第5話 嫌な死に方→救われる魂②


「う、うわぁああああ!」


 へ?


「よっちゃん! よっちゃんが消えた!」


「違う! 落ちたんだ!」


 え?


 やがて来るであろう痛みに目をつぶって歯を食いしめて堪えていたら、待ってた衝撃が来ず代わりにチンピラ取り巻きたちの悲鳴が聞こえて来た。


 ゆっくり目を開いて顔を上げると、さっきまで目の前で拳を振り上げていたよっちゃんがどこにも居ない。


 振り向いて背後を見ると、さっきまでそこにあったモノが無くなっていた。


 柵が無い。


 オレの背後一箇所分、デッキの周囲に設置されていたはずの転落防止用の柵が無くなっている。


「よっちゃん! よっちゃんどこだ!」


 チンピラ取り巻きたちがオレの横を素通りして、残っている柵から身を乗り出して海面を覗き込む。


 …………落ちた?

 オレが……避けたから?

 嘘ぉ!?

 

 いくらオレを殴ろうと勢いをつけていたからって、中学生一人分の重さで柵が落ちるとかありえんの!?


 ふと、視界の端に写った柵の接続部分を見る。

 ……錆だらけじゃん。


 よく見るとこの船の柵、全部錆でかなり汚いじゃん。


 このフェリー、さては整備不良の違法営業だな!?


 なんとなくオレは四つん這いの状態で本来柵があるはずの場所へと移動し、恐る恐る覗き込む。


 はるか下はフェリーの航行のせいで荒れ狂う海面。

 車やトラックも載せられる大型のフェリーゆえに、めちゃくちゃ全高が高い。


 し、死んだ?

 よっちゃん、落ちて死んじゃった?


 まだ出会ったばかりで、しかも喧嘩を売られていたからあんまり良い思い出も良い印象も無いけれど、でもさっきまで目の前で元気よく大声を上げていた人間が、こうもあっけなく死ぬなんて……。


「よっちゃん!!」


 よっちゃんの仲間の一人が、嬉しそうな大声を上げた。


「よっちゃん! 大丈夫!?」

 

 その視線を辿ると、居た。

 一箇所だけ突き出したパイプに両手でしがみ付いて、必死な形相のよっちゃんの姿がそこにあった。


「たっ! 助けて! 死にたく無い!」


 ツルツルと滑るパイプを何度も掴み直し、同じく滑る船の外装にスニーカーのソールでしがみ付いている。


「待ってて! 先生呼んでくるから!」


「頑張れよっちゃん! 俺、ロープかなんか探してくる!」


「お、俺も!」


「な、なぁ! こういう船って緊急用の縄梯子ロープとか置いてるんじゃないか!?」


「さっき見た赤い箱の中じゃね!? ほら、向こうにあったやつ!」


 チンピラ取り巻き達が一斉に動き出した。


 一人残されたオレは、パニクって回らない頭でただただよっちゃんがもがいている姿を見ているしか無い。


「たっ、助け、もうっ、無理っ」


 泣きそうな顔で助けを求めるよっちゃん。


 どうしよう。助けないと。

 オレも何か、アイツのためにしないと。


 キョロキョロと周囲を見渡しても、助けられそうな道具みたいな物は見当たらない。

 そこで注目したのが、残っていた柵。


 も、もしかして。

 もう一度よっちゃんの姿を見る。

 位置的には、オレの身長一個分ぐらい下にいる。

 落ちる瞬間、咄嗟にあのパイプを掴んだのか。

 なんて反射神経なんだ。違う。今はそんなことに感心している場合じゃない。


 …………柵に足をかけて、身体を目一杯伸ばしたら──────もしかして掴めるんじゃ?


 む、無謀すぎる? 素人の浅知恵か?

 で、でも。


「ひっ!」


「あぁっ!」


 よっちゃんの身体が、一瞬大きく上下した。

 船の動きと波しぶきのせいで身体がズレ落ちたのを、慌てて立て直したんだ。


「まっ、待ってろ!」


 迷ってる暇、無いじゃん!

 先生達が来る前に、あいつらが梯子かロープを見つけて来る前に、よっちゃん落ちちまうじゃん!


 よ、よし!

 急いで体勢を変えて柵に足を絡める。


 オレそんな筋肉あるわけじゃ無いけど、誰かが助けに来る間よっちゃんを掴んでおくことぐらいならなんとかできる! はず!


「よっ、よっちゃん! 手伸ばせるか!?」


 恐る恐る身体をゆっくり降ろしながら、プルプルと小刻みに震えるよっちゃんに両手を伸ばす。


「む、無理、無理だよ。落ちちまうって」


「ま、待ってろ! んんぅううう!」


 両膝の裏側を転落防止柵のパイプにかけて、背中を反らせて腕を力の限り伸ばす。


「も、もうちょ、もうちょいぃぃ」


「し、椎名ぁ。もう、ダメだ。俺、も、もう手が」


「ば、馬鹿っ野郎! さっき、までの! 威勢はどーしたんだっ! よぉっ!」


 急にしおらしくなんのやめろ! 諦めてんじゃねぇってば!


「つ、掴んだ!」


 力を込めすぎて真っ赤になったよっちゃんの手になんとか辿り着き、手繰り寄せるようにその手首を掴む。


「も、もう大丈夫。大丈夫だから」


「し、しいなっ。あり、ありが、ありがとう! ぐっ、ぐす!」


「れ、礼を言うのは完全に助かってからに──────」


 ギシィっと、嫌な音と感触が膝の裏の皮膚を通して耳へと伝わって来た。

 嫌な予感がする。


 全身から脂汗が噴き出した。


 そうだ。なんでオレ忘れてたんだ。

 あの防止柵、全部が錆びて汚かったじゃないか。


 なんで、今オレが足をひっかけてる柵は大丈夫だなんて思ってしまったんだろうか。


 そう気づいた時には、もう遅かった。


「嘘だ──────うわぁ!」

「椎名!」


 落ちた。

 錆て脆くなったパイプが根本から折れ、全体重を預けてたオレはなす術も無くただただ吸い込まれるように──────落ちた。


 脳裏に浮かぶのは、ベタだけど走馬灯の様なモノ。


 親父やお袋──────前の学校の友達達──────婆ちゃん、爺ちゃん。


 まだ中学生なオレと縁深い人物なんて、それぐらいしか居ない。


 その全員に謝った。

 やっちまったとか、死にたくないとか、そういう思いを抱く前に、最初にみんなに謝った。


 ごめん。先に死ぬ。こんな呆気なく、馬鹿みたいな死に方で死んじゃう。本当にごめんなさい。

 今まで大事に育ててくれたのに、今までずっと良くしてくれたのに。

 

 ごめんなさい。

 

 刹那って言葉の意味を実感するほど早く、オレはオレを知る全ての人に謝る。


 そして目の前に、荒れ狂う海面が物凄い速さで近づいて来た。

 否。

 落ちてるんだから、向かってるのはオレの方。

 結構な高さからのダイブだから、海面の硬さは相当な物だろう。


 どうかできるだけ、痛みを感じることなく死ねたら良いな。


 最後にそんなことを呑気に思いながら、オレの意識は消えていく。


 右手に──────よっちゃんの手首を掴んだまま。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


『そこより先の記憶は、姫の防衛本能により閲覧が制限されています』


「え? だれ?」


 頭の中で、どこか聞き覚えのある声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る