第12話
「さて、それで貴方はどうするのかしら」
情報を掲示し終わったミラさんは再び僕に問いかける。自分達の提案に乗るのか、否か。僕がミツレさんを裏切るかどうか。その選択を、求めている。
彼女は、ミツレさんは僕を必要としていない。その事は僕自身がどうしようもなく理解している。僕がいなくても勝ち抜けるだけの力があった。
だから、僕がどのような振る舞いをしようと問題はないはずだ。
それに、もしミラさんとエリオットさんが勝ち抜いたら僕を日本に返してくれる可能性がある。彼女よりも早くその準備に着手している。ならば、彼女よりも早く、その用意を終えるのは道理だろう。だが、
「貴方の提案が本当であるとは限らないじゃないですか。本当に日本に返してくれるかも怪しい」
「確かに、その証明をすることは難しいでしょう。でも、このままでは貴方が危ないことも確かではないでしょうか。私の主人はこの学園でも屈指の使い手。貴方のご主人も素晴らしいものを持っている。ですが……一番はエリオット様」
目を伏せて彼女は言う。どうしようもない、覆しようのないことを言う時みたいだった。自信、ではない、忠告だ。予選を超えた彼女は主人の戦い方を知っている。僕がそれ故にどのような目にあうのかが分かるのだ。
僕がミツレさんの実力を
「……そんな事、やってみないと分からないじゃないですか」
「この学園唯一の特級魔法の使い手と言っても?」
特級、ミツレさんに聞いた事があった。一番上のランクの魔法だ。僕が無傷で受けられるのは上級まで、巻き込まれたら僕がただじゃすまない。
そんな人にミツレさんは勝てるのか? その疑問は戸惑いとなって、僕の表情に滲みだす。
「その様子だと、魔法に疎いあなたでも実力の差は分かった様ね。これで身を引いてくれる気になったかしら?」
証明はされない。しかし、ここで首を縦に振れば命は助けてもらえる可能性がある。
それは悪くない話のはずだ。でも、だったらどうして、どうして僕はこんなにも悩んでいるのだろう?
最初はただ恐怖感しかなかった。この世界からは一刻も早く去りたかった。だから手段があるなら全部ほっぽり出して、実行しているはずなんだ。なのに……なぜ、そうしないのか。
正しいはずの選択。正しいはずの答え。それに応じて「分かった」と言うだけのこと。
それになぜ、これほどまでに僕は悩んでしまっているのか。
心の底で、そうしてはいけないと思ってしまっているのか。
それは……たぶん、自分が納得していないからだろう。例えそれが正しいとしても、他の誰もがそれに文句をつけないとしても、答えを出した自分自身が否定してしまいたいからだろう。
仮に生き延びたとして、日本に帰れたとして、その選択を僕は障害後悔して生きていくことになる。根拠はない。だけど、確信がある。
一度決めた目標を成し遂げる前に諦めること。それがどんなに辛く、歯がゆいものなのか。僕は知っている。
もう何も目指さないことが楽だと、感覚で分かっていた。だから何者でもない自分でいた。後悔で日々ジクジクと自分の心を蝕まれたとしても構わなかった。
だけど、もう一度目指したいと思ったのだ。
初めてここに来た夜。月下で誓った。彼女の力に、彼女に誇れるメイドになるんだと、決めたのだ。
ミラさんに向き合う。そしてはっきりと自分の目的を、信念を口にする。
「ごめんなさい。僕は貴方の提案を受けることができない」
彼女はまさか断られると思っていなかったようで、面食らったようだった。たぶん、僕が逆の立場でもそう思っていた。
「自分が何言ってんのか分かってるの!? バカじゃない。せっかく私が助けてやろうって言ってるのに!」
急に声が荒くなって、彼女のおしとやかな態度が崩れた。近寄りがたかった彼女にようやく近くなった気がする。やっぱり、年の変わらない女の子なんだと思う。そのことに僕は安堵する。
「なんだ、貴方も荒っぽいじゃないか。最初からそうしてくれれば気が楽だったのに」
「うるさい! アンタの選択は絶対に間違っている!」
ビシッと人差し指を刺された。それにひるむことなくはっきりと意思を告げる。
「それでもいい」
「アンタがいなくたって、あの女はやっていける」
「知ってるよ。例え必要とされていなくても、僕は彼女に恩を返したい」
そうだ。例え必要とされていなくたって問題ない。裏切られたって構わなかった。
僕はミツレさんの助けになりたい。たとえ微々たるものだとしても、意味がないと他の誰かに何を言われようと、絶対に変えない。変えてはいけない。
この想いはこれは僕の意地であり、信念なのだ。
そのことをようやく、ミラさんに問われて自覚することができた。
「もういい。後で後悔させてあげる。そのときに助けて欲しいって言っても聞かないから」
彼女が踵を返して、僕の眼の前から去っていく、足音が雑踏に紛れていくたびに緊張感がほどけて、平常心が戻って来る。
気が付けばあれだけ悩んで、ため込んでいた気持ちはスッキリと晴れている。さっきまでなら考えられない気分だ。今日はぐっすりと眠れそうだなと、思った。
▼
私は、彼の会話を聞いていた。他人と会話をしているふりをしていた。今更ながら自分に好意を見せる人たちに苛立っていたのだ。
正直こんな事をしているのならば、この間みたいにシオン君とどこかに抜け出してしまいたい。でも、それは思うまでにとどめておく。この場を取り仕切るおじい様の面子もあるから、最低限こなしているふりをした。
それでも、退屈なのは変わりない。だからシオン君の様子を覗き見し、聞き耳立てていた。魔法を使えば、すぐ隣にいるのと変わらないぐらいに情報を得ることができる。それに、彼は予選が終わってからどうにも調子を崩していたから、放っておけなかった。
