次女と第二王子と夏休み1

「サヨ」



 不意に私を呼ぶ声を聞いた気がして、ぼんやりとした意識の中で、自分の名前だけを反芻する。


 耳馴染みのあるその声に重い口を僅かに開き「ノア様…」と声にならない声を洩らすと、すぐ隣でふっと笑う声が聞こえた。


 真っ暗だった目の前が少しだけ明るくなったのを感じて、重く垂れた瞼をゆっくり開いた。


 

 私を覗き込むノア様が、私の額に掛かる髪を指先で優しく払いながら「おはよう」と小さく微笑んでいるのが目に映る。

 ノア様だ、と口元が緩むのを感じながら、心の中で呟いた。




 ノア様から視線を外してさまよわせると、見慣れない天井と部屋を明るく照らす窓から差し込んだ光が目に写りその光景を数秒見つめてから、目を見張った。


 目を丸く開いたまま、すぐ隣を見上げて、ベッドに片手をつきながらこちらを覗き込んでいるノア様を確認した。



 その瞬間、自分が置かれている状況を理解して、思わず「きゃあ」と短く声出して、ベッドの中で僅かに後ずさりをした。




 そんな私を見て、ノア様が申し訳なさそうに眉を下げて「悪い、部屋の外で何度も声を掛けたんだが返事が返ってこなかったから…」と呟いた。



 そこで、いつもの朝より強く差し込んだ日差しに、夏休みだからと朝寝坊をしてしまって、ノア様がわざわざ起こしに来てくれたんだと分かった。



 ノア様の優しさに胸打たれつつも、今の状況を思い出して、はっとする。


 私、今どんな格好してる…?と咄嗟に髪に手を持っていくと、いつもストレートに落とした毛先があちこちに散らばっていて、目線を少し下げると昨夜腕を通した白いネグリジェが目に入った。


 このあられもない姿をノア様に見られてしまったんだと、かっと顔に熱がのぼるのを感じて、思わず両手で顔を覆う。



「どうしよう…」


 耳先まで赤くなるのを感じながら、小さく呟くと、ノア様がまた息を漏らして微笑んだのが分かった。


 ノア様の視線から逃れるために自分がとるべき行動を精一杯頭を働かせて考える。


 すると、ノア様がついた手をベッドに強く沈めて、体を傾けてから、顔を覆った私の手の甲にちゅっと音を立てて口付けた。


「今日はクッキーを作ってくれるんだろう」


 手の甲に触れたその感覚にさらに熱くなる私にノア様が優しく声をかけた。


 そう、今日は朝食後にクッキーを作ってほしいとノア様からリクエストを受けていたのだ。


 その言葉にこくりと頷き、声を出さずに肯定すると、ノア様が私の頭を優しくぽんっと叩いてから「ダイニングで待ってる」と言って、ベッドからゆっくり離れ、部屋を後にした。


 指の隙間からノア様が部屋を出て行ったのを確認して、私は恥ずかしさに枕に顔を埋めた。

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