第38話 外界へ→行ってみよう!⑤


 叡智の部屋ラボラトリの上空に、月と星が輝き始めた。

 この空は魔法で作り出した幻だけど、遠くの山の向こうはまだオレンジ色に染まっていて、今流れている時間が夜でも夕方でも無い曖昧な時間であることを教えてくれる。


「良い匂いだね」


 川の側にオレと五匹の猫たちが並び、グツグツと煮立っている濾過機をじっと眺めている。

 あたり一面に豊潤な甘い香りが充満し、風に流れて広がって行く。


主様マスターが大好きだった匂いにゃあ? 覚えておくと良いにゃ」


 オレの独り言に返事を返したのは3号だった。

 

 それからまた、静かな時間が流れる。

 

 記憶や映像でしかお父様を知らないオレなんかより、実際に長い時間を過ごした猫たちの方が思う所が深かったのだろう。

 

 あんなに賑やかだったのに、いつの間にかみんな無言になって濾過機を見つめていた。


 色んな想いを込めて、見つめていた。


「さぁて! いつまでもこうしてたって仕方ないにぃ!?」


 最初に沈黙を破ったのは4号だった。


 4号はサバサバ系お姉さんってタイプだから、あんまりしんみりとした空気が苦手なのだろう。

 4号のそういう所、オレは大好きだ。


「夕食にするにゃあ。俺っちと2号がテーブルを準備するから、3号と5号は食事を運んできて欲しいにゃあ?」


「任されたにゃ」


 続いて1号と3号が動き出す。


「夕ご飯、ここで食べるの?」


 メイド服のスカートの裾をパタパタと叩きながら、3号はオレの問いに右目をウインクして返す。


「たまにはお外で食べるのも良いにゃあ? 特別な日って感じがするにゃ!」


「う、うん! 良いと思う!」


 ちらりと横目で1号を見ると、2号と一緒に『倉庫』から大きな長テーブルや燭台なんかを取り出して設置を始めていた。


 うわ、なんかテンション上がってきた!


「さて、運ぶ物いっぱいあるから、姫は大人しく待ってるにゃあ?」


「アタシも手伝うにぃ」


「4号に運ばせるのは心配も。ここで姫の相手をしていて欲しいも」


「し、信用されてないにぃ。悲しいにぃ」


「4号は大雑把すぎるからにゃあ? この間も僕の研究室のファイルを散々なぎ倒してくれたにゃあ」


「俺っち的には2号の研究室は物が多すぎだと思うがにゃあ」


「1号が言う資格無いにゃあ。私が4日前にお願いした機関部の掃除、進んでるにゃあ?」


「…………2号の研究室は物が多すぎだと思うがにゃあ」


「話の逸らし方が不器用すぎるも」


「僕の研究室や1号の機関部回りは一見汚れているように見えるけど、実はとても合理的で実務的なレイアウトになっているにゃあ! 必要な物が必要な時にすぐ取れるように配置されているにゃあ!」


「物を取るたびに雪崩が起こるとレイアウトもへったくれもないにぃ?」


「おっと4号が2号を論破したにゃあ。オス猫どもはいちいち言い訳がましくて嫌になるにゃあ? ねぇ姫?」


「俺っちは言い訳してないにゃあ」


「1号は言い訳よりも酷い何かも。それとぼきとこの二匹を同じ様に括るのは止めるも?」


「5号は逆にきっちりし過ぎるにぃ。この間食料庫の整頓を手伝った時なんか酷い目にあったにぃ?」


「4号に手伝わせるのがそもそも間違いにゃあ。素直に私を呼べば良かったにゃあ」


「酷くないかにぃ!?」


 うん。さっきまでの空気なんかどっか行っちゃって、途端にすっごい騒がしい。

 ウルサイよね!


【そう思いつつも姫はとても嬉しそうな感情と表情をされてますが?】


 そう?


「ひーめー、アタシいじめられてるにぃ? こんなわからんちんな猫たちは放っておいて、あっちで川に石を投げて遊んどくにぃ!」


 4号は演技臭く嘘泣きをしながら、ヨヨヨとオレに泣きついて来た。


「あ、うん! オレ、石切りしたい!」


「おっ! アタシはとっても得意にぃ? 超絶なる美技に酔いしれると良いにぃ!」


「負けないからね!」


 ドレスのスカートを両手で摘んで、オレと4号は川へと走り出す。


「ひーめー! せっかく整えた髪とドレスを汚したらダメにゃあ!?」


「うん! 気をつける!」


 遠ざかる3号に右手をブンブンと振って答える。


【そう言った矢先に裾を汚してしまっておりますよ。姫】


 あ。

 だ、大丈夫だってこんぐらい!

 きっと、多分、おそらく。


【後で叱られるのを覚悟しておいてください】


 ……やっぱり?



