次女と第二王子4

 ある居室の前に立ったフィンさんは「副団長ー!」と大きな声を出しながら強めにドアをノックする。

 「入れ」と中からノア様の声がした。


 ガチャっとフィンさんが両開きの扉を開けると、正面の大きなデスクに座ったノア様が何やら書類に目を通していた。


 制服姿のノア様が視線を下げたまま「なんだ」と言うと、フィンさんが「サヨちゃん連れてきたよー」と少し後ろに立っていた私の肩を持って前に差し出した。


「は?」


 ようやく顔を上げたノア様は私と目が合って、固まった。一瞬沈黙が過ぎったが「な…!」とノア様が珍しく慌てたように声をあげた。


 私はなんとか言い訳をしようと口を開こうとしたが、フィンさんが「ほら、ここに座って」と私の肩を持ったまま、デスクの前のローテーブルを挟んで向かい合わせで置いてあるたソファ席に座らせた。


 フィンさんは「俺、お茶入れてきますね」と、何が何だか分からなくなっている私とおそらく同じ状況のノア様を置いて出ていった。



 ノア様の方を怖くて見られなくて不自然に前だけを見つめていたら、ソファの正面にノア様が座った。


 いつもと同じ無表情で私を見るノア様に矢継ぎ早に謝罪と事の顛末を説明する。


「急に押しかけてごめんなさい…昨日のバザーのお礼をシスターが渡しそびれて、それをお渡ししたかったのですが、マフィンが入っているから早く届けたほうがいいと思って。


宮殿に届けることも考えたんですけど、人伝に渡すのは良くないかなって約束もないのにここまで来てしまって。


あ!建物の中にはフィンさんとたまたま門の前で会って、ご親切に中に入れてもらえて、もちろんノア様がお仕事中なのは重々承知で邪魔はしないつもりだったんです、ごめんなさい……」


 いつもと比べ物にならないくらい饒舌に頭の中を一言一句口にする私。


「あの…ご迷惑でしたよね…」


 顔が火照っているのも感じて、俯きながら穴があったら入りたいとどこから後悔すれば良いのか分からなくなっているとノア様がようやく口を開いた。



「ありがとう」


「……え?」


 咄嗟に顔を上げて、ノア様の顔を確認すると、「こんなところまで悪かったな。知っていたらこちらから出向いたんだが」心なしか目元を緩ませてノア様が続けた。


 「そ、そんな…」と目の前で両手を振りながらも、ノア様の言葉にほっと胸を撫で下ろした。


 「あの、これ…」と持っていた紙袋をノア様に渡す。

 ノア様はもう一度「ありがとう」と受け取りながら口にした。


「今日も教会に行っていたのか?」

「はい、昨日の片付けが少し残っていたので。」

「そうか」


 ノア様がいつもの返事をしてから「今日はもうすぐ終わるから少し待っていてくれないか、家まで送る」と続けた。



 律儀なノア様に顔を緩ませながら「はい」と返事をしたところで、突然「ノアー!」という声と共にバーンと大きな音を立てて扉が開いた。



 その音に驚いて、肩を上げながら入口の方を見ると、亜麻色の髪をした綺麗な女性が入ってきていた。


 その後ろにはティーカップを乗せたトレイを持ったフィンさんが立っている。



 よく分からず目を白黒させていると、その女性は「この子が噂のサヨちゃんね!かわいい!」と私の隣に腰をかけて、私の両手を掴んだ。

 色んなことがありすぎてキャパオーバーの私の思考はショート寸前である。



「エミリア」

「もうそんな怖い顔しないでよ、サヨちゃん怖がっちゃうじゃない!ね?」


 眉を顰めたノア様が咎めるように口すると、エミリアと呼ばれた女性は首を横に傾げながら、私の顔を覗き込んだ。


 「怖がらせているのはどっちだ」とノア様が小さくため息を吐く。


「なぜお前がここにいる」

「だってノアの大切な婚約者が来たって言うじゃない!見にこないほうがおかしくない?」

「仕事中だぞ」

「ノアに言われたくないわよ」


 私から手を離して、ノア様の方に向き直ったエミリアさんとノア様が軽快に受け答えしているのを呆然と見ていると、「これでも飲んでゆっくりされてください」とフィンさんがにこりと笑いながら、紅茶を私の前に置いた。


 紅茶に口をつけながら、ちらりとエミリアさんを盗み見ると、ノア様と同じように制服に身を包んでいるが、女性仕様なのか、はたまたエミリアさん仕様なのか、V字に開けられた襟元からは豊満な胸の谷間が覗いていて、膝上のスカートからはスラリとした足が伸びており、同じ制服とは思えない。


 亜麻色の髪は頭の高い位置でポニーテールされていて、ふわふわとした髪の毛先は腰まで流れていた。



 ノア様が女性と楽しげにお話されているのは初めて見た気がする。

 彼が女性を呼び捨てで呼ぶのも、あからさまに感情を顔に出すのも初めてだ。


 とても心を許しているんだろうとそこまで考えて、胸のあたりがちくりと痛むのを感じた。


 

 なんだかこれ以上この場に居たくなくて、ぐっと紅茶を飲み干して、立ち上がった。


「あの!」


 声を上げると、会話を続けていたノア様とエミリアさんが言葉を切って驚いたようにこちらを見上げた。


「ノア様、私、外で待ってますね!」


 ノア様の反応を待たずに扉に足を向ける。

 扉の前に来たところで振り返り、「フィンさん、エミリアさん、また」とにこりと表情を作ってノア様の執務室を後にした。




 「あれ?なんか勘違いさせちゃった?」とおどけて言うエミリアさんに「勘弁してくれ…」とノア様が頭を抱えていたのは知らなかった。

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