第62話 囚われの姫と→忠義の騎士と①


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「むーん……」


 宿の部屋の窓枠に顎を乗っけて、暮れなずむ夕暮れをじっと見ている。

 どこもかしこも静か過ぎるこの王都では、例えば夕ご飯を楽しみにして家路に急ぐ子供たちとか、仕事終わりにハメを外して仲間とお酒を飲みにいく大人たちとか、そう言う日常の風景的な物は一切無い。


 王都の城壁の向こうは不思議な光景が広がっている。

 赤らんだ夕方の太陽は一切その姿を見せず、王都を取り囲んでいる『固定』の魔法の境界線から先は吹雪き吹き荒れる灰色のカーテン。

 なのに王都上空は真っ赤で、そのアンバランスさに見ていてとても不安になる。

 

 ミィと二人で話し合ったあの夜から、もう二日ほど過ぎていた。

 その間別行動をしているヨゥからの連絡は一度きり。

 初日の深夜に短い文章で『この地の水や食料に手をつけるな』とだけ、薄型魔導板タブレットを通じてメッセージが送られてきただけだ。

 

 元々オレたちのご飯は、『倉庫』を介して5号の作った絶品なお弁当が叡智の部屋ラボラトリから送られてくるし、飲み物だってそうだ。


 だからこの王都で飲み水や食料に困る事は無い。


【姫、そろそろミィが帰ってきます】


「ん、おっけ」


 イドの声にぴくりと反応したオレは力なく頷いた。

 窓枠から頭を上げて、よじよじとベッドの上を這って移動し飛び降りる。


 温暖な王都の気候は、オレにとってはちょっと暑いぐらいに感じる。

 なのでこの部屋に居る間は、ずっと薄着で過ごしている。


 今日は肩部分が紐のタンクトップにショートパンツ。

 どっちもライムグリーンで統一されたセットアップで、格好だけ見れば真夏の姿。

 少し背伸びしたらおへそが見えちゃうのと、ショートパンツの裾が足の付け根までしかないのが気になるけれど、どうせ誰も来ないし見ないから平気平気。


 髪はオールアップ。おでこを出して後ろ髪を頭の天辺でお団子にしてもらった。

 汗を掻くと額にまとわりつくのが嫌だったし、首のうしろが蒸れるのが不快だった。


「んっ、しょっと」


 部屋の扉の前に設置していた丸テーブルを引っ張って動かす。ちょっとしたバリケード。ほんと気休めだけど、無いよりはあった方が良い。

 部屋自体はミィの結界で守られているし、オレの探知魔法で定期的に索敵しているんだけど、用心するに越した事はないからね。


 テーブルを元の場所に戻して椅子も綺麗に整えていると、部屋の扉がコンコンコンと三回ノックされた。

 返事をするのも扉を開けるのもまだ。


 しばらく待つと、今度はコンコンコンコンと、4回ノックされた。


「いいよー」


 その音を聞いてようやく返事をする。


 扉に設置してある鍵の開錠音とは別に、パリパリパリンと三回ほど何かが割れる音がした。


 ミィの施した三重の結界が割れる音だ。


 古めかしいドアノブがギィイっと悲鳴を上げて、ボロボロの扉が嫌な音と共に開いた。


「ふぅ、ただいま」


「おかえり、ミィ」


 深々とフードを被った黒いメイドさんが、フードを外しながらため息を一つ吐く。


「どうだった?」


「ええ、予想通りね。王都の城壁から少し離れた外側に、隠蔽し損ねた魔法陣のラインを見つけたわ」


「そっか……2号の言った通りだったね。これだけ大きいと、どうしても隠しきれない部分があるって奴」


 ミィは昼ごろから、2号と交わした推察を確定させるために外出していた。

 この王都の巨大な魔法陣は広大な土地に直接魔法陣を敷くと言う性質上、どんなに巧妙に隠したところでどうしたって露出してしまう箇所が出てしまう欠点がある……って言うのが、2号とミィの共通見解。


 本来の魔法陣っていうのは、その難解な模様を正しく描くために平坦な場所を必要としている。

 少しでも歪んだり、ズレたりするだけで魔法の中身が変わってしまうとても繊細な物だからだ。


「見つけた場所は大きな川が流れているとても隆起した場所だったわ。こっちも予想通り、この魔法陣は『地面』に描いているんじゃなくて、『空間』にラインを通してるみたいね。数百年前に主様マスター魔法院アカデミーに寄稿した『空間魔法陣描画論』、どうやらアレと同じ理論みたい」


 そう言いながら、ミィはローブを脱ぎ捨てて椅子に被せる。

 今日のメイド服はミニスカですか。

 肩もそんな大胆に露出しちゃって、けしからんよミィ!

