第4話
「スカーレット、覚悟はできているんだろうな」
アイザックさんは静かに闘志を燃やし、睨む。まあ当然といえば当然のことである。「失礼なことはしてくれるなよ」と散々釘を刺されたうえでのあの言葉だったのだから。彼の怒りは当然のものと言ってしまっていい。
僕はチラリとことの発端である主人を見る。彼女が僕に間違った支持を出さなければ、こんな事にはならなかった。彼女の思惑は分からないけれど、何事にも限度ってものがある。こんな厄介ごとにわざわざ引っかかりに行く意味が分からない。
「ああ、丁度アリーナにいるんだ。『1on1』でどうかな?」
「ほう……いい度胸だな。そのポンコツメイドがうちのエマに勝てるって言うのか」
「勿論。こう見えて彼は優秀だ。そうでなければ私が雇うはずもないだろう?」
「……そうだな。俺たちは一足先に向こうにいる。尻尾巻いて逃げるんじゃないぞ」
「そっちこそ」
「フンっ」とアイザックさんはそっぽを向くと足早に角を曲がってどこかに行ってしまう。待って、待って。何があったの今? 僕が優秀だとかエマさんに勝てるだとか……。状況が全く理解できてない。
「という訳でシオン君。早速だけど戦ってもらおうか」
「本当に早速過ぎませんか。え、戦う? 僕が? 喧嘩打ったのミツレさんでしたよね!?」
「そういう話だったじゃないか。聞いていなかったのかい?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。うん。可愛い。とても可愛いんだけど、なに? そんな無垢な表情をしたお姉さんが僕を急に戦いに差し向けるの……?
「聞いてましたけど、僕が優秀でエマさんに勝てるだとか、そこら辺は分かりましたけれど、『1on1』って何ですか」
「ああ、そこで引っかかっていたのか。まあ、一般的ではないからね」
僕の戸惑いに納得がいったのか、彼女は頷く。
「『1on1』はメイド同士、一対一の決闘だね。武器も魔法も何でもあり。敗北条件はその時々で変わるけれど、そこまで酷いことにならないはずだよ」
「決闘、メイド同士。……メイド同士? あれだけ喧嘩打っておいて戦うのは僕なんですか!?」
「君には馴染みがないか。メイド同士の決闘は揉め合いを解消する伝統的な方法でね。主人たちの衝突を盾であるメイドたちが代わりに請け負うのさ。結果で賠償金を払ったり、土地を渡したり、いろいろあるけれど……まあ、端的に言えばプチ戦争だ」
戦争。その言葉は僕ら現代の日本人にとっては重いものだ。それを彼女は「ちょっとお茶してみましょう?」ぐらいの、気軽さだ。ちっとも悪びれてはいない。ここら辺はたぶん文化の違いなんだろう。僕は上手いこと割り切ることができそうにない。
「でも僕、アイザックさんの言っていた通りド素人ですよ。急に戦うなんて」
「ド素人だからこそだよ。本番よりも先に身内との対戦だ。ここは学内だからアイザックだって『聖戦』の前に目立つ行為は避けるはずさ。まあ、そのメイド服を着てるんだ。君が殺されるようなことはないさ」
僕の胸元に人差し指を突き立てる。僕の来ているメイド服には防御効果、加えてトイレにも風呂にも行かなくても済む能力が備わっている。……らしい。まだ攻撃を受けたことが無いから分からないのだけれど。
「言ってしまえば、これは君の新人研修を兼ねた戦いなんだ」
「そのつもりで煽ってたんですか」
「半分そうだね」
「もう半分はなんですか?」
「楽しかったから?」
「そんなことに楽しみを見出さないでください……」
呆れて言葉も出ない。いや、出てるけども。彼女はそんな僕を気にすることない。
