第9話 猫の手→猫の目①
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「──────ゲホッ! がはっ!」
肺に満たされた液体が、嗚咽と共に吐き出される。
あまりの苦しさに前のめりになって、床に額を叩きつけた。
痛みは無い。どうやら柔らかいクッションの様な物が敷かれている様だ。
突然すぎる覚醒に頭は酷く混乱している。
大きく吸い込んだ空気がとても新鮮で、そして刺激的で、身体のいたる所が激しくびっくりしているみたいだ。
「姫! 姫、大丈夫にゃ!? 2号! もっと安全な方法はなかったにゃあ!?」
背中になんだか柔らかい感触の物体が優しく添えられて、耳元で慌てた様子の女の子の声が響いた。
この声は聞き覚えがある。メイド服を着た黒猫──────3号の声だ。
と言う事は、背中のこの感触は3号の肉球の感触か。
初めて何かに触れた肌は、ビリビリとした刺激をあっという間に全身に広げていく。
その痛みに身体は大きく反応し、波打つ様に震えた。
「あ、ああ! 姫、大丈夫にゃ!? 2号、これはどう言う事にゃ!」
「大丈夫にゃあ。初めて外気に触れて感覚が鋭敏になっているだけにゃあ。姫は無事培養器から出てこれたにゃ。なんの問題もないにゃ」
その頭上から聞こえるのは冷静な男の子の声。この声は、眼鏡を着けて白衣を着ているあの三毛猫──────2号の声だ。
「えほっ、げほっ」
顔にこびりつくなんだか粘っこい液体のせいで目を開けられず、オレはまだ咳き込んだまま動けない。
まだ身体はビクビクと痙攣を続けていた。
背中に添えられた、3号の手と思われる感覚が消える。
「でも姫は苦しんでるにゃ! 可哀想にゃあ!」
「じゅ、純エーテルに満たされた肺が今までとは全く違う方法で酸素を取り入れ始めた事で過剰反応しただけにゃ。これが正常にゃあ。だ、だから首を締めるのをやめるにゃ。く、苦しいにゃあ……ぐえぇええ」
2号の苦しそうな声を聞きながら右腕で自分の顔をぐしぐしと拭い、ゆっくりと目を開ける。
頬にこびり付いた自分の髪が鬱陶しいから、なんとか取れないかと指を動かすがなかなか取れない。
しばらくもがいていたら、先っぽが硬く鋭い物が額に張り付いた髪の毛の束を器用に掻き分けた。
びっくりして顔を上げると、片目を眼帯で覆った白いモコモコの猫がオレを半目で見下ろしていた。
どんだけモコモコかと言うと、もはやただの毛の塊にしか見えないほどだ。
「姫、アタシが取ってやるから動かないで欲しいにぃ。2号、3号。遊んでないで早く姫の身体を拭いてあげるにぃ」
初めて見る猫だ。
声だけで判断すると、女の子かな。
背中に大きい棒状の物体……あれは剣、だと思う。
やけに長いその剣の様なものを背負い、膝を曲げてオレと目線を合わせたその猫は、爪を器用に動かしてオレの顔に張り付く髪を掻き分けていく。
「わわわ、忘れていたにゃあ! 姫、ごめんにゃあ!? さぁさぁまずはお風呂にいくにゃあ? こびり付いたこのネバネバを綺麗に取って、私の作った寝巻きに着替えてお部屋でねんねするにゃあ。姫のお部屋の準備は万全にゃあ! 枕もお布団もふっかふか! ベッドは常にピカピカにしてあるにゃ!」
なんだか嬉しそうにそう話をしながら、3号は用意していたらしいタオルを広げて私の頭をわしわしと拭き始めた。
「1号。姫の体調はどんな感じにぃ?」
いまだ荒く息をしているオレの頬を肉球でぷにぷにと揉みながら、4号と呼ばれた彼女は隣に立つ二匹の猫を見る。
その目つきはとても険しい。
さっきまでオレを見ていた目とは、なんだか違う気がする。
「バイタルパラメータに異常は無いにゃあ。心拍数がちょっと高いだけにゃ」
なんだか薄い板の様な物を見ながら、大きなレンチを背中に背負った右目に大きな黒ブチのある白猫──────1号が淡々と答える。
「それは大丈夫にぃ? なんだかアタシにも姫は苦しんでいる様に見えるにぃ」
今度は両手でモニモニとオレの頬を揉みながら、4号はなおも1号に質問する。
なんだろう。やけに手の動きがリズミカルなんだけど。
ちょっと、やめて欲しいなぁこれ。
まだ呼吸しづらくてしんどいんだから。
「想定の範疇にゃ。これで
「長かったにゃあ……なんだか感慨深いにゃ」
そんな1号の横で2号がメガネを外して目頭を押さえている。
相変わらずダボダボは白衣を翻して、三毛猫はよろける様に1号の肩にもたれかかっていた。
