第49話 春の無い国→宿屋にて②


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「ただいまぁ」


「あ……ミィ、おかえりぃ」


 雪に塗れて若干しっとりした旅人風メイド服の女の人──────ミィが、羽織っていた外套マントから水気を払いながら部屋へと入って来た。


「……ここ、狭いわねぇ」


 オレたちは酒場兼宿屋の二階に部屋を取っている。お世辞にも立派とは言い難いし、ベッドも一つしかない。

 他にお客さんも居ないみたいだから、ヨゥはもう一つ部屋を借りようとしていたんだけど、どうやら滅多に客が来ないせいでほとんどの部屋を物置代わりにしちゃったらしく、すぐに使えるのはここひとつしか残っていなかったみたいで借りられなかったのだ。


「贅沢言うなって。宿があるだけでもありがたいと思わなきゃ」


 質素なベッドの上でオレの防具や杖、そして剣の手入れをしていたヨゥがケラケラ笑いながら返事を返す。


「まぁ、それもそうか。ご飯は?」


「ごめんもう食べちゃった。5号のお弁当、おいしかったよ?」


 ヨゥの『倉庫』経由で送られてきた5号お手製の熱々お弁当。今日のメニューはハンバーグと、アッツアツのコーンスープだった。

 ハンバーグはデミグラスっぽいソースがかかったトロットロでジューシーな逸品で、コーンスープは外の冷気に結構凍えていた身体に活力が漲るほど美味しかった。


「そう、じゃあ私も頂こうかな。定時連絡は?」


「ん。向こうも収集したデータの解析中だったからね。ミィが戻って来たらこっちから連絡するって言っておいた。でもその間に姫がああなっちまってて、ちょっと失敗かな?」


 ヨゥに指差されたオレはと言えば、眠気に襲われて船を漕いでいる真っ最中。

 部屋に設置されていた窯みたいな暖炉に女将さんが持って来てくれた大きくて熱された真っ赤な石を置いてもらって、その前に座って眺めてたらもう気持ち良すぎてノックダウン寸前。


「ん、んにゅ……だ、だいじょぶ……まだ、ねむくないよ……」


 嘘である。めちゃくちゃ眠い。

 頬を照らす程よい暖炉の熱が意識の端っこをやわやわと揉み解してきて、もはや簡単に夢の世界へと旅立てそうなのだ。

 でもこの後、1号たちと連絡を取る予定だし……。

 オレだけ眠るのは、なんか違うと思うし……。

 ぐぅ。


「あらあらあら。姫? もう少し我慢してね? ちゃんとお風呂に入って髪に油を塗ったりパウダーを身体に塗したりしないと」


「え、えぇえ……今日はもう……いいじゃんかぁ」


「駄目よ。そうでなくても吹雪に晒されて傷みかけてるんだから。姫のお世話係として、その綺麗な銀髪には枝毛一本も存在を許したりなんかしないんだから」


 うへぇ……お風呂とその後の色々をミィがやると、2時間ぐらい平気でかかるんだよなぁ。


「まぁまぁ、ミィが夕飯を食べてる間は寝てても構わないだろ?」


 そう言ってヨゥはベッドから立ち上がり、床で三角座りしていたオレの両脇に手を突っ込んで軽々と持ち上げた。


「んー、一応軽く髪を梳かしておいてね?」


「あいよ。ほら姫、帽子を脱いでおくれ」


「あ、あうー」


 だらんと弛緩しながらヨゥに身を任せて、弱々しく腕を上げて帽子を脱ぐ。


「ブーツも脱いでおきましょうか」


「上着もそろそろ暑いだろ?」


 ベッドに腰かけたヨゥの膝の上で、二人がオレの身につけているものを次々と脱がして行く。


 あっという間にインナーも剥ぎ取られ、薄手のキャミソール一枚のあられも無い姿になった。


「姫、こっち向いて」


「う、うぅん」


 ヨゥの膝の上でよろよろと身体の向きを変え、対面する形になった。

 そのままぽすん────いや、ぽよよんとヨゥの胸に顔を埋めると、大きな胸の柔らかさがオレの眠気を更に加速させた。


「もうちょっと頑張りなよ姫?」


「お、起きてるよぅ」


 ヨゥがどこからか取り出した櫛がオレの髪を上下に梳かし初めて、その心地よさでもはや意識は半分沈んでいる。

 なんで人に髪を梳かしてもらうのって、こんなに気持ち良いんだろ。

 それにヨゥの体温もめっちゃ暖かくて、オレこれ好きぃ。


「ありゃ、これはもう駄目だね。今日はもう寝かしてやろうよミィ。定時連絡はアタシらだけで問題ないし、風呂は明日の朝に入れりゃ良いだろう?」


「んー、そうねぇ。仕方ないか。あ、でも歯磨きだけはさせてね?」


「あいよ。んじゃあアタシが髪を梳いておくから、ミィは歯磨きをお願い」


「はい。ほら姫。お口を開けて?」


 あーん。

 

「はい良い子。もう少しだから頑張って」


 ん、頑張る。


【1号たちへのデータの連携はイドでなんとかしておきますから。姫はもうお休みになってください。初めて外界に降りて、なんだかんだで疲れている様です】


 ご、ごめんねぇイド。

 なんか、とっても眠くて。


【いいえ。大丈夫です。昨夜は興奮してあまり寝付けなかったでしょう? こうなると思っていました】


 楽しみ半分、緊張半分だったもんなぁ。

 身体はまだ平気なんだけど、色々あって心が疲れてるっぽい。


 しゃこしゃことミィの持つ歯ブラシがオレの歯を磨いて行く。

 そのリズミカルな音と、口内を往復するブラシの感触もまた心地良い。

 

 十数分経って、オレの意識はもうほとんど眠気の泥に沈んでいた。

 髪を梳き終わったヨゥが、今度は暖かい水で濡れた布でオレの背中や手足を拭いてくれている。


 なんかもう、至れり尽せりって感じ。

 ありがたいけど、ちょっと自分が不甲斐ない。

 猫たちに甘やかされっぱなしである。


【仕方ありません。姫の身体はまだ幼いのですから】

 

 イドはそう言ってくれるけど、オレの精神は本来は中学生だったわけでして。

 子供扱いを嫌がる、大人への準備期間。

 いくら精神がこの身体へと馴染むにつれて幼くなってきているとは言え、ちょっとしたプライドみたいなものがやっぱりあるんですよぅ。


 ままならないなぁ。


【それはまたいつか、考えましょう。今日の姫はもうお疲れです。さぁ、ゆっくりお休みなさい】


 んぅ。

 もう眠気は抗えないところまで来ている。ここからどう頑張ったって意識は覚醒しそうも無い。


 おやすみイド、ミィ、ヨゥ。


【ええ、おやすみなさい姫】


「ゆっくり休みな」


「また明日ね?」


 どうやら知らず知らずに口に出していた様で、イドを含めたみんながオレに返事を返してくれた。

 その声もまた耳に心地よく、その気持ちよさがトドメとなって自我が霞んで夢へと繋がる、その瞬間──────。


『だれか───なまえ───わたし────だれか──────おねが──────』


 小さな、とてもか細く弱々しい声が──────オレを呼んでいる気がした。


 その声は、まるで泣いているみたいで──────。

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