「さて、新人研修の続きだ。君に攻撃魔法のレクチャーをする。教えるのは初級魔法『力強くあれ《アームズ》』だ」
「アームズ……。ミツレさんが最初に会った時に使ってた奴ですか?」
「そうだ。よく覚えているね。この魔法は肉体の力を強化する。殴る力、蹴る力、掴む力、その他諸々。効果時間内であれば自身の身体能力に加算する形で付与される。こんな風にね」
ミツレさんは近くにあった石ころを素手で握る。素の状態では変わりない。だがその途中で『力強くあれ《アームズ》』を起動させた。直後、バキバキと音を立てて握られていた石は砕ける。さらさらと隙間から零れ落ちていく。
「詠唱も短く、難易度も低い。その上で汎用性も高いから、実践向けだ。初めての魔法としてはうってつけだね。シオン君も早速やってみて」
「早速って言われても、ただ言うだけでいいんですか?」
「素質があればね。まあメイド服を着ていれば
「力強い自分をイメージ……」
眼を閉じて深呼吸。力強い自分。自分よりも大きな恐竜すら倒す常人を超えたパワーをイメージする。
────『力強くあれ《アームズ》』
眼を見開いて口にした。普段口にしている言葉が軽く感じてしまうかのような重厚感がある。違和感しかない。
「うん。成功だね。ほらっ」
ミツレさんが僕に石を放り投げる。それを受け止めようとして手を伸ばす。キャッチして握るとさっき彼女が実演してみせたように砕かれる。
自分の出力を大幅に超えたパワーが当然のように発現した。でもそれが怖くもある。自分の体が別の生き物になってしまった気がしたのだ。
でも、弱音を言ってはいられない。ここではこれが当然で、付いていけない者はあっさりとやられてしまうだろう。
戦う覚悟ができていない僕はそれ以前の問題かもしれないけれど。
「初めてにしては上出来じゃないかな。他の魔法についてもおいおい教えていくけど、今日はそれ一本で勝負だね。あんまり教えすぎて頭でっかちになっても困る」
さて、と彼女は背中を見せた。緋色の髪が翻る。
「じゃあ、アリーナに行こう。いくらアイザックとはいえ、待たせすぎるのも考えものだしね」
「はい」
僕は戦う理由を見つけることができないまま、彼女の後を追う。その途中、思い浮かんだことがあった。彼女が参加したがる『聖戦』。その先にある『あらゆる願いを叶える秘宝』。彼女は何のためにそんなものを欲しがるのだろう。その理由を知ることができたら、自分が覚悟を決めるのに役に立つかもしれないと思ったのだ。
「ミツレさん」
「何だい?」
「ミツレさんは何で『聖戦』に出るんですか」
振り返った彼女はピクリと眉を動かした。今まで教えてくれなかったことだ。可能なら伏せておきたかったのかもしれない。
「……そうだね。遅かれ早かれ知ることだ。早い方がいい」
彼女は数秒の沈黙を
「私が聖戦に挑むのは端的に言えば、失ったものを取り戻すためさ」
「失ったもの、ですか」
「ああ。今の家には殆ど何もない。家具も臣下も栄光も……両親も。このままではうちは衰退していく一方だ」
あからさまに口調が重い。それだけ彼女に取って忌々しい、受け入れがたいことなのだ。
「そうならないために何か策を打つ必要があった。下準備に魔法使いとして研鑽を積んだ。時間稼ぎとして思い出を一部売った。これ以上は待っていられない」
普段はふざけ気味の彼女が見せる真剣な顔。それだけに僕の印象に残った。あの極端に家具のない家もその表れだったのだろう。
「この聖戦には勝たなければならない。……隠しててごめん。過剰に情報を与えると混乱すると思ったんだ。君は、こっちに来たばかりで不安だっただろうしね」
彼女は手を伸ばして僕の頭を撫でる。表情はいつも通りの柔らかな物に戻っていた。