「その食事の訓練にゃんだが、本当にあのレシピで良いも? あれじゃあ栄養は取れるけれどあんまり美味しく無いも。調味料もほとんど使ったちゃダメって言われてるし、コレじゃ普通の流動食も」
のっそりとオレの視界に入ってきたのは、かなり大きなデブ猫だった。
まるまるでっぷりなその身体はとても柔らかそうで、手足がすごく短い。
しかも何故か頭にちょこんとコック帽を乗せている。
「触覚もそうだけど姫の味覚は今はとても敏感にゃあ。しばらくは空気に触れるだけで刺激を受けている状態にゃから、あんまり強い物に触れさせたりしたくにゃいにゃ。それに姫の胃はまだ完全な状態とは言えにゃいにゃあ。だから2号と話あって、その食材を選んだにゃ。調理方法は5号に任せるにゃ」
「それはわかるも。ただぼきは姫の料理人として、最初に食べて頂く料理がコレなのがとっても残念も」
デブ猫は目尻を下げてオレを見る。
その顔はとっても悲しそうだ。
「我慢するにゃ。もうしばらくしたら5号の腕を存分に姫に振る舞えるにゃあ」
「そうにゃ。姫の体調を整えるのに、5号の作る料理はとっても重要にゃあ?」
1号と2号が続けてそう説き伏せると、5号と呼ばれたデブ猫は観念した様にため息を漏らす。
「……了解も。いや、理屈じゃ理解してたも。だけどやっぱり、姫には美味しい物を食べさせてあげたかったも……」
そう言いながら、5号はすごすごとオレの目の前を通り過ぎて行った。
最後に一度振り向いて、両手……いや、両前足か。
短い前足を胸の前でギュッと握ってオレを見る。
「じゃあ姫、ぼきは姫のご飯を作ってくるも。今日は正直あんまり美味しいもの出せないけれど、いつかぼきの自信作を姫に食べてもらうも。期待してて良いも?」
ひらひらと前足を左右に振って、5号は多分部屋の出口がある方向に向かって歩いて行った。
「4号、姫を浴室に移動させるのを手伝って欲しいにゃ。私じゃ姫を支えきれないにゃ」
黒猫メイドの3号がオレの頭に大きなバスタオルを掛けて4号にそう告げると、眼帯モフモフの4号がこくりと頷いた。
「任されたにぃ。1号と2号はどうするにぃ?」
「俺っちたちはこの後始末と、今後の育成計画について取りまとめるにゃあ。姫の言語野の開発と身体の生育が目下の急務かにゃ」
「あ、あと僕はそろそろ爆睡するにゃ。もう三日も徹夜してて、そろそろ限界にゃ」
バスタオル越しに聞こえる1号と2号の声はとても疲れている様に聞こえる。
「了解にぃ。あとは3号とアタシに任せるにぃ。さて、姫。立てるかにゃ? アタシの言葉、分かるかにぃ?」
「──────か、かふっ」
4号に返事を返そうとしたら、喉に大きな痛みが走りとてもじゃないが声なんか出せそうになかった。
出てくるのは言葉にならない空気だけ。
思わず右手で喉を押さえ、痛みに顔を歪める。
「姫はまだ言葉を喋れないにゃあ。移行されたデータにより知識として頭の中にあるだけで、それが言語として理解するまでにまだもう少しかかるにゃ」
そう言う2号の声に、オレは頭の中で疑問符を浮かべる。
あれ? いや、かなり痛いけど出そうと思えば声は出せるだろうし、みんなが喋ってる言葉はもう全部理解できてるみたいなんだけど……。
「了解にぃ。姫、ちょっと我慢するにぃ?」
ん?
あれ?
4号、何してるの?
オレの身体を支えてくれるんじゃ無いの?
なんで、お腹の下に潜り込んできたの?
「3号はちょっと離れるにぃ」
「よ、4号!? 何するつもりにゃあ!?」
「肩を貸して移動するより、こっちの方が楽だし早いにぃ。よい、しょっと!」
4号の掛け声と同時に、オレの身体に唐突に浮遊感が襲ってきた。
「──────ゲホっ! ぐぇっ!」
──────と思ったら、今度は身体全部の重さがお腹の一点に集中した。
ぐえぇ! お腹が圧迫されるぅ!
苦しいぃ!
「あ、あわわわっ。ひ、姫っ! 姫大丈夫かにゃ!? よ、4号! そんな持ち方だと姫が苦しいにゃあ!」
普通人間を担ぐ時は肩に担ぐものじゃないか!?
なんでそんな、両手──────じゃなかった、両前足で万歳するみたいに持つの!?
「こっちの方が持ちやすいし、手っ取り早いにぃ。苦しむ時間を減らすためにもさっさと風呂場に行くにぃ。それっ」
「──────ぐえぇっ」
ま、まって! そんな乱暴な!
走らないで! せめてゆっくり運んで!
「よ、4号待つにゃ! もっと姫のこと丁寧に扱うにゃあ! あ、あわわわ!!」
た、助けてぇ!!!
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