帰省①
「夏生、そろそろ行こう」
「うん。わかった」
顔の前で合わせていた手を下ろし、伏せていた瞼を静かに開く。視線を少し上向ければ、途端に目を焼く程の日差しに再び目を閉じたくなる。
「また来るよ。じいちゃん」
最後もう一度声をかけ、今も静かに佇む無機質な黒い石柱に背を向けた。
僕は今、去年他界した祖父の墓参りに来ていた。
「あ、夏生にーちゃんだ」
寺で借りた桶と柄杓を片付けていると、背後からまだ変声期前の少し高めの元気な声で自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
声の主は近所に住んでいる小学生の男の子だった。
「おー、洸太、久しぶり。またちょっと背ぇ伸びたか?」
僕はこの村の住人ではないが、ここは母の実家で盆・正月などはちょくちょく里帰りで一緒にきている。あまり大きくもない村なので、住人もほとんどが顔見知り。人口は少ない分仲も良く、子供同士も小学生から高校生くらいまで歳の差関係なく一緒に遊ぶことも珍しくない程だった。もっとも、一緒に遊ぶというよりは年長者が面倒を見ているという方が正確だったが。
洸太がすぐさま僕の手をとり遊びに行こうと引っ張る。
今年で高校3年となった僕は、今度は自分が彼らの面倒を見る番だなと思い、少し面映い気分になった。
「夏生にーちゃん、後で一緒にプール行こうよ」
洸太が僕の手をとったまま飛び跳ねながら提案する。
「プールかぁ」
まぁどうせ、特に予定も無ければ見るものも無い村だ。とくに迷う事無く承諾する。
「いいよ。とりあえず、お昼食べたらな」
適当に集合時間を告げ、洸太と一度別れた。
この三日で4度目の素麺をまるで作業のように胃袋に流し込む。この時期お中元によく素麺を貰って食事のレパートリーが著しく偏るのも慣れたものだ。人とは慣れる生き物である。軽い食休みのあと出かける準備をする。旅行用の荷物の中からスマホと財布を取り出してポケットにいれた。
「あとは、・・・と」
いつもココに来るときは持ち歩く様にしている『お守り』を手に取る。
「我ながら女々しいよなぁ」
独りぼやいて、自虐的に笑う。ため息とともにポケットにお守りを突っ込んだ。
高校生にもなって、僕はいつまでこんな事を続ける気なのか。
ちなみに「プール」とは言っても、僕らが言うのは市営のプールなんかではなく、夏休み中で開放されている小学校のプールのことである。市営のプールもあるにはあるが、少し距離が遠く、親に車を出してもらうかバスを利用しなければならない。そして大人は大体親戚連中と集まり昼間から酒を呷っているので頼めない。バスはといえば一時間に一本程度しか走っていなかった。
そんなワケで、道中洸太の友達数人も合流しつつ徒歩圏内である小学校のプールへと向かっている。
「あれ、こんな看板前からあったっけ?」
途中にある大きな川を越える際、そこに架かる橋の上から土手を見下ろすと、記憶にないまだそこそこ新しそうな看板を見つけた。大きく「この川で遊んではいけません」と書いてあるのが見える。
「何年か前に、隣町で川で溺れて亡くなった女の子がいたらしくて。それからだんだん危機管理とか色々厳しくなってきたみたいで、ここ数年はうちの村ですら所々立ち入り禁止の場所が増えてきてるんですよ。子供たちが怪我しないように」
すかさず疑問に答えてくれる声があった。
「へぇ、僕も小さい頃はここでも何度か遊んでた記憶あるんだけどな。りっちゃんは覚えてる?」
「私はその・・・ごめんなさい。あんまり」
答えてくれたのはこの中で僕の次に年長で今年中学3年のりっちゃんだった。
「まぁ、りっちゃんインドア派だもんな。仕方ないよ」
見た目もまさに文学少女といった感じで、真っ直ぐな黒髪にメガネをかけていて肌も真っ白い。今も上品に日傘を差している。
別に悪いことなんてないのに申し訳なそうな顔をされ、胸が痛くなる。ちょっと真面目過ぎるきらいがある子なのだ。
「それよりありがとね、チビ共の引率付き合ってもらっちゃって。りっちゃん今年受験生で勉強忙しかったでしょ」
「っ、いえいえそんな、たまに息抜きだって必要ですしっ、適度に体も動かさないと健康にも良くないし、そう、そうですよ健康のため、これも必須事項なんですっ!」
なにやらちぎれそうな勢いで首を振って必死に弁明を繰り広げるりっちゃん。さっきまでとは一転、急に攻めの姿勢でグイグイくる。この子は一体何と戦っているのだろうか。
「その・・・誘ってもらえて嬉しかったですし、夏生さんとは滅多に会えないし・・・」
後半は小声で何を言っているのかよく聞き取れなかったけど、何を言っても結局気を遣わせてしまいそうなのであまり深く突っ込まないことにした。年頃の女の子の扱いはとても難しい。圧倒的に経験値が足りない僕は笑顔で口を噤んだ。
「しゃーっ、泳ぐぞー!」
「準備体操を、しーなーさーいー。あとプールサイドは走っちゃいけません」
「はーい」
「よろしい」
プールに着くなり全力で走りだす洸太の肩を掴んで止めて年長者らしく注意する。この年代はエネルギッシュではあるけど素直だから案外扱いやすくて楽である。他の子供たちも一緒になって準備体操を始めたのを見届けてから、屋根のある小さな日陰スペースに足を向ける。ベンチに寝そべったまま溶けている顔馴染みに声をかけた。