いろいろと腑に落ちた。
彼女は戦うつもりだったから僕を助けた。戦うための駒を失う訳にはいかないから、メイド服を無理やり着せた。そして、この戦いも聖戦に挑む前の下準備だ。
もしかすると、この頭を撫でる行為にさえ意味があるのかもしれない。それだけ彼女の覚悟は本物なのだ。僕に与えられたやさしさも、恩も、その全てが打算的だったかもしれない。
それでも構わなかった。目的のための偽善でも、成されたならば、それは善行なのだから。僕はその恩を返す義務がある。
「ミツレさん、ありがとうございます。大丈夫です」
髪を撫でていた指から離れる。
僕は何者にもなれなかった。特筆すべき点の無い人間だ。そんな僕でもあの華奢な身体で、身を切りながら戦う彼女の力になれたとしたら……それはどんなに気分がいいことだろう。きっと、何かを成しえたという満足感が得られるはずだ。それは僕が得ようとして得られなかったものだから。
「僕は、戦えます」
だから僕は自分自身のために『彼女の為に戦う』ことを決めた。
▼
アリーナはさながらコロッセオの様になっていて、僕らの周りを観客席で取り囲んでいた。僕らの主人たちは有名人らしく、そこそこな人数が陣取って視線を送ってる。目立つのが好きではないから、その事に不快感を覚えた。
「試合形式は『1on1』、勝利条件は先に有効打を入れた方が勝ちでいいかな」
「ああ、問題ない。この時期に手の内をあまり見られるのは避けたいからな」
主人たちがルールを決めて、頷き合うと離れていく。そして僕らメイドだけが中央に取り残される。
「武器は出さなくていいのかい?」
「いえ、私はそんな物持ってませんから」
「へぇ、じゃあアタシと同じステゴロだ。嬉しいねぇ」
彼女は八重歯を見せつつ笑い、バンテージが巻き付いた両拳をぶつける。
嬉しくない。鍛えてそうだとはいえど女の人と殴り合うのは良くないだろう。でも勝負は勝負だ。素人なりに拳を構る。それを見計らった様に「はじめっ」と合図の声がした。
「──さて、思う存分殴り合おうか。『疾風の如く《バーニア》』」
彼女の時間の流れが加速する。瞬きの間に視界から外れ、空気の揺らぎで懐に入り込んでいることに気が付いた。拳が腹部目がけて穿たれる。それをとっさに脇を締めて前腕で受けた。
走ったとかそういう次元ではない。鉄砲が放たれたのかと錯覚してしまう速度だった。
「初見で防ぐとはやるねぇ! 良い目してるよ!」
高らかに声を上げる彼女。魔法がある以上人間を超えた力があるのは当たり前だ。女だとか関係ない。彼女も僕も戦う
「『力強くあれ《アームズ》』!」
習ったばかりの魔法を発動する。言霊が自身を改革する。拳を振りかぶって彼女目がけて突き出すが空を切る。
「そんな大振りじゃ当たんないね! 拳を振るときはこうやるんだよ!」
ボクサーみたいなステップを踏んで、左腕から三発拳が放たれる。ステップで幻惑された発射点に対応できずに僕はもろに喰らってしまう。
このまま一方的にやられてしまう未来が見えた。でも、殴られたときに起こる息が吸えなくなるような硬直が訪れることが無い。痛みすら感じなかったのだ。
彼女はもう一度拳を振りかぶっている。ガードする腕は無い。ここが攻め時、そう確信してもう一度拳を振るった。
「っ!?」
驚きの声。直撃コースの僕の拳に体を捻って対応する。そのままバク転で距離を取って、こちらを睨む。
「
彼女の目線にあったのは僕ではない。胸元だ。釣られるようにして自分の姿を見る。真っ白な生地のメイド服にシミができている。
このメイド服は汚れない。ミツレさんはそう言っていた。それ故にこのシミは不可解だった。
「なんだ、これ」
「知らないのかい?