しばらくして彼と会話をし始めた女性がいた。僕と優勝を争うエリオットのメイド。黒髪で、おしとやかで、どことなく品を感じさせる女性。そんな彼女がシオン君に何を聞いて来るのか興味があった。彼と彼女は姿形こそ似通っているけれど、その在り方は新人とベテランということもあって、対照的だったからだ。
叱咤か、呆れか、挑発か。いろいろと予想を立てていたのだけれど、そのどれもが的外れだった。
彼と彼女は異界での同郷であること。故郷に帰る手伝いについて。そして、代わりに私を裏切るように提案をしたのだ。
それを聞いたの彼の反応は、一言で表現することは難しい。喜びと疑いと不安。その全てを三分割でぐちゃぐちゃにしたみたいな、そんな表情。
それを見たとき、胸の内に思いっきり爪を立てて、つままれたみたいな痛みが走る。そんな表情をさせているのは他ならぬ自分のせいだと知っていたからだ。
彼がニホンという国から来たことも。
それを言えずにいたことも。
私に恩を感じていることも。
それをそう簡単に踏み倒すことができないのも。
だって、私はそういう人間を選定したのだから。
でもそれはあくまで傾向だ。人間の傾向は非常時には簡単に覆る。だから彼は私を裏切るに違いない。裏切られても構わなかった。そうされてもじぶんが勝ち抜くだけの自信があったから。
しかし、彼は私を裏切りはしなかった。
魅力的な提案を自分にとって最大の利益を生む手段を突っぱねたのだ。その行為に、私は思わず息を呑む。
何で……? 恩を返したい。それだけの為だけ? あんな小さな借り踏み倒してしまえばいいのに。
彼はやっぱり純心だ。どこまでも善人であり、騙しやすい人間だった。だからいつまでも私に利用させる駒なのだ。
そんな彼に呆れて、エリオットのメイドが捨て台詞を吐いて立ち去る。望み通りの結果を得られた瞬間だった。思わぬアクシデントだったが、大きな障害にはならなかった。思い通りだ。計画は以前問題なく進行中だ。でも、だからこそ余計に胸の痛みは増していく。それは、心臓の鼓動と共に響いて表情を歪ませてしまいそうになる。
それを理由に私を囲んでいた人たちに断ってパーティーの中央から離れる。そして、彼に近づく。
いつもみたいに弄り倒して笑ってしまえば、収まると思ったのだ。
「お疲れ様、シオン君」
声をかける。彼は何事も無かったように笑って見せた。慣れない土地で、今もなお苦しんでいるはずなのに。その弱さを欠片も見せなかった。
私とは違う。どこまでも独善的で、弱さを行動の理由にしていた私とは……根本的に精神構造が違う。それを自覚する。
「ミツレさん? 大丈夫ですか?」
「ああ、ごめん。ちょっと疲れてしまってね。何だったかな」
「自分で話しかけておいて『何だったかな?』は無いでしょう。三歩歩くと忘れる鶏ですか?」
「鶏とはひどい言い草だね。でも……」
今だけは鶏が羨ましい。三歩歩いて彼の言葉を忘れてしまいたかった。そうすればこの胸の痛みも、自分への嫌悪感も綺麗に消してしまえるだろうと思ったのだ。
「でも、なんですか?」
「おっと、忘れてしまった」
「おめでとうございます。鶏の記録更新です」
パチパチとわざとらしく拍手をして私を煽る。私の気持ちも知らないで(知らないのも当然だけれど)そんな事をするなんて……メイド失格だよ。
「……シオンも言うようになったね。最初の頃の遠慮がちで、一方的に弄り倒せるころが懐かしくて、恋しくなってしまうよ」
「僕も学習しましたから。言い返さないとミツレさんは止まらないって」
「君もその事を早く忘れてしまえばいいのに」
「嫌ですよ」
「つれないな~」
彼が舌打ちをする。わずかながら反撃ができたことに、ちょっとだけ満足した。一方的な八つ当たりであることは分かっているけれど、そうせざるを得なかったのだ。許して貰えるとも思っていない。
「一生釣られる気はないので安心してください」
嫌味ったらしく言葉を強める彼。それを遮るためにでっち上げた言い訳を取り出す。
「そういえば思い出したよ。話しかけた理由。早く帰ろうって言いに来たんだった。今日は君も疲れただろう?」
「……ええ、そうですね。早くベッドで眠りたいです」
疲れているのは本音だろう。彼にも心の整理をする時間が必要なはずだ。こんな煌びやかな場所では、そうすることもできないだろう。
「あっ、でもその前に私の世話をして。体を洗って~着替えさせて。最後には整えたベッドに寝かせてくれ」
「寝る準備ぐらい自分でして下さい」
「えー? 君は私のメイドだろう?」
「えー、じゃない!? あんたは女で、僕はおっ……女だけど恥じらいを持って頂きたいですわね!」
彼は家にいるときの様に爆速で啖呵のスタートを切ったが、周りに人がいるのを思い出したようで、急に方向転換をして自爆していた。
恥じらっている姿が可愛らしい。女の子だって言われても、相変わらず信じてしまいそうになる。
「良いじゃん。女なんでしょ?」
「あーもう、駄々をこねない! 早く帰りますよ! か・え・り・ま・す・よ!」
「おっと、シオン君。強引に引っ張らないで欲しいな」
「もう家まで黙っててください!」
思う存分彼をからかった所で、シャットダウンをされてしまった。やり過ぎたのは自覚していたが、引き際が分からなかった。普段だったらすっきりとしていた気分転換法だったのに、まるで効果が無かったから。
そのタイミングで『ああ、今日は上手く寝付けないんだろうな』と思った。
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