第3話

 顔に昇っている熱が収まらない。何とかならないかと頬に手を添えてみてもどうにもならないし、むしろ浴びせられる視線が強くなっている気がする。

 どうしたらいいのか分からない。この間は何だ。これ以上僕に何を求められているのか? 早くこの時間を終わりにして欲しい。

 チラリと自己紹介を促した教師に視線を送ると察してくれたらしい。ウィンクが飛んでくる。本当に分かっているのだろうか。不安になる。


「自己紹介ありがとうフヅキさん。席はスカーレットさんの隣に用意してあるわ」


 僕の心配は的外れだったらしく、先生はきっちりと意図を汲んでくれていた。

 しかし僕が想定していなかったのは周りの騒めきだ。隣に座れと言われただけでここまで騒がしくなるなんてミツレさんは何をやらかしたんだろうか?


「とうとうスカーレットも『メイド持ち』か」

「この時期だ。目的は聖戦だろうな」

「違いない」


 席に向かう途中、そういった声が聞こえた。聞きなれない単語もあってその全てを正確に理解することができないけれど、細かいところはミツレさんに聞くことにしよう。

 中段の席まで足を運んで、彼女の隣に「失礼します」と断ってから座る。


「ご苦労様。緊張した?」

「……ええ。とても。考えてた台詞が全部飛んじゃうぐらいには」

「あんなに嫌そうにしてたことを実行しちゃうぐらいには、緊張していたよね」


 彼女はクスクスと笑う。僕の醜態はそこまで面白かったのだろうか。さっきのことはあまり思い出したくないし、さっさと話題を切り替えることにしよう。


「でも何でこんなに騒がれてるんですか?」

「君が可愛いから?」

「冗談よして下さい」

「冗談ではないさ。シオン君はとても可愛いぞ。自信を持ってくれ」

「それ、言われても嬉しくないって言いましたよね……」


 彼女は「そうだったかな」ととぼけて見せる。絶対に反省も後悔もしていない。僕はこれからも可愛いとか愛らしいとか言われ続けてしまうんだろうか……。憂鬱だ。


「では、ホームルームはここまでとします」


 思考を中断するように教壇から声がする。話は殆ど聞いてなかったけれど、所連絡は終わったみたいだった。その合図と共に教室に集まっていた生徒はわらわらと教室を出ていく。 


「終わったか。じゃあシオン君に学校を案内しようか」

「えっと、学校なんだからこの後授業があるんじゃ……」

「いや、ここでは授業は存在しないぞ。ああ、違うな。正確に言うと集団授業が存在しない」

「? じゃあどうやって勉強するんですか」

「好きなときに指定の場所に行けば指導を受けられるんだ。記録媒体から出てくる立体映像ホログラムから指導を受ける。例えば……そうだな」


 人が少なくなった壁際に行くと、ずらりと並べられた水晶の一つを取って空中に放り投げる。とっさに手を伸ばしかけて止めた。水晶が地面に叩きつけられる前に空中でふわりと浮かんだからだ。


『こちら~魔法学園・教育プログラム。受講する講義を宣言してください』

「『初級魔法1』だ」

『了解しました』


 無機質な声がミツレさんの指示を受けると水晶は輝きを増す。空中に人が浮かび上がり挨拶と共に授業を始める。


「へぇ。面白いですね。学習塾の通信授業みたいだ」

「学習塾?」

「僕のいた所にも似たようなものがあったんですよ。まあ、こっちの方がすごい高度ですけど」


 向こうではまだ空中に画面が出力されるなんてことは無かったしな。


「……シオン君も生徒である以上、いつでも授業を受けられるようになっている。仕事の合間に受講して、もっと私を守れるようになってくれるとありがたいね」

「精進します」

「良い返事だ。ではさっさと他の所に行こう。ここは無駄に広いからね」


 それから足早にこの学園を案内される。研究がされているという研究棟。格安で食べられる食堂。それから中庭。ここは何やら侵入規制がかかっているらしい。ミツレさんによると地下に遺跡が発見されたとかで現在調査中とのことだった。

 一通り見学を終えて、最後に案内されたのは離れた所にあるアリーナと言われる訓練施設だ。ここでは身体能力を鍛えたり、魔法の実技訓練を行えたりできるらしい。生徒であるならば誰でも自由に使えるので、僕の新人研修もここで済ませてしまう予定とのことだった。

