第11話 猫の手→猫の目③


「はふー……」


 連れてこられたベッドの端っこに座り、大きく息を吐き出す。

 ほかほかな身体が倦怠感に包まれて、いい感じに眠たい。


「はぁ〜♡  可愛いにゃあ♡ とっても似合ってるにゃあ♡」


 そんなオレの姿を見た3号は、自分のほっぺたに前足を当ててぐねぐねと身悶えていた。


「採寸もぴったりにゃあ♡ 目算で作ったから心配だったけど、私の目に狂いは無かったにゃあ♡」


 激動のお風呂タイムを終えて連れてこられたこの部屋が、どうやらオレに割り当てられた私室らしい。


 ピンクを基調としたファンシーな家具や大きなベッドが置かれていて、一番幅を取っているクローゼットらしきものを入れても、この部屋はオレの常識から考えると信じられないぐらい広い。


 どんぐらい広いかと言えば、体育館の半分ぐらいと言えば分かりやすいだろうか。


 何に使えって言うんだこのスペース。

 多分室内でバーベキューとかできそう。煙で大変なことになるけど。

 うーむ、持て余す。


「初めてのお着替えはとっても悩んだけど、やっぱり一番の自信作にして良かったにゃあ♡ あ、寝巻きの中での自信作にゃ! 他所行きのドレスとか運動用の服とかは別でいっぱい作ってあるにゃあ? 安心するにゃ!」


 いや、別に心配はして無いんだけど。


 このシルク生地っぽい──────と言ってもシルクの服なんて生前、お袋の外着ぐらいしか見た事無いんだけど──────長い裾のひらひらなワンピース。


 薄手で軽くて寝るにはぴったりなんだけど、そっかぁ……やっぱりスカートかぁ。


 そうだよね。今のオレ……女の子なんだよね。

 下着だってトランクスでもなければボクサーブリーフでも無い、いわゆる女の子用のちっちゃいパンツ。

 ショーツって言うんだっけ?

 おへその上ぐらいまですっぽり覆うタイプの、なんだか股がキュッと締まる感じの小っ恥ずかしいこの下着。


 無理やり着せられた時は結構ショックがデカくてちょっと落ち込んでいたけれど、これから女の子やっていかないといけないから……。

 慣れないと、駄目なのかなぁ……?


「いくらなんでも作りすぎにぃ。あんなに大きなクローゼットをよく一杯にできたにぃ?」


 4号が腕を組みながら、開けっぱなしのクローゼットの中を見て呟いた。

 こっちからは左目の眼帯しか見えないからわかんないんだけど、多分呆れてるんだろうなぁ。


「時間はいっぱいあったからにゃあ。姫が目覚めるまでの十年間、毎日毎日姫の身体データと睨めっこして試行錯誤したにゃあ。明日はこれを着てみるにゃ? それともこれが良いかにゃ?」


 そう言いながら、3号はクローゼットの中からヤケにひらひらしたドレスや、胸元が大胆に開かれたドレスを取ってオレに見せてくる。


 えっと、あの、どっちも嫌って言ったら……怒っちゃう?


「戦闘訓練用のインナーもちゃんと準備してるにぃ? 防具や武器はアタシが揃えてあるから問題にぃけど、そっちは3号が作るって言ってたにぃ?」


「心配無用にゃ。ちゃんと厳選した最高級素材をふんだんに使用して、とっても可愛らしく上品に誂えたインナーを12着作ってあるにゃ! 防御力も問題にゃいにゃ? 私が至近距離から全力で魔法を撃っても汚れ一つつかないのは確認済みにゃ!」


「…………ちょっと待つにぃ。材料に何を使ったにぃ!? もしかして資材倉庫の奥にあった青色の箱の中から取ったとかじゃ無いにぃ!?」


「使ったにゃあ?」


 なんだか焦り出した4号に向けて、3号はこてんと可愛らしく小首を傾げた。


「アレはアタシがこっそりため込んだ虎の子の資材にぃ! 姫がアタシの戦闘訓練を最後までやり遂げたら作ってあげようと思ってた、最高の武器のための材料にぃ!」


「どうせ姫にあげるんなら一緒にゃあ。防御力は大事にゃあ?」


 眼帯をしてない方の目を涙目に、モフモフもっさりな頭の毛をワシワシと掻き毟って取り乱し始めた4号を見て3号はふんすと鼻息荒く言い放った。


「……さ、3号はやることが大胆すぎるにぃ。あの箱に入ってた材料の価値、3号なら知ってた筈だにぃ?」


「姫の身体を守る物にゃあ。どんなに貴重でも高級でも足りないぐらいにゃあ」


「──────も、もう良いにぃ。あんなとこに鍵をかけずに置いていたアタシが馬鹿だったにぃ……」


 ガクリと項垂れながら、4号は静かにオレの目の前にやって来る。


 そして両前足でオレの頬をグニグニと揉みながら、薄らと笑った。


「姫、やっと会えて嬉しいにぃ。今日からよろしくにぃ? 姫に戦い方を教えるのは『戦闘タイプ』のアタシの役割。今からとっても楽しみにぃ」


 もにもにぐにぐにと頬を肉球で弄りながら、4号はオレに静かに語りかける。


「大丈夫。姫は誰よりも強くなるにぃ。主様マスターもお母様もとても強いお人にぃ。その娘である姫が弱いわけないにぃ。アタシがしっかりと姫を強くして見せるから、安心するにぃ」


