第60話 王都アングリスカ→氷の封魔城⑦

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「う、うぅん」


 時刻は夕暮れ。

 王都アングリスカの気候は、王都以外の吹雪いている地域に比べてとても暖かかった。

 そのせいかわからないけれど、オレは薄手のキャミソール一枚なんてはしたない姿なのに汗をかいている。


 ミィと二人で見つけた宿屋の二階。

 あの女将さんのところに比べてだいぶ態度が悪く、そしてやる気の無さそうなお店の人にお金を渡してすぐに部屋に入った。


 それから5号の作ったお弁当を美味しく頂いて、少しだけ身体を整えて今に至る。


 ミィは薄型魔導板タブレット越しに叡智の部屋ラボラトリに居る2号とずっとお喋りしていて、とても忙しそうだ。


 手伝える事もやる事も見つからないオレはと言えば、ベッドの上で暑さにうんうん唸って居るだけ。

 呻き声がミィの邪魔になりそうで極力声を出さない様に頑張っているんだけど、ついには気分も悪くなってきちゃって、不意に声を出してしまった。


「姫、大丈夫?」


 見かねたミィが薄型魔導板タブレットから顔を逸らして、ベッドの上に居るオレに心配そうに声をかけた。


「だ、大丈夫……じゃ、無いかも」


 いよいよ持って、体調が悪化している。

 めまいまでしてくる始末。


 オレのわがままで王都まで来たのに、なんて体たらくなんだろう。


 頑張ってくれているミィやヨゥにとても申し訳ない。


「ほら、おでこ出して」


 横たわった姿勢から上体を起こして、ミィに言われた通り髪を掻き上げておでこを晒す。


「んっ」


 熱を測るためにミィが当ててくれた手が、ひんやりとして気持ちいい。


「……んー、熱があるわけじゃないわね。この程度の寒暖差で体調を崩すなんて、姫の身体のスペックではあり得ないんだけど……」


 ほんと?

 でもとっても身体が熱いんだ。なんでだろう。


「他にどこか異変は無い?」


 異変……異変っていうか。


「なんか……見られてる気がする」


「見られてる?」


「うん……いっぱい、たくさんの人に見られてる」


 王都城壁の門を潜って、大通りに出た時ぐらいからだろうか。

 視線って言うか──────呼ばれてる、みたいな。


「屋敷でリンクしている姫のバイタルにも、特に変わった変化は見られない様だし……」


 汗ばんだ頬や首筋を、ミィは自分の服の裾で拭ってくれた。


【システム・イドが観測している姫のバイタルには何も異常は見当たりません】


 イドでもわかんないのか。

 ほんと何なんだろうこれ。


【──────機械的な観測に現れない変調、もしかしてそれは】


「……第六感に働きかけられた、超感覚的なものかもしれないわね」


 イドとミィの見解が同時に一致した。


「だいろっかん?」


 えっと、どっかで聞いた事ある様な……。


「姫の身体はいろんな種族の因子を複雑に絡み合わせて造られた特別な物なの。それは時に魔力的な波動や微細な自然現象の余波をも鋭敏に察知するわ。そしてそれ以外も」


「それ以外……って?」


「ありとあらゆる種族の要素を併せ持つ姫の感覚は、創造主である主様マスターですら全ての可能性を把握できたわけじゃないの。精霊だったり死霊だったり、そういう普通の生物では感じ取れない何かを、第六感で統合して感じとっているのかも知れない」


 お父様でも、分からない……オレのこと。


「本来この旅はそれを知るための旅よ。姫、目を閉じて聞こえない音を聴こうと耳を澄ましたり見えない物を見ようって考えてみて」


 聞こえない音を、聞く。見えない物を……見る?


 火照った身体の熱を吐く様に、一度大きく息をする。

 ゆっくりと目を閉じて、意識を耳に集中する。


 口を噤んだミィの息遣いすらだんだん遠くなって行って、耳鳴りを伴った静寂が宿の部屋に広がった。


『……たす……して』


 ──────何か、聞こえる。


『たすけて……ここから、開放して……』


 エイミィ……?