「大ちゃんお疲れ。それと久しぶり」
「おーう、夏生。ご無沙汰」
首だけ起こし、片手を挙げて挨拶を返す。
大ちゃんはこの学校の教師で現在は確か23歳。僕がまだ小さい頃は、今の僕のように大ちゃんに引率されながらよく遊んでもらっていた。まぁ普通なら防犯上問題だが、この小学校の生徒でも卒業生でもない部外者の僕が堂々とここにいるのを御目溢ししてもらってる。
・・・実は袖の下は要求されているんだけど。袖の下を渡しながら(来る途中コンビニで買ったパ○コの片方)ベンチの空いているスペースに腰を下ろし、手元に残した○ピコの片側を自分の口に咥える。セコっ、とか聞こえたけど無視した。
「うん? 夏生は泳がねぇの?」
僕の頭からつま先まで視線を這わせて首を傾げた。折角プールに来ているのに、Tシャツにハーフパンツ姿の僕を見て大ちゃんが疑問を口にする。
「水着用意してこなかったし。あいつらの相手するのも疲れるからさ」
「勿体ねぇなぁ」
まぁ水着に関しては本当は無くても気にはしていないのだけど。このまま私服でプールに飛び込んでも、この気温なら多分帰りの道中歩いているうちに乾くだろう。
本当は別の理由があったけど、あえてそれは言わなかった。
田舎は横の繋がりが本当に強くて、その情報網は案外侮れない。多分大ちゃんも、誰から聞いて知ってはいると思う。僕も本気で隠そうとは思っていないけど、触れないでくれるならその方がありがたい。
「見てみろよ、水着の若い女の子があんなにたくさんいるんだぞ。男としてあそこに飛び込まなくてどうするよ」
微妙な空気にならないようにあえてバカな方に会話の舵をきってくれたので、僕も素直に乗ることにした。
「そーね、あと5~6年くらい先なら僕もそうしたかもね」
まぁ提案までは乗らないが。僕はロリコンのつもりはない。
もう一度言うがここは市営のプールなどではなく、小学校のプールである。僕のような例外もいるけど、眼前できゃっきゃうふふと水と戯れている女の子達は見事にスレンダーなボデーの在校生ばかりだ。
将来有望そうなのは何人かいるけども。
「いーじゃんか。今のうちに将来の嫁候補にツバつけとけ」
「年離れすぎでしょ」
「ゆーて別に一回りも離れてねーべ。大人になったらそこまで気にならんくなるろ」
「・・・そんなもんかなぁ」
納得いかないフリをしつつも若干揺らいだのは秘密だ。
「ところで」
「うん?」
大ちゃんは一度言葉を区切って、寝そべっていた体勢から上半身を起こしてプールサイドをぐるりと見渡す。
「りっちゃん来てねーの?」
「あー・・・」
今更だが、ここにはりっちゃん不在である。
「着いてすぐにさ、ツッチーと会って拉致られた」
「そか・・・御愁傷様に」
ツッチーこと土屋先生は長いことここの小学校に赴任していて結構皆お世話になっているらしい。面倒見が良くて優しく、生徒たちからの人気は高いが、若干押しが強い人だった。
「一応りっちゃん受験生だろ。世間話から流れで勉強見てくれるって話になってそのまま連れてかれた」
分からないことがあったらとか、今度相談にとか、社交辞令的なやりとりのはずが教育熱心なツッチーが相手では押しの弱いりっちゃんではかわし切れなかった。
「そりゃー残念だったな」
「折角勉強の息抜きのつもりで来たのにね」
そう言って2人で笑いあう。
「あぁいや、そっちじゃなくて」
「そっち?」
「俺のみたところ・・・・・・D、ってトコだな」
愚かな男2人は主語を省いた会話でもそれだけで全て察する。
「マジか」
「マジだ」
着やせするタイプだったかぁ。
「成長期って凄いな」
古今東西、男が集まってする話というのは仕事の話か下の話が9割だ。酒が入るとより顕著になる。飲んでないが。
ちなみに女同士の場合は旦那もしくは彼氏の愚痴が9割。めっちゃ怖い。
「嫁候補にどーよ」
「あんないい子、僕には勿体無いよ」
とっても魅力的な提案ではあるけど。
「それに俺がどうだろうと、りっちゃんだって年頃だし好きな子の1人や2人いるだろ。いやむしろもうすでに彼氏とかいても不思議じゃない」
当たり前のことを言ったつもりだったのに、バカを見るような目で見られ、無言で顔を顰められた。
何かおかしなことを口走ったろうかと自分の発言を振り返ったところで、盛大なブーメランに気付いて訂正という名の視得を張った。
「まぁそれにホラ? 僕だって今つきあってる彼女が「ダウト」」おい。
発言の最中に速攻で否定された。合ってるけども。
「せめて最後まで言わせてよ」
「すぐバレる嘘はいらん」
「何を根拠に」
「お前ここに来てから一度もスマホを確認してないから」
彼女はおろか普段連絡を取り合う友達すらいないことが露呈した。
「大ちゃん今スマホは」
「職員室」
ポケットからスマホを出して電話帳を開く。すぐ近くからくぐもった振動音が聞こえた。
そんな感じに肉体言語を含めたコミュニケーションでお互いの近況報告を行い時間は過ぎていった。
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