 でもよく似合ってる。綺麗だなぁ。


「少し身体を拭かせてね? 汗かいちゃって」


 ミィはメイド服をなぜかスカートから脱ぎ始めた。

 オレは慌ててベッドに飛び乗って、急いで窓を閉める。


 もう! ほんとミィったら無防備!

 誰かが見てたらどーすんのさ!


「ふふっ、気にしすぎよ姫ってば」


 楽しそうに笑うミィは、もう上着も脱いでいた。

 そのまま背中に手を回して、ブラのホックを外した。

 脱いだ下着たちが椅子の背もたれに次々とかけられていく。

 

 オレは部屋の隅っこに置いてあった大きなタライを転がしてミィの横に移動させると、そのまま倒す。

 

 これはこの部屋に備え付けられていた湯あみ用のタライで、オレが両手を広げたぐらいの大きさのとてもボロボロの物。

 『倉庫』の中に勝手にお湯を張ってくれる2号お手製の魔導バスタブなんかも入っているんだけど、アレは使う際に結構な量の魔力マナを消費しちゃうから、今の状況だとあんまり使いたくない。


「あら、用意してくれたの? ありがとう姫」


「どういたしまして」


 そう言い放って、オレはそっぽを向いて体育座りをした。

 背中ではミィがタライの中にお水を入れる音がする。

 アレも2号お手製の魔導具。水をあらかじめ大量に貯留することのできる水筒だ。


 見た目はとっても小さくてオレ用に作られてるから子供用のデザインなんだけど、その内容量はとんでもない。

 少なくとも、中身が尽きた所は見たことが無い。

 毎日5号が屋敷で蒸留した飲料用の水を補充して倉庫に何本も置いていてくれるから、オレたちは事実上無限に水を使えるって寸法である。


 さて、ミィが水浴びをしている間にさっきの話でわからなかった所を復習しておこうかな。


 お願いイド先生。く、くうかんまほうじんびょうがろん……とはつまり?


【お答えします。空間魔法陣描画論とは、大魔導師ゼパル──────お父様が開発した当時としては画期的な魔法陣の描き方です。本来の魔法陣とは魔法を発動する要である『触媒』と、魔法陣を描く際に用いる『材料』──────一般的には、用途に応じた魔石を粉末上にして幾つもの工程を経て加工した物なんですが、過去の魔法陣とはそれらを用いて描画する物でした。しかしお父様が提唱したこの描画論では、魔法陣のラインを魔力マナその物で空間に『広げる』事で魔法陣を描画します。それによって面倒な工程を幾つも省き、魔石に用いるコストも削減できて、さらには何もない空間に魔力マナのラインを刻む事で場所を選ばず魔法陣を展開できるのです】


 なんとなくだけど理解できた。

 要するに、地面に描かなくても済むって事でしょ?

 目の前に縦に描いたり、斜めに描いたりできるって話?


【まぁ、そのような認識でも間違いは無いのですが。この方法の最も画期的な部分は、魔法陣の描画ミスによる魔法の暴発を極めて軽減させる事が可能という所です。自らの魔力マナによって刻んだラインは、術師本人であれば容易く修正できますから】


 つまり……『あっ、間違っちゃったっ!』って思ったらすぐに消せるって事?