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ケーキ……? ケ、ケーキだ!」


 テーブルに次々と運ばれてくる数々の料理の中で、その魅惑の塔がオレの目を釘付けにする。


「おお、こんだけデカイと流石に圧巻にぃ……」


「にゃふー。5号と私の共同制作にゃあ? めちゃくちゃ気合いを入れたにゃ!」


「姫、これがサプライズも?」


 猫たちもオレも見上げるほど大きな4段積みの真っ白なケーキ。


 こんなの、前世で出席した親戚の結婚式とかでしか見たことが無い。


「姫は甘い物が大好きも? 菓子作りに関してはぼきより3号の方が得意だから、手伝ってもらったも。でも制作途中で何度も大き過ぎるって忠告はしたも。ガン無視されてちょっと悲しかったも」


「特別な日のケーキは特別な物を用意するべきにゃ! 大きさもさることながら味だって徹底的に追求したにゃあ!」


 3号は渾身のドヤ顔と共にケーキを、、もう一度仰ぎ見る。


「自慢じゃにゃいがアタシは甘い物には一家言あるにぃ!」


「僕も甘い物好きにゃあ。疲れた頭には甘味が必要にゃあ。でもコレはやりすぎだと思うにゃあ?」


「俺っちはあんまり……」


 猫たちの反応は様々だ。

 よく一緒にご飯を食べる4号の好みはある程度知っているけれど、2号と1号はそれぞれの部屋から滅多に出てこないから、あんまり一緒に食べた記憶が無い。


 1号が甘い物が苦手っていうのは、なんとなくイメージにぴったりだと思う。

 お酒とか辛い物が好きそう。


 逆に2号は全然イメージに合わない。なんていうかこう、食事が面倒だからってジャンクな物とかサプリメントとか好んで食べてそうだった。


 でもよくよく考えたら、この屋敷の食を一手に担っているのは5号だ。


 あの5号がそんな味気なくて不健康な食生活を許すはずが無い。


「3号、5号! ありがとう!」


 素直に喜んだこの気持ちを伝えたくて、一番近くに居たデブ猫コックさんの胸(?)に飛び込んだ。

 しましまの体毛が気持ちいいそのデブ猫さんは、照れた様にはにかんで頬を爪でポリポリと掻く。


「喜んでくれて嬉しいも?」


「3号もありがとね?」


 5号に埋もれながら右手を伸ばし、3号の前足を掴んでブンブンと上下に振った。


「にゃはぁ♡ どういたしましてにゃあ?」


 感情豊かな黒猫メイドさんは思いっきり顔を弛緩させて笑った。


「じゃあ、そろそろ食べちゃうにぃ?」


 4号は舌舐めずりをして器用にフォークとお皿を持ち、テーブルの上に並ぶ色んな料理をキョロキョロと見渡す。


 川の側にテーブルを置いてビュッフェスタイル。


 これはなるほど、特別感あるな。

 ていうか、これ全部食べられるのだろうか。


「いただきます!」


「はいどうぞも」


 オレも4号に負けじとお皿とフォークを持ってテーブルに向かう。

 因みにドレスの裾を汚したのはちゃんと3号に見つかって、軽いお小言を言われた後で待ち針で少しだけ裾上げをしてもらっている。


「じゃあ姫、食べながらで良いんで俺っちの話を聞くにゃあ?」


 1号は簡単に作られたチェアに座って、グラス片手にオレに語りかけた。



「もぐ?」


 すでに七面鳥の丸焼きを頬張っていたオレは、首を傾げて振り向くことで返事を返す。

 実はさっきからこれ、凄く美味しそうだったので。目をつけていたので。


「みんなとこの数日色々話し合って、決めたことがあるにゃあ?」


 口いっぱいに七面鳥を頬張るオレの事は気にならないらしく、1号はどうやらお酒が入っているっぽいグラスをクイっと持ち上げた。

 あれ、ワインかな。


「来週から、姫の育成プランをまた1段階先に進めることにしたにゃあ」


「もぐ、もぐもぐもぐ。ごっくん。1段階?」


 この一年で何回かあった、オレの生育状況に合わせた訓練プランの引き上げ。


 それをこんな形で勿体ぶって報告するのは初めてのことだ。

 いつもはさらっとなんでもなさそうに告げて、そこから急に難易度と疲労度が増した訓練がスタートするのが常なのに。


「そうにゃ」


 チェアに持たれて体重をかける1号。

 木製のチェアはギシっと音を立てて軋んだ。


「本来のプランだと姫が覚醒してから5年後に予定していた───外界での実地訓練を開始するにゃ」


 そして1号にしてはとても珍しい事に、口の片方をニヤリと持ち上げて不敵に笑った。


「姫は……暑いところと寒いところ───どっちに行きたいにゃ?」


 1号さん? な、なんでそんな悪そうな顔で、オレに問いかけるんですか?

 

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