 そういう意味では一番縁がありそうな場所だ。しっかりと見ておこう。彼女の後に引っ付いて、キョキョロとあたりを見回す。その途中、僕らを呼び止める声がした。


「ほう、スカーレットがメイドを手に入れたっていうのは本当だったのか」


 振り返るとよく目立つ長い金髪が目に付いた。どうやら彼が僕たちを呼び止めた人間らしい。黒の制服に身を包み、鋭い蒼の目つきが僕の主人を射抜いていた。

 そんな彼の隣にもう一人。

 赤みのかかった短い茶髪。褐色の肌が殆ど露出している奇抜なファッション。布に覆われているのが胸元と肩、太ももの根元ぐらいだった。

 でも、デザインは間違いなくメイド服と言って差し支えない。あしらわれたフリルに、頭に付けられているカチューシャの様な物。それは僕にも組み込まれてしまっていたものだ。服装こそ違うけれど、彼女も僕と同じくメイドなのだ。故に、存在を過剰に意識してしまう。


「なんだ。アイザックか」

「なんだとは、なんだ。せっかくこの俺が声をかけてやったというのに」

「そういう所だ。『なんだ』と言われる原因は」


 ため息を付くミツレさんに「お知り合いですか」と尋ねると頷く。


「ああ、昔からの顔馴染みでね。アイザックと、メイドのエマさんだ」


 さらりと僕に二人を紹介すると今度は僕の肩に触れる。


「こちら、つい先日雇ったメイドのシオン君だ」

文月紫苑フヅキシオンです。よろしくお願いしま……しますわ」

「ふん、ぎこちないな」

「雇ったのは昨日からだからね。新人教育はこれからさ」

「どうかな。先が思いやられる。まあどちらにせよ、俺はメイドごときと「よろしく」するつもりはないがな」

「またアンタは余計なことを……。ごめんな。ウチの主人なりの照れ隠しなんだ。許してやって。普段アンタみたいな別嬪さんに話しかけられること無いからさ」

「……エマ!」

「おっと、いけない。いけない」


 ニヤニヤとわざとらしくエマさんは引き下がる。僕でも分かる人付き合いの悪い主人をああしてフォローしているんだろう。

 アイザックさんが場を仕切り直すかのように咳払いをして、僕をじっと見た。何か気になることでもあるのだろうか。


「しかし、スカーレット。とうとうお前も聖戦に出る気になったか」

「ん?そんなこと言ったかな?」

「とぼけるな。メイドを雇った時点で分かり切ったことだろうに」

「……聖戦?」


 確か今朝教室にいた人たちもそんなことを言っていた。メイドがいないと参加できない行事なのだろうか。


「なんだ、言ってないのか。かわいそうに。この性悪女に騙されて契約したか」

「騙したとは失礼だね。ちゃんと同意の上さ」


「ねぇ?」と聞かれた僕は頷く。雇われることには同意した。業務の形は別として。それがどうしたというのだろうか。


「じゃあ聞いたか?お前、殺し合いをさせられるんだぞ」

「……え? ミツレさん、ぼっ……わたくし聞いてないのですけれど」

「この後言うつもりだったからね」

「やっぱりな。そんなことだろうと思った。いいか、ドジメイド」


 アイザックさんが僕に人差し指を向ける。ドジメイドと言われたことに多少苛立ちを覚えたけれど、情報を貰えるので許容した。

 彼女、ミツレさんにだって言いたくないことはあるだろう。けれど、僕が生き抜くためになるべく多くの情報は必要なのだ。


「聖戦はこの学園の伝統行事だ。中庭にある遺跡の話は聞いただろう?」

「はい。先程」

「なら話が早いな。あの遺跡の中にはいろんなものが眠っている。金銀財宝、人智を越える魔道具、古代文明の遺産、『あらゆる願いを叶える秘宝』とかな」

「あらゆる願いでも……」

「ああ、あそこから戻って来た人間はかなり少ない。だが、これは事実だ。何せこの学園の長が攻略者でもあるからだ。彼は魔導の深淵を覗いたことで今の地位を築いたとされている」


「だがな」と彼が話を区切る。


「誰だって入れる訳じゃない。あそこには入場規制がかかっている。言っておくが制度的な話だけじゃない。魔法的な面でも天然の結界が張られている」

「結界?」

「勝手に入ろうとすると弾かれるんだ。それを排除する儀式が『聖戦』。魔法使いたちが特定のルールのもと限られた枠を争う。ルール内であれば何でもアリ。殺し合いもあり得るってことだ」