【ええ、魔法陣とは大規模になればなるほど陣の描画が複雑になり、修正箇所を割り出す事が難しくなる物です。複数人が手分けして巨大な陣を描けば早いのですが、それだと必ず術師本人が予期していないミスが発生します。しかしお父様の唱えた新しい方法であれば、鍛練次第でどんな巨大な魔法陣ですら術師一人で描く事が可能となります。それに粉末にしているとは言え、魔石は物によってはとても高価な物ですから、間違えば間違うだけコストが嵩んでしまいます。魔力マナを用いれば、術師の体力が続く限り魔法陣を修正する事ができますよね?】


 はえー、すっごいねぇ。

 さすがオレたちのお父様、そんな発明しちゃうだなんて。


【ですがこの理論。魔法院アカデミーには受け入れられませんでした】


 ほぇ?

 なんで?

 実際に動くし、実現可能なんでしょ?


【単純な問題です。お父様の唱えたこの理論は、魔法院アカデミーに在籍する魔法師たちの誰にも再現できなかったんです。ですのでこの理論は破綻しているとして破棄され、一般には知られていません。どうやら論文の書き方を見るにお父様もそのつもりで寄稿しているみたいです。使用する魔力マナの量が非現実的でしたから。それこそ姫やミィ、お父様レベルの内包魔力量を持った術者でなければ使用できない理論……つまり、一般の魔法師では扱えないシロモノだったんです】


 あ、あちゃあ。

 

【それに在野の魔法師ならともかく、魔法院アカデミーの魔法師は外部からの革新を嫌う傾向があります。虚栄心とプライドが肥大し、新技術よりも伝統と形式を第一とするのが魔法院アカデミーという組織の悪しき伝統だとか】


 そ、それは……教育機関として正しいの?

 だって、じゃあずっと古い方法だけを教え続けるってことでしょ?


【いえ、その技法が再現できるのであれば、魔法院アカデミーの名義として取り入れていくそうなのです。なので院に在籍している魔法師と在籍していない魔法師との間では、いつの時代も確執が発生して敵対する傾向にあるとか。全てデータベースにある書物からの情報ですが、過去にもとある魔法師の技術を我が物とした結果、決して小さく無い規模の戦争が起こってしまったケースが見受けられますね】


 うーん、ミィが魔法院アカデミーを嫌う原因はそこらへんにあるのかなぁ。


「……あ、姫」


「んー……っ!?」


 イドとお話ししてたら背後からミィに話しかけられて、思わず振り向いてしまった。


 綺麗な黒髪がしっとりと濡れて、その細かったりバインバインだったりする身体を惜しげもなく曝け出したミィが視界のど真ん中に映る。


「なっ、なにっ?」


 慌てて前を向き直す。

 この旅を始めてその裸を見る機会なんて何度もあったけれど、やっぱり慣れない。

 

「もうじきヨゥが帰ってくるらしいわ。今連絡が入ったの」


「ほ、ほんと?」


 たった三日とは言え、ヨゥと離れて寂しくなかったと言えば嘘になる。

 あの人懐っこい笑顔を見ないと、なんだか安心できないのだ。


 だから帰ってくると聞いて、オレの顔は勝手にニヤニヤしてしまった。


「ええ、どうせだから姫も一緒に湯あみしちゃいましょう。ほら、ヨゥが帰ってくるんだから綺麗にしとかないとね?」


「え、いや、だって」


 関係なくない!?


「お、オレはミィが終わってから入る──────って言ってるじゃん! なんでもう脱がそうとしてんのさ!」


 あっといまにタンクトップを剥がされてしまった。


「今さら何を恥ずかしがってるのよ。ほらほら、私が姫を洗うなんていつもの事でしょう? この義体アバターにしてからヤケに抵抗するわよね姫ったら」


「いつもは猫の姿だからだろー! ちょ、ちょっと待ってじっ、自分で脱ぐからっ!」


 て言うかなんでいつもいつも! ミィは人の服を脱がせたがるのさ!


 あうっ! もうすでにショートパンツも剥ぎ取られて下着ショーツ一枚になってしまった!

 この手つきがっ、手つきが無駄にいやらしいのが嫌なのオレはっ!


「なんなんでしょうねこの姫ったら。嫌がれば嫌がるほど無理やり脱がせたくなるのよねぇ。ほらほら」


「引っ張らないで! 食い込んじゃうでしょ!」


 そうでなくてもこの下着ショーツちっさいんだから!

 もうっ! ほんとにミィってば!

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