次女と第二王子と夏休み2

 朝食後、私はノア様との約束通り、普段はシェフが腕を振るう邸宅の立派な調理場を借りてクッキー作りに取り掛かっていた。



「何か手伝えることはあるか」


 冷蔵庫からねかせた生地を取り出していると、調理場に入ってきたノア様が声をかけてきた。


 「この間は手伝えなかったから」


 僅かに眉を下げて続けたノア様に「ちょうど生地ができたので、型抜きを一緒にしてもらえると助かります」と笑顔で返しながら、生地を伸ばす準備をする。


 私のめん棒で生地を伸ばす手元をじっと見つめるノア様をみて、教会で同じようなことがあったなとバザーの時のお菓子作りを思い出した。


 ただ、ノア様に見つめられてもあの時に感じたやりづらさは全くなくて、縮まったその距離に思わず頬が緩んだ。




 生地を伸ばし終わり、ノア様に一つだけ型抜きのお手本を見せて、「どうぞ」とクッキーの型を渡した。



 真剣な表情をしながら、ハート型に生地をくり抜いていくノア様がなんだか可愛く見えて、ふふっと思わず声を出して笑う。


「何かおかしかったか」


 不安そうにこちらを伺う姿にまた笑みを零しつつ、「いいえ、上手です」と返すとほっとしたように、手元に視線を落とした。


 要領をつかんだノア様によって、プレートに次々にハート型の生地が並べられていく。


 私は時々様子を確認しつつ、別で作った紅茶入りの生地を猫型にくり抜いた。



「やはり縁が残ってしまったな」


 ある程度、型をくり抜いた後、ハートで穴あきだらけになった生地を見て、ノア様が不満げに呟いた。


 それを聞いた私は彼の前の生地に手を伸ばして、両手でまとめるように丸める。


「こうして丸めて、また伸ばせば大丈夫ですよ」

「……そうか」



 得意げに言う私に驚いたように小さく声を上げて感動するノア様が子供のようでまた笑ってしまった。


 いつもは見られない彼の色んな姿に頰を緩ませっぱなしの私を見て、「なんだか楽しそうだな」とふっと目を細めたノア様に「はい、楽しいです」と笑顔で返した。





 昼食に、と作ったサンドイッチと焼きあがったクッキーを入れたバスケットを持って、邸宅の近くにある湖に散策に向かっていた。


 使用人の方からぜひ一目見たほうがいいと勧められて、意を決してノア様をお誘いしたのだ。


 普段お忙しいノア様だから邸宅内でゆっくりされたいかとあれこれ前置き多く尋ねたら、「そんなことは気にしなくていい」と困ったように微笑んで承諾してくれた。




 湖まで続く木々に囲まれた道をノア様の少し後ろについて歩く。辺りはひんやりと湿っていて、陽の光はさわさわと静かに揺れる木々に遮られているため、夏の暑さは感じない。


 王都とは違う澄んだ空気にいつもより深く呼吸を繰り返すと、心が安らいでいくのを感じた。


 ふと前を歩くノア様を見上げると、木漏れ日を浴びたノア様の銀色の髪が透けてきらきら輝いている。


 白いシャツに包まれた背中は訓練で鍛え上げられていて、自分とは違うたくましくて広い背中にやっぱり男の人なんだと心がきゅっとなったのを感じた。


 ノア様に見られてないことを良いことにまじまじと観察していると、突然見つめていた背中が止まって、額を軽くぶつけてしまった。


「ノア様?」


 立ち止まったノア様に驚いて、後ろから顔を覗くと、ノア様が「何か聞こえないか?」と静かに言った。


 それを聞いて、私も耳をすませながら辺りに視線を巡らる。



 すると、「にゃあ」と頭上から小さな鳴き声が聞こえて、声が聞こえた方を見上げた。



「ノア様、あそこ」


 目に映った光景に声の元を指差しながら言った。

 ノア様も私の指先を辿って同じように顔を上げて、「猫か…」と呟いた。


 木の枝の上には、まん丸の目をした灰色と白の疎らな柄の猫が小さくまとまって座っていた。


 灰色の小さな耳を落としながら「にゃあ」ともう一度鳴いたその姿は心なしか不安そうである。


「降りられなくなっちゃったのかな」

「そうだな……」


 私は少し考えてから魔力を手に込めて、両手を猫の方に向けた。

 

 その瞬間、ざわっと音を立てて風が舞ってから、猫が少しだけ浮いた。


 「にゃあお」と不安そうに声を上げたのを聞いて、出来るだけ優しく、ゆっくりと自分に言い聞かせて、風を操る。


 腕の中に猫が静かに落ちたのを確認して、力を沈める。

 抱きしめたそのふわふわで暖かい体がほんの少しだけ小刻みに震えていて、「ごめんね、怖かったね」と優しくきゅっと抱きしめてから、地面に膝をつけて手を離すと、トンっと私の腕から猫が地面に降り立った。


「もう登っちゃダメだよ」


 まん丸で可愛い瞳でこちらを見つめる猫の顎の下を指の腹で撫でながら言うと、気持ち良さそうに目を細めて私の手に擦り寄りながら、承諾したように「にゃあ」と鳴いた。


「行くか」


 ノア様が優しく微笑みながら伸ばしてくれた手に支えられながら立ち上がって、また湖に向かって歩き始めた。


 彼に手を引かれたまま、しばらく歩いていると、後ろから土を踏む小さな足音が聞こえた。


「ついてきちゃった…」


 私の呟きにノア様も猫に気がつくと、「お前は本当に子供と動物に好かれるな」と目元を緩ませた。

 それからノア様と私は猫の歩幅に合わせるように少し歩調を緩めた。

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