死刑終

エリー.ファー

死刑終

 死刑はもうしないのだそうだ。

 大した理由もないのだろうが。

 とにかく。

 私は死刑を免れた。

 多くの死刑囚は喜んでいた。

 それもそうだろう。

 というわけで。

 死刑以外の方法で罪を償わされることになるわけである。

 さて。

 どんなことが考えられるだろうか。

 例えば、グリズリーと無理矢理戦わされる。これも、中々良い。例えばここに、グリズリーに勝つことができたら死刑も免除するなどということを付け加えれば、死刑囚は逃げるだけではなく戦うという手段も持つことになる。そこを撮影して娯楽映像として使えば中々に儲けられるだろう。

 他に何があるだろう。

 別にエンタメ系の仕事をしてきた訳ではないので、次から次へとアイディアが出てくるわけではないのだが。

 死刑の代わりになるものの本質は、利益だ。

 よりよい利益こそが多くの人を納得させる。それは死刑囚もそうだが当然、死刑囚以外も同じであると言える。

 死刑囚はいるだけで、規律を破るという行為の擬人化として秩序を乱しているとみなされる。つまり、いなくなることで利益が生まれる。いや、正確には存在していることが損失を生んでいるという方が正しいだろう。

 私は死刑が行われないという噂が立ち始めたころから少しだけのこのことを考えていた。

 私の身の回りには、やはり私と同じ性格の人間が集まってくるようで、このように死刑についての会話というのは何度も行った。それは死刑が行われない場合、というものだけではなく本来、死刑が持つ意義や死刑というものを批判する場合の論理構成についてであった。

 話すことが好きなのではない。

 皆、自分の命が好きだったのだ。

 その命を自由に扱おうとするその大きな力に対する分析がたまらなく面白かったのである。

 人によっては死刑について考えたくもない、という人もいるらしい。

 しかし、それは違うだろう。

 死刑は、それとそれに付随するもののために存在こそしているが、そこに生まれる利益というものは多くの人が享受できるものである。それは、死刑という単語によって多くの話題が生まれるという点である。

 それらは例外なく、非常に繊細であり、かつ現実的であり、客観性を求められるものである。ある意味、何かの話題に対して考えを巡らせるということをするにあたっての初歩的な主題としてとても良いかもしれない。

 その者の命が潰えることで、得られるものは何なのだろう。それは心の平穏なのか、経済的な豊かさなのか、それともそれについて考えなくてもよくなるという時間の節約であり、人生の効率性の向上なのか。

 それこそ。

 死刑になった者だけが理解できる点なのかもしれない。

 しかし。

 その死刑も今やなくなった。

 こんなにも医療技術が発達してしまったのだ。

 公的な機関での手続き以外で人は死ななくなった。

 首を吊っても死なず。頭を鉄骨に潰されても死なず。劇薬を飲んでも死なず。

 人間は、皆、不老不死になった。

 しかし、それでは増えすぎてしまう。

 そのため七十を過ぎた人間は、皆、役所へ行き、とある特別な薬品を注射してもらい死ななければならない。つまりは、そうやって自殺をしなければならなくなった。

 私も、ここにいる者たちも。

 皆がそうだ。

 七十を超えても死が怖くて薬品を注射されることから逃げ回った結果、とうとう捕まえられ死刑囚になった。

 しかし。

 死も終わった。

 死刑も終わった。

 死刑囚も終わった。

「この世のすべての発展に幸あれ。」

 次に人類は何を終わらせるのだろう。

 次に人類は何を終えられなくなるのだろう。

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