「わかったか? ドジメイド」アイザックさんは話を締めくくった。願いを叶えるための争い。そのためにメイドさせられたこと。彼女の強引さにもある程度納得がいった。

 ミツレさんには叶えたい願いがある。それが何なのか、まだ教えてくれてはいない。けれど、純粋無垢で見返りを求めない。何を考えているのか分からない人間はそれだけで怖いものだ。少なくともミツレさんは得体の知れない人間ではない。そのことに安堵する。


「まあどちらにしろ、シオン君に命の危険はないよ。私がいればこの戦いは問題ない」

「いくらスカーレットとはいえ、油断していると足元救われるぞ」


 アイザックさんはため息をついてから僕を見る。じっと品定めするような目つき。向けられたことが無い種類の視線に恐怖を覚える。


「しかし……確かに見てくれはいいな。戦うことを除外すればいいメイドだ。珍しく手元に置きたがる理由もわかる」

「そうだろう? 節穴だらけの君でも分かるか」

「……黒髪のメイドなんて見たことが無い。これほどの物をどこで手に入れた?」

「企業秘密だよ」

「相変わらずだな。売る気はあるのか? この見た目なら、言い値で買ってやってもいい」


 彼の手が僕の頬に触れ。髪を指先が撫でる。まるで舐め回す様にねっとりとした手付き。まるで毛虫が肌の上を這いずり回っているかのような嫌悪感。それが感覚神経を通じて全身に広がっていくみたいだった。

 髪に隠れていた耳を露出させて、口元が吐息と共に近づいてくる。


「お前もどうだ? うちにはエマがいるからな。戦うことは求めないぞ。ただ俺の応じるときに出向いて、愛されるのなら────「触るな!」


 囁きが限界のトリガーを引いた。とっさに彼の指を弾いて、距離を取った。誰も声を発しない空白の時間。正面の怒りに駆られた表情を見て、自分の失敗を自覚する。


「こいつ、メイドの癖に……!」

「止めな、ザック。今のはアンタが悪い」


 僕に掴みかかろうとする彼を隣のエマさんが抑えた。それにじたばたと抵抗する彼。それを見れば見るほど自分の呼吸が荒くなっていく。

 そんな僕の肩に手が置かれる。「大丈夫だ」と声がして、それが僕の主人の物だと認識した。


「スカーレットッ! お前のメイドだ。無礼な下っ端の責任はちゃんととるんだろうなぁ!」

「ああ、勿論。だが、私は言ったはずだ。雇ったばかりで、新人教育もこれからだと。それを承知で手を出したんだ。覚悟はできていると思っていたんだがね。それともターナー家の長男はこれしきのことを許容できない器だったかな?」

「ミツレさん!?」


 ギョッとして僕はミツレさんを見た。気にするなと言わんばかりにポンポンと肩を叩く。けれど、さっきの神経を逆撫でするかの様な言葉の後では信用できなかった。


「……チッ、そうだな。この俺はこれしきのことを受け入れられない人間ではない。だがな! これしきのことにも耐えられない人間もここにはいる。俺の器が海よりも深くて助かったな、ドジメイド!」


 アイザックさんは舌打ちの後、頭をかいてまた人差し指を向けた。


「しかし、スカーレット。挨拶するたびにトラブルを起こしていたらシャレにならんぞ」

「それはそうだね。せっかくだし、ここで言葉遣いのレクチャーをするよ。勿論、練習台になってくれるよね? 海よりも深い器のアイザック?」

「良いだろう。不本意ながらこのアイザック・ターナーが練習相手になってやる。さっさと済ませろ」


 腕を組んでふんぞり返るアイザックさん。それを見て「ね?」とミツレさんはウィンクを僕にお見舞いした。「ね?」じゃない。僕は死んじゃうかと思ったのだ。この人、心臓に毛が生えているんじゃないか?


「シオン君、耳を貸してくれ」


 耳元に彼女が手を添えて、言うべき台詞を告げる。正直、面喰らった。日本ではあまり言わない台詞だったからだ。でも、きっとこの場所では大切なマナーに違いない。さっき失礼な振舞いをしてしまっただけに、二度目のミスは許されないだろう。ここできっちりと言われた通りに遂行しなければ。

 決意を固め、僕はアイザックさんを見る。深く息を吸ってー。吐いてー。緊張をほぐして……


「はぁーきっしょ。ぶち殺しますわよ」

「よくできました」

「よくできましたじゃない! 今すぐ新人教育マニュアルを見せろ!!」

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