしまったのはいつ頃だっただろうか。覚えていないけれど、その要因はからかい過ぎた自分にあるのだろう。

 思い出に浸り、身支度を済ませて彼の待つ広間へと歩いて向かった。空腹の出迎えたのはトーストにハムエッグ。それにスープを加えた朝食メニュー。それぞれの匂いに心が躍る。

 両手を合せて挨拶をして、トーストを頬張った。バリッと心地いい音が響く。


「美味しいね」

「それは良かった。焼いただけですけど」

「……ジャムがあったらもっと良かったのに」

「一言多いですね。そう思うなら自分で買ってきてくださいよ」

「ああ、君の仕事ぶりに文句を言うつもりはなかったんだ。許してくれ」


 プーっと頬を膨らませて彼は拗ねてしまう。こうやって分かりやすく感情を表現してくれるようになったのは私としては喜ばしく微笑ましい。

 一人だけだった時の食事は生命を維持するだけの義務的な物だったけれど、彼と摂る食事は失われたかつての日々を思い出させる。

 ずっと、こうしていたい気持ちが無いと言えば嘘になる。そう言ってしまっていいほどに彼は私の中で存在価値を得ていた。


 でもこれは所詮借り物で偽物の日々なのだ。本来、彼はここにはいない異物、異端である。何事も行動には代償が必要だ。彼をここにいつまでも留めておくことはできない。いつかは返さなければならないのだ。

 彼自身もそれを望んでいる。この間、自分でチャンスを蹴ったのは確かだ。けれど、いずれは絶対に帰りたいと思っているはずだ。

 曰く、彼の居た世界では武力による争いは数を減らしている。だから戦い慣れはしていなかった。今回、戦い抜くにあたっては適していない人選だ。

 でも、それが羨ましい。もしそのような世界だったら……たぶん、私はこんな風にならずに済んだだろう。彼と接するたびに考えてしまう。


「ごちそうさま。美味しかったよ」

「お粗末様でした」


 彼が軽くお辞儀をして私の皿を下げていく。その片付けが一通り終わったところで、私は彼と向き合う。こうして落ち着いて話せるのも、あと少しだと思ったからだ。


「さて。いよいよだね。今日で全てが決まる」

「……はい。今日は決勝ですからね。本音を言えばもう少し休ませて欲しかったですけど」


 冗談交じりに肩をすくめてみせる。まあ、それは私も思った。なにせ昨日予選が終わったばかりだ。もう少しスケジュールに余裕を持たせて欲しかった。もう数日、余裕があったならこの寝不足も立て直せたかもしれないのに。


「どう転んでも、君との戦いはこれで最後だ」

「そう、なりますかね?」

「なんで疑問形なんだい?」

「だって、そう簡単帰れるとも思っていないですから」

「なんだ。私の力を見くびっているのかな? 私が本気になれば、数日もかからないさ」

「だと……いいんですけどね」


 彼は視線を逸らす。それは彼が自分のことについて隠し事があるからなのか。それとも、別の不安要素なのか。心当たりが多くて絞り込めない。


「何だ、心配そうだね」

「いえ、疑っている訳じゃないんですよ」

「へぇ……メイド服を脱ぐことが名残惜しかったりするのかな」

「それは絶対にないから安心してください」

「じゃあ、私と別れる事を寂しく感じていたりするのかな?」


 意図的な会話が、意図しない文脈へとジャンプした。そのことを彼以上に私が驚いている。その困惑を整理する間もなく彼は言う。


「それは、否定できませんね。ミツレさんといるのは悪い気はしませんでしたから」

「っ……!?」


 その言葉で自分の心がさらに乱される。彼の言葉が何度も、頭の中で反響した。それに心臓の鼓動がテンポを上げながら混ざる。一つの音楽を聴いているみたいだった。

 初めての感覚に困惑している。これをどのように扱って良いのか分からない。だから私は「……そう」とぼんやりとした返事をする。


「だから、寂しいって思ったりします」


 その言葉に追い打ちを喰らってしまった私は上手く言葉を紡ぐことができなかった。数十秒の空白を産み出し、昂った何かをギュッと押し込めて、


「そっか、ありがとう。嬉しいよ」


 そう、言葉を絞り出した。

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