第2回 閑歳孝子さんの話

「はじめまして、佐藤未來と申します」

未来は目の前の女性に少しばかりの警戒心を抱きながら、ゆっくりと腰を下ろした。

「私はSFCを2001年に卒業しました、閑歳孝子と申します。現在は株式会社Zaimの代表取締役をやっています」


 ミネルバがお金にまつわる仕事というものだから、未來は銀行マンを想像していた。だからこそ、代表取締役という言葉には面食らった。Zaimという名前からして銀行ではなさそうだが、どのような企業なのだろうか。

「お金に関係する仕事をされているとのことですが、Zaimとはどのような企業なんですか?」

未來が興味本位で尋ねると、閑歳さんは手にしているスマートフォンの画面を見せてきた。


「家計管理アプリなどのサービスを提供しています」

なるほど、そっちか。未來は自分の見識の狭さに恥ずかしくなった。

「今日は、なぜ私が事業のテーマにお金を選んだのかをお話しできればと思います」

それは未來にとっても気になることだった。


「その前に、未來さんに一つ、質問があるんですが」

「はい」

「今後、お金が人々の幸福や安心感に与える影響は大きくなると思いますか?」

未來は質問を反芻しながら、どう答えれば良いのかを思案していた。未來の住む世界は未来の日本なのだから、そこで起こっていることを言えばいいのだろうか。それではダメなのか?そもそも、先程の今村さんといい閑歳さんといい、俺が未来から来ていることを知っているのだろうか。


 結局、未來はありきたりな返答に終始した。

「お金の影響は、確かにどんどん肥大化していくと思います。お金をたくさん持っている人とそうでない人の格差っていうか……そういうのは、埋まらないと思います」

閑歳さんは彼の話を、何やら興味深そうに聞いていた。


 未來が口を閉じると、彼女はうんうんとうなずいた。

「なるほど。聞いた感じだと、未來さんはお金にあまりいいイメージを持っていないみたいですね」

未來は気まずくなって顔を伏せた。

「実は、比例して幸福度が上昇する金額って7.5万$までだと言われているんですよ」

7.5万$ってことは……大体900万円?あれ?意外と多くないぞ?お金ってあればあるほど幸せになるものじゃないってことか?


閑歳さんは一呼吸おいてから続けた。

「私がZaimでお金に目をつけたのは、お金というものは使い方次第で人を幸せにできると考えたからです。お金をどう使うかによって、人生の選択肢って大きく変わるんですよ。それが、私たち自身の可能性を広げることにつながると思うんですね」

無意識のうちに、未來は大きく頷いていた。お金というものを肯定的に捉える閑歳さんの考えは、説得力に溢れていた。


「お金は"どう使うか"が大切ということですか?」

「そうですね。他にも、"どう稼ぐか"も大切です。もちろん、自分が夢中になれることを仕事にできるのがベストです」

そう言われ、未來は自分の心の中を覗いてみた。自分には今、何か夢中になれることがあるかと問う。しかし、これまでの人生を漫然と生きてきた彼に、そのようなものはなかった。


 目に見えて落胆する彼の様子を悟ったのか、閑歳さんはこう切り出した。

「ノブレス・オブリージュという言葉を知っていますか?」

急に話題を切り替えられ、未來は狼狽しながらもうなずいた。

「聞いたことはあります」

「財産とか権力、それから社会的地位には、責任が伴うという考え方です。もっと端的に言えば、手に入れた利益や経験、能力を周りに還元しようというものですね」


 理想としては美しいが、実践するのは難しいのがノブレス・オブリージュだ。今の富裕層が財産を社会に還元しているかと問われれば、本人たちですら首を縦に振れないはずだ。

「ここで、さっきの『比例して幸福度が高まる収入は7.5万$まで』という話を思い出して欲しいんですけど、逆に、お金を体験や他者のために使うと、幸福度は上昇すると言われているんですよ」

その言葉は未來にはありがたかった。「他人のため」を、無駄な苦役と捉えなくてもよくなるからだ。彼女の話は続く。

「ですから、夢中になれることが仮に見つからなかったとしても、ガッカリする必要はありませんよ」


 閑歳さんはそう言うと、席から立ち上がった。時間だ。

「”他人のため”が、やがては自分の幸せにつながるということを覚えておいてくださいね」

最後にそう言い残し、彼女は未來たちに見送られながら部屋を後にした。

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