帰省②
「はぁっ、はぁっ、はぁ、ぁーーー・・・っ」
時刻は夕暮れ。日中遊び倒したプールに、今は僕1人が立っている。
じんわり熱を持って痛む膝に手を当てながら、荒くなった息を整える。先刻までたくさんの小学生がはしゃぎ激しく波打っていた水面も、人のいなくなった今は穏やかに凪いで夕日を静かに照り返していた。
プールからの帰り道、僕は道路に黒いシミをつくりながら歩いていた。時折吹く風が濡れた肌から熱を奪っていくのが心地良い。
もともとプールに入るつもりもなくて何も準備してこなかった僕だが、ただ黙って座っているのも流石にツラかったので、プールサイドに座って足だけ浸けて涼をとっていた。その最中にスマホを弄って(カモフラージュ。見る専のアカウントで流し見してただけ)いたのが失敗だった。洸太から不意打ちにタックルを喰らいプールに落ちてしまった。咄嗟に手から零れ落ちたスマホが落水しなかったことだけが唯一の救い。(画面は酷い有様だったが。)財布は硬貨とポイントカードしか入っていなかったので乾かして事なきを得た。
結局一度ずぶ濡れになってしまってからは開き直り小学生に混じって遊びまくった。向かってくる小学生男子をちぎっては投げちぎっては投げしまくる。後半で徒党を組んだ男子たちには流石に対抗仕切れず突き飛ばされ、挙句小学生用の浅いプールだったせいでプールの底で強めに頭を打って意識が飛んだ。(目覚めるのがあと数秒遅かったら大事なファーストキスは大ちゃんに奪はれていた。そして後からりっちゃんが激怒した。怒られていたのは何故か子供たちではなく大ちゃんだった。何故に。)
ともあれ。結局お目付け役のハズが時間を忘れて午後一杯遊び倒してしまい、流石に暗くなる前には子供たちを送り届けねばと急いで帰路についた。しかしその途中で、ポケットに入れていたハズのお守りが無くなっていた事に気付く。どう考えても心当たりは一つしかない。りっちゃんに後のことを頼みプールまで全力でトンボ返りした。
いちいち許可を取りに行くのももどかしく、ガシャガシャと音をたててフェンスをよじ登った。完全に不法侵入だけど、謝ってどうにかなるだろうか。
顔を上げてチラリと校舎の方を見る。職員室の明かりはついているようだ。大ちゃんはまだ残っているだろうか。一応他にも顔馴染みの先生は何人かいるし、頼めばもしかしたら協力はしてくれるかもしれないが、今は呼びに行く時間も惜しい。もうすぐ陽も落ちる。暗くなってしまえば捜索も困難になる。
「せっかく服も乾いてきたのに・・・」
スマホと財布をポケットから出し飛び込み台の上に置く。大きく息を吸って潔くプールに飛び込んだ。
水中で目を開けるくらいなら別に出来ないことではないけど、だからと言って水中をクリアに見通せるわけでは勿論ない。ゴーグル無しではぼんやりとした色や輪郭が分かる程度だ。探しているお守りの大きさは3センチ程度しかない。目視で見つけ出す自信はなかった。本当は上から見渡せば楽だったけど、今は夕日の反射が邪魔で上手く水底が見通せなかった。
底に手を着いて撫でるように動かす。あまり勢い良く手を動かすと、もし近くに落ちていたとしても押し流してしまうかもしれない。まずは水の流れの先、一番可能性の高い排水溝周辺から探し始める。触って確かめた感じ、排水溝の穴の大きさは指は通らないけど細長い。角度によっては落ちてしまうかもしれない微妙な大きさだけど、はっきりとは分からない。
いっその事、もう少し穴が広ければ落ちたと思って諦めも着くのに・・・
苦しくなってきたら顔を上げ、また息を吸って底に這い蹲る作業をひたすら繰り返す。落ちていた小石か何かが指先を掠める。ふやけた皮膚は簡単に裂けた。
いつのまにか陽は完全に落ち、空はあんなに眩しかった橙の色が抜け、白から藍のグラデーションへと変化している。水面には太陽ではなく、疎らに散った星々と上弦の月が揺らめいていた。
「あーー・・・・・・・」
流石に全身を襲う疲労や冷えが無視出来なくなってきた。目を閉じて、全身の力を抜く。重力にその身を任せ後ろ向きに倒れる。水柱を立てて体が沈みこんだ後もそのまま全身の力を抜いて自然と浮かび上がるに体をまかせる。人間の体というのは大人しくしていれば自然と浮くようにできているらしい。溺れている時はとにかく何もしない方がいいとどこかで聞いた気もする。同時に今にも溺れそうな人間が冷静に大人しくとか無理だろ、と突っ込んだ気もする。仰向けに浮かびながら星を眺める。なんとなしに知ってる星座を結んでみるが学校で習う星座程度の知識しか持たない僕ではすぐに終わってしまった。
「そーいえば、髪の毛座なんてのもあったような・・・」
そして何故か髪の毛座が3つの星で構成されているのに、こいぬ座が星2つという理不尽さに憤ったところまで思い出した。まぁ実際にはもっと細かい星がたくさんあったハズだけど。
ぼんやりとした頭で水面をただよっていると、どうでもいい記憶がぽつぽつと浮かび上がってくる。
「この話、誰に教えてもらったんだっけ」
―――・・・溺れたら、慌てないで・・・―――
―――これはね、髪の毛座っていうんだって―――
目を閉じて記憶を想起する。声が聞こえる。本で読んだ情報じゃなくて、誰かに教えてもらった話だ。靄のかかったような記憶に目を凝らす。目線が近い。子供?
