2022年2月24日 ロシアのウクライナ侵攻

このコロナ関連エッセイでロシアのウクライナ侵攻が何故あるかは、ロシアが主張する「ウクライナでコロナ実験」というとんでもない侵略理由によります。

それを真に受けるのは、正しい誤りに関わらず国連の査読資料に載っては、後世にコロナきっかけの戦争になる可能性は高くなります。

もはやですが、起源説をもっと徹底的に調査分析していれば、スペイン風邪当時の2度の世界大戦を踏襲しなかった事でしょう。


とは言え、今日3月15日の時点で戦線は中央部に伸びる一方で、制圧すれば西部に伸びるのはどうしてもの推量になります。


ここまでロシアの侵攻が、あまりに大雑把で本気の戦争なのかと、勘ぐっていましたが、それこそが上等な戦術だったかもしれないです。余りのグダグダさに物量侵攻で、世界が油断していた。ロシアは本気なのかと。


インフラ拠点を長距離ミサイルで徹底的に叩き、電撃作戦で掌握するのが戦費は少ない筈も、それは行使されなかった。敢えてインターネット回線を生かし、徐々に底知れぬ恐怖に追い詰めては、後に起こるであろうの反抗を抑え込むのは、ウクライナがSNS戦を制していると言いますが、ロシアにも十分な程の分があります。


世界のメディアはSNS隆盛の中で起こった戦争で、新たなSNS情報戦と位置付けます。確かに全ての情報を統べれば破綻の無いC4Iシステムをなぞることは出来ます。ただインターネットの世界は地域だけではなく世界に根ざします。


例えばコメンテーターのテリー伊藤の「無駄死にしてほしくない」の言葉が、悉く一蹴されています。ウクライナの尊厳を疎かにしていると。これは世界各地域でも同じ事は議論になっていると思います。


ただ、スノッブな戦争など有りはしないです。1990年のクウェート侵攻。1991年のユーゴスラビア紛争。当時の報道では暴力蛮行が限りなく、その真っ先は婦女子でした。歴史いやインターネットは自ら規制を掛けてしまい、その事実は不確かな情報或いは思いおこしたくないで秘められています。


ウクライナの国民は果敢に戦う姿勢ですが、戦う戦わないは自らに委ねられるべきです。周りが戦うから私も戦う。世界が圧倒的に応援しているから戦う。自ら国土の一部になろうの決意の前にどうか一考すべきでしょう。敗色間近になると大国の大方が面子をで掌を返すのが歴史です。長期抗戦で真っ二つの割譲になる前に、早々に当事者国でとことん話し合い、国境線侵食の瀬戸際で止める事も大いなる決断の一つです。


倒れた戦士の子や孫らが銃を持つのに何年掛かるか、ここも憂いるべきです。その間にロシアに取り込まれる可能性も無くは無いのが、ロシアの深謀遠慮です。

兎に角、日本で言えば、ウクライナの方を焚きつけるな。今すぐ止めろと言っておきます。

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