第2話 覚醒→《アウェイクン》②


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【データ移行率……20パーセント。終了予定は265時間46分後】


 ぐあっ……、まただよ。

 この無機質で無感情な女の人の声が頭の中で響くたびに、鋭い頭痛がやってくる。


 最初の一回に比べたらそこまで痛くは無いが、定期的に1分弱も頭が痛むのはやっぱり嫌だ。

 多分、もう一週間ぐらい?


 薄らとした視界に映る、メイド服を来て二足歩行をする綺麗な黒猫が、何やら朝の挨拶っぽい事を言いに訪れるのがもう七回目だから、たぶん合ってる……はず。


 そう、二足歩行の──────猫だ。

 なんだろうか。なんで猫が当たり前の様にとことこ二足で歩いてて、しかも感情豊かに言葉なんて話しているんだろうか。


 一番初めに見た時はとても驚いたし、混乱もしたけれど。

 その愛らしい姿に敵意なんか全然感じなくて、次第に気にならなくなってきた。

 て言うか、気にするほどオレに余裕が無いって言うのが正しい。


 だって、動けないんだもん。


 首どころか指一本動かすのに苦労するのだ。

 眼球運動だけでびっくりするほど体力を消耗するし、すぐにまた眠気が襲ってくる。

 ただこの眠気にはちょっと助けられている。


 だって、動けないまま一週間も暇してたら、頭おかしくなっちゃうよ……。

 

 この一週間で、オレの体や周囲の状況に少しづつ色んな変化が起こる様になっていた。


 その一つが、言葉だ。


 段々と今まで意味を捉えることのできなかった彼女……でいいのかな。多分メスであろう黒猫が話しかける言葉がわかる様になってきている。


 簡単な単語だけ、部分部分のみだけど。


『おはよう──────今日は──────外──────晴れ──────』


 みたいな感じ。

 それと同時に正面に見える液晶モニターの文字も、一日事に読める文字が増えてきている。


 我ながらちょっと気持ち悪い。


 おっと、どうやら朝が来たみたいだ。


 この目覚まし時計の様なベルが断続的になり始めると、オレの一日が始まる。


 いつもならその音で緩く目覚めるオレだけど、今日はベルより早く起きていた。


 ベルの音が途切れると、やがて白衣を着た眼鏡姿の三毛猫が、寝ぼけながらフラフラとオレが浮遊しているガラス管の前までやってきて、バインダー片手に何やら書き記しながらオレを観察していく。


「うん。経過は良好にゃ。知識データの移行も滞りなく進んでいる様だし、遅延も見当たらにゃい。純エーテルの循環も問題にゃし。今日も姫は元気にゃあ」


 クイっとズレ落ちてきた眼鏡を、器用に握ったペンの様な物のノック部分で持ち上げて、眼鏡白衣の三毛猫は眠そうに大あくびをする。


 ひめ、と言うのはどうやらオレのことらしい。


 まだ言葉の全てを理解しているわけじゃないからその意味までは掴めていないが、どうやらこの三毛猫はこの真っ暗な部屋に住み着いていて、一日中何やら作業をしている様だ。


 三毛猫がオレには見えない角度に移動していった後しばらくして、今度は左目の大きなブチが目立つ白猫がこの部屋にやってくる。


「二号、起きてるにゃ? 循環器の定期整備に来たにゃあ」


 自分の体より大きな──────多分レンチ、かな?

