第3回 渡邉康太郎さんの話
ミネルバの言ったことを、未來はほどなくして理解した。目の前で会釈している三人目の語り手は、見るからに活力に溢れてそうな青年だったからだ。
「Takramコンテクストデザイナーの渡邉康太郎と申します。よろしく」
「佐藤未來です。こちらこそ、よろしくお願いします」
(コンテクスト……デザイナー?一体全体なんなんだそれは)
渡邉さんの第一声を聞いてから、未來の脳内はその疑問で占められていた。
「本当に申し訳なんですけど、早速質問があるんです」
未來が小さくなりながら言うと、渡邉さんは先回りしてきた。
「コンテクストデザイナーとは何ぞやって疑問だね?」
「図星です」
二人のやりとりを面白そうに眺めるミネルバを、未來は横目で睨んだ。後で文句言ってやろう。
「じゃあ簡単な質問からにしようか。デザイナーとはどういう仕事かな?」
未來は少し考えてから答えた。
「絵とかロゴとか作ったり……あ、そういうものを通して、何かを伝えたり表現していると思います」
もしも国旗がデザイナーの手によるものならば、フランスとロシアは同一人物が手掛けたに違いない。
「そうだね。そして、コンテクストデザインという仕事も、企業の考えを正しく伝えるものだと思われることが多いんだ」
確かに、企業のロゴを作るデザイナーは、ロゴを通して企業の理念や思いを伝えるのだろう。考えてみれば、常識的なことだ。
「でもそれは、よくある誤解でね。コンテクストデザインは、作り手と使い手の両方に意識を向ける。使い手を、ただの消費者で終わらせないようにする取り組みなんだ」
分かったような分からないような、ふわふわした感覚だ。渡邉さんは重ねるように言った。
「龍安寺の方丈庭園ってあるよね?あれは一見すると、砂の中に岩が置かれているだけのものだ。でも、観光客はそれを見ることで色々と想像する。例えば、海を表しているんじゃないか、とかね。方丈庭園は、見る者が自分の頭で想像することで、初めて一つの作品として完成する。これが、コンテクストデザインの一例だ」
分かりやすい例に、未來はようやく理解することができた。
「つまり、消費者だった人を、創作する側に変えてしまおうってことですね?」
渡邉さんはうなずくと、デスクの上に花飾りのようなものを取り出した。
「それはなんですか?」
「Takramでは、例えばこういうものを作っていてね。これは一見するとただのコサージュなんだけど……ほら」
渡邉さんは、布で織られたコサージュの包み紙を開いて見せた。ただの包み紙だと思っていたそれは、たくさんの単語が浮かび上がっている。
「この商品を買った人は、包み紙に手紙を書いて、コサージュと一緒に相手に贈ることができる。エンボスされた単語は、手紙のヒントだね。買い手が手紙を書くことで、この作品は完成するんだ」
誰かが生産したものを、買い手が消費する。目の前のコサージュは、この一方通行にとらわれていない。ありふれた花束のような形なのに、未來は目新しいものを前にしたような気持ちだった。
「”創作者ではない者の創作に耳を傾ける”。これが、コンテクストデザイナーの目標だ」
自分の仕事を誇らしげに語る渡邉さんは、未來には眩しく見えた。こんなに充実したライフワークを送っている彼は、これまでにどんな下積みをしたのだろう。
「渡邉さんは、どうやって打ち込めることを見つけたんですか?」
未來は、その疑問を素直に口にした。閑歳さんの言う「夢中になれることを見つける」という命題に、手がかりが得られるかもしれないと思ったからだ。
「やっぱり、鋼の意志が必要なのでしょうか」
「確かに、そういう人もいるね。強い心を持って、決めたらとことん追求することで成功を掴み取るタイプ。でも、僕はそうじゃなかった。僕は、『弱い意志』と『偶然』でここまでたどり着いたんだ」
思っていたことと正反対のことを言われ、未來はきょとんとしていた。
「『弱い意志』『偶然』……ですか」
「そう。はっきりと決めなくてもいい。なんとなく考え続けたり、なんとなく始めたことが今につながっているんだ」
思っていたほど、将来を深刻に考える必要はないのかもしれない。
「それで、『弱い意志』ですか」
「うん。そして偶然ってのは、自分の意思や行動の外からやってくるものだ」
「つまりは、運ということですか?」
彼の様子に反して、渡邉さんはうなずかなかった。
「いいや、偶然は運じゃないんだ。黙ってても向こうからやってくるのが運だとすれば、偶然は自分から名乗ってきてはくれない。出会う物事にアンテナを立てて、それらを自分で結びつけることが大切だよ」
去り際の渡邉さんの背中を、未來は呼び止めた。
「これ、忘れてます」
デスクに置かれたままだったコサージュを差し出す。渡邉さんはそれを受け取らずに言った。
「それは未來君にあげよう。誰かに贈ってあげるといい」
未来には、渡邉さんの心の内が分からなかった。ただ、後ろからわずかばかりの殺気のようなものを感じたのだった。
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