交錯

翌朝。スマホを確認すると、一件のメッセージを受信していた。

差出人はりっちゃんだ。


『ちょっと勉強を見てもらえませんか?』


い、い、よー、と特に何も考えず二つ返事で返そうとした所で、ユウがいた事を思い出す。本当はそこまでユウに対して優先順位を高く設定することもない気はするが、雰囲気に流されてちょっと格好つけて約束してしまった手前、ないがしろににするのも気が引けてしまう。

なので一応お伺いをたてておこうと、庭でノラ猫を手懐けようとしているユウに声をかけた。

「なぁ、今日ちょっと用事が出来そうなんだけどいいか?」

「別にいいんじゃなーい?」

こっちに目も向けず、あっさり承諾。そして猫は声に驚いたのか逃げ出してしまった。あぁっ、と悲嘆の声も聞こえた気がしたけど気にしない。

りっちゃんに了承の返事を送って朝食に向かった。


いくらか涼しい午前の内に待ち合わせ、バスに乗って図書館まで行くことになった。

「別に学校でも良かったんじゃない」

「いえ、図書館の方が涼しいですし、学校だと邪魔もn・・・こほん。えー、静かですし、落ち着いて勉強できそうなので」

「ま、それもそうだね」

何か明らかに違う理由も仄めかされていた気もするけど、その疑問は何だか凄みのある笑顔で黙殺されてしまった。大丈夫、僕は空気の読める人間だ。多分。

窓の外を眺めると、ちょうど川の上の橋を渡るところで、例の遊泳禁止の看板が目に映った。


「はぁー・・・涼しい」

「そうですねぇ」

まだ午前中とはいえ、それでも夏の日差しは優しくない。バスに乗って、図書館前の停留所で降りる。ろくに日の下を歩いていないにも関わらず、すでに肌は若干汗ばんでいた。図書館に足を踏み入れた瞬間その汗が冷房で冷やされぐんぐんと熱と奪っていく。すごく快適だけど、反動でまた外に出た時のことを思うと憂鬱になる。

ちなみに。ユウはどうしているかといえば、

「わたしここのおうちのこになる~・・・」

「おい」

一人でいるのが退屈なのか、一緒に付いてきている。しかしどうにも暑いのが得意ではないのか、熱にやられてぐでっとしている。道中も口数が少なく、力なく背を丸めて背後を着いてまわる姿は宛ら本物の死霊のようだった。いや本物だけど。

「迷子になるなよー」

そのままフラフラと、風に流されるように本棚の影へと吸い込まれているユウの背中に小さな声で注意しておく。聞こえているかは定かではないが。

「じゃあ、あっちの席にいこうか」

「はい」

冷房の風が直接当たらない端の方の席を確保し、二人で肩を並べる。

「わからないことがあったら適当に声かけて」

「ありがとうございます」

そんな風に先輩ぶって余裕の態度をとってみせたけど、りっちゃんの広げている参考書や問題集を横目で盗み見ると笑顔が凍った。むしろ崩さなかった自分を褒めてやりたい。

「りっちゃん、志望校どこだっけ」

「N高です」

てっきり近所の、偏差値そこそこの高校に進学するのかと思いきや、僕の今住んでいる街にある進学校の方だった。引いていた汗がまた背中を伝った。

「へぇー、ナルホドネー、ガンバッテネ」

「はいっ」

・・・僕、今日一緒に来た意味あるかな?