 工具だと思われるソレをその撫で肩に担いで、白猫はせかせかとオレの前を早足で通りすぎていく。

 剣呑とした目つきはどこか怒っている様にも見えて、ちょっと気難しいそうに感じる。

 


「1号、僕は起きてるにゃ。今日はバルブとパイプを見て欲しいにゃ。異常ってほどではにゃいけれど、ちょっと異音がする気がするにゃ」


「にゃあ、きっと高濃度の純エーテルを高速で回してるせいで変質しかかってるにゃ。スペアの錬成してくるから、昼までには交換しておくにゃ」


「了解にゃ。ついでに魔導炉の設定変更、あとでまとめておくにゃ」


「また設定を変えるのにゃ? あんまりいじくると部品の劣化が早くにゃっちゃうにゃあ?」


「姫の完全な覚醒には必要にゃことにゃ。技師タイプの腕の見せ所にゃあ?」


「うーん……まぁ、俺っちにゃら余裕にゃんだが、それでもあんまり魔導炉に無理をさせるのは、技師としてあんまり良い気がしにゃいにゃあ」


 と、眼鏡三毛猫とブチ白猫は毎朝何かを話し合う。

 長い日もあれば、短い日もあるから会話の内容を推理しようにも情報が全くない。

 声を荒げて喧嘩っぽい言い合いをする時もあるから、オレはガラス管の中で注意深く聞き耳を立てている。


 やがて会話が終わると、レンチを担いだブチ白猫はオレの浮いているガラス菅の前まで来る。

 それは今日も。


「……姫、俺っち頑張るにゃあ。早く会えると良いにゃあ」


 毎朝短い言葉だけぼそりと呟いて、ブチ白猫はまたせかせかと早足でこの部屋から出て行いく。


 とても小さい言葉だけど、その声色はとても穏やかで優しい様に聞こえる。


 次に来るのは、メイド服を来た黒猫さんだ。


 嬉しそうに楽しそうに歩を弾ませて、鼻歌まじりに部屋に入ってくるからすぐに気づく。


「姫。おはようにゃあ! 今日のお外はあいにくの大雨にゃけど、この叡智の部屋ラボラトリの中庭は主様マスター──────お父様のお造りになられた擬似太陽のおかげで毎日ポカポカにゃ! お洗濯物もよく乾くし、気流の術式のおかげで空気は常に新鮮にゃあ。残念にゃのは、せっかくのお洗濯もオスどもの汗臭くてきったにゃいものしか洗う物がにゃいことにゃ! 早く姫の色んなお洋服を洗濯したいにゃあ」


 吊り目の目尻をやんわり持ち上げて、黒猫メイドは抑揚のある明るい声でオレに話しかけてくる。


 光沢すら感じる毛並みの良さは、気品たっぷり。

 長いスカート丈をひらひらと翻し、大袈裟な身振り手振りで話しかけてくるその姿はとても愛らしい。


「今日は良い物を持ってきたにゃあ。じゃーん」


 黒猫メイドはなんだかとても嬉しそうに、そして楽しそうに笑うと、どこから取り出したか分からないが大きくて分厚い本を取り出して、その表紙をオレに見やすい様に持ち上げた。