 一通り揉み終えて満足したのか、やがて4号はパッと離れると足早に部屋の出口へと向かうと、最後に振り向いてオレに右手を振る。


「おやすみにぃ。ラァラ姫。また明日」


 そして扉を開けて暗い廊下へと消えていった。


 扉は音も無くゆっくりと閉じる。

 本当は4号におやすみって返事を返したかったのに、まだ喉に走る激しい痛みのせいで声が出せなかった。

 残念。


「さぁさぁ、姫。今日はもう眠る時間にゃあ。培養器から出て初めてのお外は疲れたにゃあ? 一起きたら5号が作ってくれるご飯を食べてみるにゃあ。あんにゃこと言ってたけど、5号はどんな物でも美味しく作ってくれるはずにゃあ。楽しみにゃあ?」


 3号に優しく肩を押され、身体がベッドに深く深く沈んでいく。

 促されるままにもそもそと動いて大きな枕に頭を埋めると、ふかふかな毛布と布団を一枚づつかけられた。


「今日からしばらくは私も一緒に眠るにゃあ。定期的に起きるようにはするけど、何かあったら遠慮なく起こすにゃあ?」


 布団の上からぽんぽんと、3号の手がゆっくりとしたリズムを刻む。


「灯りを消すけど、何も怖くないにゃあ。姫の3号はずっと姫と一緒にゃ。安心して眠るにゃあ」


 そして3号が何かをごにょごにょと呟くと、部屋の灯りがふっと消えた。

 眩しさに慣れた目は突然の消灯に対処できず、部屋の天井すら認識できないほど真っ暗になる。


 目を開けていても仕方がないので、オレは潔く瞼を閉じる。


「──────お父様もお母様も居ないにゃあ。きっと姫は寂しいにゃあ? でも大丈夫。3号が居るにゃ。他にも姫のことが大好きな猫が4匹も居るにゃ。姫は一人じゃにゃいにゃ」


 さらさらと、額から頭頂部にかけてを撫でられる。

 猫の肉球の心地よい柔らかさ。


 凄く柔らかいベッドの感触と火照った身体の熱が、オレの意識をまた眠りへと誘う。

 なんだかオレ、眠ってばっかり。


 でも仕方がないのかな。

 だってとっても、気持ちが良い。


 抗い切れない眠気の海に揺蕩う。

 さっき起きたばかりなのに、もう寝ちゃうのはなんだか悔しい。

 全部この身体のせいで、どうしようも無いこととは言え、せっかく猫たちと会話できるのに、オレはまだ一言も言えていない。


 くそう。

 駄目だ。やっぱり眠たい。

 もうどうでも良い。寝ちゃおう。

 今のオレは生まれたばかりに等しい。ていうか、生まれたばかり。

 つまり見た目は十歳ぐらいだけど赤ちゃんみたいなもの。


 赤ん坊は寝るのが仕事。こればっかりは仕方ない。


 ああ、でも──────やっぱり眠る前に、一言だけ伝えたい。


 だから、ちょっとだけ頑張る。


「……あ、あう」


「よしよし、大丈夫にゃあ。ここに居るにゃあ」


 違う違う。違うから。

 暗闇を怖がっているわけじゃないんだ。

 

 大きく息を吸って、喉に力を込める。


 もうすでに思考の半分はおやすみタイムに突入していて、油断したら残った半分も飲み込まれてしまうだろう。


 せめて、一言だけでも。


「さ、さん、ご」


「ん? 姫? どうしたにゃあ?」


 オレの挙動が少し変なことに気づいたのか、3号が顔を覗き込む。

 見えないけれど、声の位置が変わったのと空気で感じた。


 今だ。今なら、声が小さくても3号の耳にきっと届く。




「さ、さん、ごう。ありが……とうね」




 よし。言えた。

 

 任務完了。

 これで心置きなく眠りにつける。


 満足感と達成感を得て、オレはもう何も抵抗せずに睡魔を受け入れる。

 別になんてことない事だけど、これがこの世界で──────オレが転生して初めて──────自分の意思で何かを成し遂げた、初めてだ。


 とりあえずは、これで良し。

 まだ何も受け入れてはいないけど。


 納得は……していないけど。


「……ひ、姫? い、今ありがとうって、言った……にゃあ?」


 放棄して小さくなっていく意識の水面に、3号の声が波紋の様に響いていく。









 序章 『銀の月、目覚めの日』

                                       完

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