彼女は少し驚いたように口笛を吹いた。
「メイド服に稀につくことがある特殊能力さ。アンタの様子からして私の拳はダメージが無いみたいだし、『ダメージ吸収』って感じかな。ダメージを蓄積されているような跡が出てるからね」
「成程……」
「感心してる場合かい? 吸収ってことは無効にならないんだ。限界を超えるスピードで殴られれば……ダメージが入る!」
彼女は走り出し、自身の拳を合わせた。
「『疾風の如く《バーニア》』、『力強くあれ《アームズ》』!」
二つ連続の詠唱。さっきの加速する魔法に加えて、僕自身も使った肉体の強化。ダメージが入らないにしろ限度があるとしたら、この状況は望ましくない。
勝つためにはどこかでカウンターで一撃入れる必要がある。
彼女の姿がまた消えた。さっきよりも一段と高い速度で拳が打ち付けられる。
でも今度はガードしない。する必要がない。僕にはダメージは入らないのだから。それを利用してカウンターを入れるタイミングを計る。
二度三度四度五度、拳が、脚が、次々に体に衝突する。舞うように展開されるその攻撃は僕に中々隙を与えてくれない。一度たりとも止まる気配がない。
反撃に行くためには彼女の足を止めさせる何かが必要になる。何かないかと思考を巡らせつつ辺りを見渡して一つ古典的な方法を思いつく。
『力強くあれ《アームズ》!』
詠唱する。より力強い自分を求めて。魔法の効力で強化された脚を振り上げ、かかとから地面に突き刺した。
固い地面は砕かれ、砂ぼこりが舞う。彼女は目を覆って足を止めた。
でもためらうことなく移動する。今の僕は眼球ににさえ塵一つつくことはない。だから視界も気にしないで移動できる。
隙だらけの彼女。無防備な腹部に向けて思いっきり強化された拳を突き立てる。
「はぁぁぁぁ!」
「っ!? 『飛翔せよ《フライ》』!!」
僕の拳が空を切り、彼女の身体が宙へ舞う。ただの跳躍ではない。空中に停止して、目を擦っていた。空を飛べる魔法。空中という安全圏に逃げられてはどうしようもない。
「あっぶないね。流石に舐めてた。実戦経験は無いが、思い切りはいい。出し惜しんでると危ねぇな」
「あれだけ動いててまだ出し惜しんでたんですか」
「おう。むしろあれでビックリされてたら困るね。ちょっと本気出してやるよ」
空中から僕を見下ろす彼女はまた八重歯を見せる。
「『力強くあれ《アームズ》』、『疾風の如く《バーニア》』、『風の
彼女が詠唱を終え、拳を合わせた直後だった。舞っていた砂埃の挙動が不自然になる。一定の規則をもって動き出したのだ。
「さあ、これには耐えられるか!」
空中から隼みたいに僕に向けて飛び込んでくる。台詞からして彼女が自信を持っている攻撃。無策にくらうのは良くない。ひとまず全力で落下点から離れる。
横眼で見ると地面が爆発したみたいに砂埃が舞う。僕がやっときとは桁違いの範囲で巻き起こったそれは、彼女の技の威力を物語っていた。
「シャレにならないんだけど……」
「シャレじゃないからな。今度は逃げるなよ。アンタの防御とアタシの拳、どっちが上か白黒つけようぜ!」
あれをもろにくらうのはまずそうだ。いくらメイド服で防ごうっていったって限度があるかもしれないんだ。ならどうにかしてあれを別の手段で何とかしなければならない。
そうは言っても今使える手段は一つだけだ。開き直っていくしかない。
『力強くあれ《アームズ》』
人類の限界を三度超えた肉体で拳を握る。視線は飛び込んでくる彼女。近づいてくる脅威にタイミングを合わせ、今出せる最大の力を叩きつけた。
拳同士がぶつかる。不可視の刃が僕を傷つけようと回転していた。ミキサーに手を突っ込んでしまったかの様に錯覚する。引っ込めてしまいそうになる自分を必死に抑え、もう一歩先へと進ませる。
だが、届かない。僕の拳はなまくらだ。彼女の足元にも及ばない。一秒数える間もなく靴が地面を擦り、押され始めた。
叫ぶ。少しでも力が出るように。当然のことながらそんなことで差は埋まらない。結果が分かり切ったうえで続ける。
負けられない。ミツレさんの助けになるんだろ! だったら、こんなところで負けるわけにはいかない!
『力強くあれ《アームズ》ッ!!!!』
自己を改革する言霊を重ね掛けする。ほんの少しだけ彼女の力に拮抗した。でも、まだ押されている。まだ届かない。
ダメかと、瞳を閉じかけたときだった。拳が黒く染まっているのが見えた。なんだ、これは。さっきまでメイド服に付いていたシミと同じ黒。それが自分の肌にも浸透している。
「何だよ、それ……?」
それはどうやら僕の眼の錯覚なんかではない。目の前の彼女もそれを認知した。
「うぐっ!」
心臓が高鳴った。普段の自動的な鼓動とは異なる、自分の力を大幅に超えた拍動。痛みを感じなかった体のはずだった。とうとうメイド服で防げる限界が来てしまったのかと思った。
でも、そうではない。これは自分の力をより引き出そうとする異変だ。重機が重いものを崩すときみたいにゆっくりと相手の拳を押し返していく。
「だぁぁぁぁ!!!!」
拳を振りぬいた。拮抗していたものが崩れる。嵐は去り、音が消えた。
視界が暗転し、顔から倒れ込む。
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