 まるで幼稚園児の様に小さいその身体をめいっぱい伸ばして、腕をプルプルさせながら本を見せびらかす。


「書庫から何冊か見繕ってきたにゃ。本を読むのは良いことにゃ。主様マスターはとっても書物が好きな方だったから、きっと姫も気に入るにゃ」


「3号、まだ姫には難しいと思うにゃあ。知識データが完全に移行されてにゃいから、読めない文字がたくさんあるにゃ」


 横からスッと、眼鏡白衣の三毛猫が現れて何かを咎めている。

 呆れた様に目を細めて、またズレ落ちてきた眼鏡をクイっと持ち上げた。


「私が読み聞かせてあげれば良いだけの話にゃ」


「言葉の理解度も足りてにゃいにゃ」


「それでも、意味はあるにゃ。ほら、姫も興味深々にゃ!」


「3号の動きに反応して注視してるだけにゃ」


「あーもー! うっさいにゃあ! 昔から子供には物語を読み聞かせるのが大人のお仕事にゃ! そうやって良い子に育つにゃ! これだからオスはダメにゃ!」


「ぼ、僕はただ事実を言ってるだけにゃ」


 この二匹は、いつもすぐに喧嘩をはじめてしまうみたいだ。

 声を荒げるのは黒猫メイドのほうで、白衣眼鏡の三毛猫は何やら言い負かされてしょんぼりとぼとぼとその撫で肩を落として消えていく。


 仲、悪いのかなぁ。


「姫はどんなお話が好きにゃあ? やっぱり女の子だから、恋物語にゃ? ここは定番の騎士とお姫様の許されぬ悲恋とか──────うーん、ちょっと過激すぎるにゃ。姫にはまだ早いかにゃあ。んじゃあ、盗賊に拐われた聖女様を助ける幼なじみの村人の話にゃんかどうにゃ? ちょっと難しいかにゃ? あ、でもこれ結構物騒なお話にゃ。やめとくにゃあ」


 次々と、全く何も無い空間から本を取り出す黒猫メイド。


 出るわ出るわ。もう少しでその小さい姿が埋れて見えなくなる寸前だ。


「あ、そうにゃ。これが良いにゃあ?」


 最後に取り出した、なんだかとっても分厚くて豪華な装丁の本を広げて、黒猫メイドはニッコリと笑った。


主様マスターの生涯をおもしろおかしく脚色した寓話集にゃ。勝手に編纂されてるから事実と異なるところも多いけど、全体としては事実にゃし問題にゃいにゃあ。間違ってるところは私がその都度訂正すればいいにゃし。うん、やっぱりお父上の偉業はしっかり知っておくべきにゃ」


 パラパラとページをめくりながら、彼女はぶつぶつと何かを呟く。

 

『あるじ──────ちがう──────すごいこと──────まちがい──────なおす──────ぜんぶ、ほんとう──────おとうさん──────』


 オレが理解できたのはそんぐらいの単語で、あとはなんだか難しい言葉だった。


「姫が言葉を理解できるまで、何度も読んであげるにゃあ」


 ふんすふんすと鼻息を荒くして、黒猫メイドさんはまた何も無い空間から大きな椅子を取り出して、軽やかに飛び乗って座り膝の上に本を乗せる。

 うん、どうやら彼女はこの本をオレに読んでくれるみたいだ。

 数々のジェスチャーからそれを読み取ったオレは、彼女の顔をまっすぐ見据える。


「にゃはっ、姫はやっぱり興味深々にゃ? よーし、んじゃあ読むにゃあ?」


 一度オレに優しく微笑んで、黒猫メイドは本へと視線を落とした。


「──────『偉大なる大魔導師にして賢者、ゼパルの生涯』。著者はエゼキル・マークハウンド2世……たしかどっかの宮廷魔導師だったにゃ。勝手に主様マスターの弟子を名乗ってた人たちの一人にゃあ?」


「滅亡したアーリアの筆頭魔導師にゃ。主様マスターには全然及ばなかったけど、それなりに名声と実力のあった人物にゃ」


「いちいち口を挟まないで欲しいにゃ二号! 黙って作業してるにゃ! 姫が混乱するにゃ!」


「……教えてあげただけだにゃあ」


 オレの視界の外から聞こえてきた、多分白衣眼鏡の三毛猫の声に怒声を返す黒猫メイド。


 やっぱり仲、悪いの?


「ふんす! 2号はいちいち理屈っぽくて嫌にゃ! もう! じゃあ姫、仕切り直して始めるにゃあ?」


 姿勢を直しながら、黒猫メイドはもう一度本とオレを交互に見て、大きく深呼吸をする。

 そして、静かな口調で本を読み始めた。




「『ゼパル師がどこで生まれて、どこから来たのかは誰にも分からない。師が最初にこの七大陸の歴史に姿を現したのは、皇帝暦12年。かの悪逆皇帝が全ての大陸を支配していた時代にまで遡る』──────」


 機械音と、ガラス管に満たされた液体。そして足元から湧き立つ気泡の音に包まれながら、オレは彼女が話す物語を少しでも理解しようと、深く深く集中した。


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