追憶:姫崎優季②

「今日はちょっと・・・出かけてきてもいい?」


朝食の席で、母と祖母の二人に向かって私は勇気を振り絞って切り出した。

私の顔は今どんな色をしているか、見なくても分かる。夕陽のせいと誤魔化すにはまだ半日近く早い。


「「・・・・・」」

私の言う事が予想外だったのか、二人は無言のまま固まってしまった。やがて同時に動き出して顔を見合わせ、目だけで会話を交わす。

私の感覚でかなり長かった数十秒を経て、母が口を開いた。


「出かけるってどこに?」

「えっと・・・・、ぁ、か、川!」

それだけで全て察してしまったらしい。二人は苦笑を零す。

「いいよ。一人で大丈夫?」

「うん!」

何も言わず送り出してくれた母に、私は力強く頷いた。


昨日の子供たちは帰り際、「明日は川へ行こう」と言っていた。

だからもし、

まぁ、万が一そうなったら、その時は一緒に遊んであげる事も吝かではないと思っている。本当に仕方ないけど。


気持ち急いで朝食を片付けた私は、早速部屋に戻って準備を始めた。

普段滅多に履かないスカートを履いて、精一杯のお洒落をして、お気に入りの鞄に文庫本と、会話のキッカケになればいいと思って用意した片手サイズの星座の図鑑を入れる。

彼らがいつ来るか分からないので私はすぐにでも出かけようとした。しかし玄関を一歩踏み出したところで、一度思い止まり引き返す。

荷物の中からつばの広い麦わら帽子を取り出し、髪が見えないようにすっぽりと目深に被った。


昨日の彼らの進行方向。歩いて行ける距離。川。

情報としては頼りなさすぎるとも思ったけど、幸いにも目的と思しき河原はすぐに見つかった。

ここに来る途中も近くに川があったのを見ている。川沿いを上流へ辿れば、半人工的に整えられた河原と、そこに下りるための階段を発見した。多分ここに違いない。もし違っていたら今度は下流にでも遊べる場所が無いか探して、明日以降待てばいい。

今の私ならそれくらいちっとも苦にならない。

まずは河原に下りて、木陰を探してハンカチを敷いて腰を下ろし、持ってきた本を読んで待ち人が来るのを待った。


そして。



「いっちばぁーーーーん!」


人気の無い河原に、よく通る少年の声が響いた。

私は何時の間にかうたた寝してしまっていたらしい。木陰にいたはずだったのに、太陽が傾き影が短くなっていた。剥き出しだった足が日に焼けて熱を持っている。今晩お風呂に入ったときツライかもしれない。


「とぅっ」


私の意識が覚醒するまでの十数秒の間に、声の主の少年が勢いよく階段を駆け下りて来て、最後の数段はジャンプして飛び越した。


「あれ?」


河原まで下りて来た少年の、まん丸い両目が私を真っすぐに捕らえる。


「誰だお前?」


キョトンとした顔で少年が訪ねる。

私はと言えば、待ち望んだ機会のハズなのに言葉が出ない。

頭が真っ白になって、昨日の夜から布団の中で何度も練習したあいさつは綺麗さっぱり消え失せてしまった。


(あぁ、また失敗してしまった・・・)


口元は今もエサを求める鯉みたいにパクパクと開いたり閉じたりを繰り返す。

けれど動くばかりで、意味を成す音は一つも出ない。


その反面、頭の中は妙に冷静で、ここからどう離れようか、残りの夏休みどう過ごそうかなどとすでに今後の予定を考え始めている。


やがて何も答えない私に業を煮やしたのか、足元の砂利を踏み鳴らして少年が一歩、距離を詰める。


そういえば、昨日は気持ちが高ぶってしまって、振り返ると自分に都合の良い想像しか浮かんでいなかった。

その想像が違っていたから、今私はこうして地元を離れてここで杜撰な計画を遂行しているというのに。

実際のところ、目の前の少年は余所者の私を見て何を思うだろう?


(無視したり笑われたりするくらいならまだいいけど・・・)


乱暴な性格で、いきなり叩いたり、石を投げられたりはしないだろうか。


今更になって嫌な想像が頭を過り、不安が胸を占める。


少年がまた一歩近づく。

足元で鳴ったガチャリという砂利が擦れる音に反応して、ビクっと肩が跳ねた。


いよいよ手を伸ばせば触れる距離まで近づいたところで、少年の右手がゆっくり持ち上がるのをただ黙って目で追いかけた。

物理的な衝撃を予期して、全身がギュッと強張る。

この頃にはとっくに私の内情は期待と不安の比率が逆転していた。


けれど。


持ち上げ突き出された右手は、予想に反し私の眼前で留まった。


「おれ、遠藤夏生」


少年は邪気の無い顔で笑った。


「ヒマなら一緒に遊ぼーぜ!」



こうして私は。


遠回りしつつも、




彼、遠藤夏生との出会いを果たした。

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