 いや、違う。あの子の声は、もっと澄んだ声だったはず。


 その声はか細く、そして酷く苦しそう。

 もっとちゃんと聴こうと、更に耳に意識を集める。


 そして、聞いてしまった。


『お願い! 助けて! はやく殺して!』


『ちくしょう! 何で俺が! 苦しい! 誰か!』


『お母さん! お母さんごめん! お母さんの言う事を聞けば良かった!』


『熱い! 熱い! お願いだ! 誰かここから出してくれ!』


『ママぁ! ねぇママどこぉ! 怖いよぉ! ママぁ!』


『騙された! アイツら、俺たちをずっと騙してやがった! 何が永遠の春だ! クソ! 俺はなんて馬鹿なんだ!』


 弾けた。


 一人・二人なんてもんじゃない。

 数百、数千の人の苦しそうな声が。

 怒っている声が、恨んでいる声が、救いを求める声が俺の耳元で至近距離で爆発した爆弾の様に弾けた。


「ひっ!」


 思わず目を開けて飛び退いた。


【姫、イドにもたった今観測できました。大丈夫です。姫が知覚した事によって確認できた感覚を強制的に遮断しました。落ち着いて、落ち着いてください!】


「い、いまの、やだ。やだ! なに!? なんであんな!」


 動悸が激しく、心臓が破裂しそうなほど脈を打ちつける。

 汗ばむ肌がじっとりと、より嫌な物に変わっていく。


 その声があまりにも衝撃的すぎて、ベッドの上を這いずる様に後退り、部屋の窓枠を掴んでそのまま思いっきり窓を強く開いた。


 気持ち悪い。気持ち悪い!

 空気、新しい空気を吸わないと、吐く。吐いちゃう!


「姫! どうしたの!? 何を聞いたの!?」


 心配してくれるミィの声すら、今はとても煩わしかった。


 ただただ気持ちが悪くて、窓から身を乗り出して深く息を吸い込む。

 

 ──────それを、見た。


「ひっ、うわぁ!!」


 宿の外の、整備された舗装路。

 不揃いなタイルで敷き詰められたその道は、この宿に来る時に見た綺麗で趣のある道だったはず。


 なのに、今は全く違う光景。


「姫!? どうしたの!? 姫!」


「あっ、あぐっ」


 思わず口に右手を当てて、左手でキャミソールの胸の部分を強く握る。


 より強くなった吐き気で心臓が口から出ちゃうんじゃないかと錯覚したからだ。


【姫!? 姫の視覚にノイズが発生しています! イドには把握できません! 姫!】


 脳内に響くイドの声を頼りに、切れかけた意識をかろうじて繋ぐ。


「手……手が」


「手!? 姫、貴女は今何を見てるの!?」


 視線を少し上げて、宿の二階から見える王都の姿を確認する。


「地面から……たくさんの、手が」


 びっしりと。

 もう何千・何万本あるのか分からない数の手が、苦しみもがく様にうねりながら地面から生えている。


 それはとても傷ついていて、とても青白く、そして大人の手から子供の手まで。

 中には赤ん坊の物と思われるとても小さな物まであった。


『ラァラ!!』


「──────エイミィ?」


 空に響いたのは、聞き覚えのある声。

 

『ラァラ、近くにいるのね!? 私のすぐそばに居るのね!?』


 オレが助けると誓ったあの声が、夕暮れの王都の空に響いて居る。


「エイミィ! 居るよ! オレはここに居る! エイミィはどこ!? この街は……いったい!?」


『ああ、ラァラっ! 嬉しいっ。私とっても嬉しいわ!』


 精神世界で聞いたエイミィの声よりも、はっきり力強い声。


 そこに居ないって分かっているのに、オレは空に向かって手を伸ばす。


「姫! 危ないわ! 落ちるってば! エイミィって誰!? 姫は何を聞いてるの!?」


 窓から乗り出したオレの身体を、ミィが強く抱きしめる。

 それでもオレは、エイミィを求めて手を伸ばし続けた。


『ああっ、ラァラ! お願い、お願いよ! 私を助けて!』


「うんっ! 助けに来たよ! もうすぐっ! もうすぐだからっ!」


『私を、この地獄から……助けて、ラァラ!』


 ああっ、ダメだ。


 エイミィの声は聞こえるのに、オレの声が届いていない。

 分かってしまう。なぜだかオレには、そう分かってしまった。


『私、もうこれ以上誰も──────』


「エイミィ! 聞こえる!? エイミィ!!」


 なぜ届かないんだ! エイミィの声はこんなにもはっきりと聞こえるのに!


『──────したくないっ! お願いラァラ! 私を助けて! 私を!』


「……エイミィ?」


 ちょっと待って?

 何を言ってるの?

 今、大事なところが聞こえなかった。

 なんて言ったの?

 ねぇ、エイミィ──────。


『お願い私を──────殺してっ!!!』


 ──────空に伸ばしたままの手が、虚しく宙を掴んだ。

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