もっと深く、
集中しようと無意識に深呼吸し、息を吐き出した瞬間身体が少し沈んだ。その瞬間に口や鼻から一気に水を吸い込んで現実に回帰する。
「ぶへぇ、ぼふぉっ、ごふぁ、ぶっ、おぇっ」
慌てて手足を振り回す。踵を強かにぶつけた。
「いやー、やっぱ冷静にとか無理だわ」
足のつく深さのプールで助かった。溺れたときの対処法が現実的ではないというのを身をもって実感する。
「なにしてるの?」
誰もいないはずのプールサイドから、声が聞こえた。
驚いて声のした方を振り返る。飛び込み台に手をついてこちらをのぞき込む少女がいた。
丸い肩を惜しげもなく晒した真っ白なワンピースに、透き通るように色白な肌。肩口で切り揃えられた亜麻色の髪が、風に遊ばれてふわりと広がった。少し垂れた目は優しげで、まっすぐにこっちを見つめている。僕も真正面から少女の顔を見る。まだどこかあどけなさを残しつつも、とても整った顔立ちをしていた。
思わず見惚れて言葉につまる。
目は合っているのにいつまでも返事のない僕をいぶかしんだのか、少女が軽く首を傾げる。頭部の動きに合わせてさらさらと揺れる髪の毛が、月の光を浴びてまるで自ら光を放っているようだった。
・・・こんな子、この村にいただろうか。
職務を放棄した口と喉とは裏腹に、思考は少しずつ冷静さを取り戻し考え始める。
同年代(恐らく)でこれだけ整った容姿であれば、多分一度会っていればかなり印象に残っていると思う。多分誰かの親類で、僕みたいに時々遊びに来る程度なのだろう。やっぱり初対面だったと結論付ける。
ともあれ、出会い頭からみっともない姿を晒してしまってはいるけど、せっかくこんなに可愛い女の子と知り合う機会が出来たのだから、少しでも第一印象を良い方に修正していきたいという打算も湧いてくる。自分より年齢が上か下かも定かではないのでどういうスタンスで接していけばいいかも決めかねているけど、とりあえず初対面なのだから最初は丁寧な言葉づかいで紳士的にいこうと考える。
まずは当り障りのないような挨拶から、
―――ハジメマシテ―――
喉まで出かかった言葉が、口を開いて形になる直前に塞き止めて押し潰した。
何もおかしなところは無いハズなのに、何故か決定的に間違っているという予感がした。その予感は小石を投げ入れた水面の様に心に大きな波紋を広げていく。そして投げた小石が水底の砂を舞い上げるように、僕が積み重ねた時間という澱を散らしてその下に眠る何かを晒そうとする。イメージした水中で手を掻き回し巻き上がった澱を払おうとするが、もがけばもがく程に視界はさらに濁っていく。
舞い上がっていた澱は静かに沈み、奥底に沈んだ記憶を再び覆い隠してしまう。
予感を確信に変える根拠に至る前に、疑問はそのまま口から零れ落ちた。
「君は、・・・誰だ」
それを聞いた瞬間、少女の顔がくしゃりと歪んだ。
根拠の無い直観に従って言葉を彷徨わせたものの、正誤を判断する材料もなく、最終的に僕の選んだ選択も、少女の望んだものでないことだけは解った。
その時少女が何を思ったかは分からないけど、少なくともその表情をさせた原因の一端が僕だったのだと思うと、少し胸が痛んだ。
そして彼女の次の言葉もまた、僕の疑問を解消してくれる言葉ではなかった。
「君は、私が視えるんだね?」
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