質問されても答えられるだろうかという不安を抱きつつ、今日せっかくなので自分用にもと勉強道具を持参しなくてよかったことにこっそり胸を撫で下ろす。もし見栄を張ってそんな勤勉な態度を取ろうとしたら逆に僕の底が知られてしまうところだった。

「僕もちょっと調べたいことがあるから本を探してくるよ」

「わかりました」

教える時以外は適当にスマホゲームでもして時間を潰すつもりだったけど、その前に一度席を離れて作戦を立て直すことにした。

敗走? いいえ、戦略的撤退です。

適当に逃げ込んだ通路を、本の背表紙を眺めながら歩いていく。何の気無しに向かった場所だったが、そこに並ぶ一冊の本を見て足を止める。

「懐かしいな」

それは星座に関する本だった。

連鎖して、過去の記憶がフラッシュバックする。曖昧な記憶ではあるけど、あの時『約束』した女の子が読んでいたのも、確かこの本だった。

その本を本棚から抜き出し、一度席へ戻る。

ページを捲る度に、色褪せつつある記憶が若干の鮮明さを取り戻す。


彼女にとってはもうとっくに過去の思い出であり、気にも留めないことかもしれない。いつまでも女々しく覚えている僕の自己満足になる可能性がずっと高い。


それでも、やっぱり『お守り』を失くしてしまった事を謝りたい。

そしてずっと抱いていた気持ちを告げ、結果がどうであろうと過去に区切りを付けるべきだと思った。


とはいえ、本当に残念な事に僕は当時の事をあまり覚えていなかった。

思い出そのものは美化されてとても大事に抱え込んでいるくせに、肝心の彼女の名前なんかは記憶していないという始末。

むしろ他人にこの事を話したら多分、妄想を疑われるレベル。


とりあえずは彼女が実在することと、その他何某かの情報が無いか、まずは身近な人から情報収集を始めよう。

「ねぇ、りっちゃん」

「なんですか」

呼ばれて、一定のリズムでカリカリと鳴っていたペンの音が止まる。

「えーと、10年くらい前、僕が確か小学校低学年くらいだった頃のことなんだけどさ。一緒の遊んでた他所から来てた女の子の事覚えてない?」

「女の子、ですか・・・」

あれれ? 何だか急にりっちゃんの雰囲気が変わった気がするぞ?

瞳からハイライトが消えている。

まぁそんなことより今は彼女の事だ。思い出しやすいように、僕は必死で覚えている限りの情報を挙げていく。

「歳は僕と同じくらい。どっちかというと大人しめで、木陰で本読んでるタイプ。あと髪は肩にかかるぐらいの長さで、綺麗な栗色の髪してたなぁ」

話しているうちに、記憶はさらに鮮明になっていく。

そうだった。当時幼い僕らの中では当然髪を染めている子供もおらず、地毛だという彼女の髪の色はとても目立ち、僕もそれに憧れ、よく褒めていた。すると彼女も、照れながら「ありがとう」と控えめに微笑み返してくれた。

「あーはい、思い出しました覚えてますえぇいましたねあの頃いつもいつも夏生さんの隣にべったりで全然はなれようとしなくて私と目が合うともとからきつめの目をさらに険しくして生意気も睨み返してきてそのうえ●●●●●●放送禁止用語●●●●自主規制してやっても△△△△ピー□□□□□ポーで・・・・・・」

「ちょっとちょっとちょっとりっちゃんさんっ⁉」

え、ヤダ何急に怖いんですけどこの子。

何がスイッチになったのかいきなり黒いオーラ全開で不機嫌さを隠そうともせずぶつぶつと喋りだした。うまく聞き取れないけど、もしかしてりっちゃんは彼女とあまり仲良くなかったのだろうか。二人とも文学少女みたいな雰囲気で話は合いそうだと思ったのに。

「でも、あの子は・・・」

僕はおろおろと狼狽えるばかりで、どうやってりっちゃんの機嫌に直してもらおうかと必死でない頭を巡らせていたら、なぜか急に物憂げな顔になり黒いオーラも引っ込んだ。

「夏生さん」

「はい」

改めて姿勢を正して、まっすぐと向き合い名前を呼ばれた。つられて僕も背筋を伸ばす。

「その女の子の事なんですが」


そうして僕は、あっさりと求めていた彼女の情報を手に入れた。

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